--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る 藤原弘達
…S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
------(P107)---(以下、本文)-------
6 ミソ・クソごった煮の狂宴
創共十年協定の茶番
◆ 握手しながら蹴っ飛ばす
言論・出版妨害事件から二年目、昭和四十八年一月、公明党は、安保条約即時廃棄を含む安保政策再検討を打ち出し、“革新路線”への転換を決定した(第十回中央委員会)。
続いて二月には公明党、創価学会連絡協議会を設ける。この年五月には、小選挙区制反対で公明党は社共両党と共闘を組み、デモに参加。しかし、五月の第十一回中央委員会では、中道革新共闘三原則の中で、共産党排除を示唆している。
その後、七月の都議選、共産党の公明党批判(憲法論争)あたりから、共産、公明両党は激しく対立していった。
そこへ、昭和五十年の「創共十年協定」が飛び出してきた。創価学会と共産党の“歴史的和解”なるキャッチフレーズつきである。例えば「朝日新聞」五十年七月二十七日朝刊一面には、「共産党と創価学会が協定」「相互不干渉・共存」「有効期間は3年」「信仰・思想の自由認める」と大見出しで報道された。この朝日新聞より早く、七月八日付け「読売新聞」夕刊「共産・公明が“歴史的和解”宮本、池田両氏、昨年末に秘密会談」というスクープをやった。
五十五年になって、この創共十年協定の仲介者、立会人として作家・松本清張が、「創価学会 日本共産党十年協定の真実」と題した、松本メモを発表した。創共協定に至るまでの宮本・池田懇談、協定案文作成の過程、「創共十年協定」発表後、たちまちにして「協定」空洞化(ホゴ)にする動きが創価学会・公明党から生まれてくる経緯を記したものである。
松本メモは、七月二十七日の項で、朝日、読売、毎日、東京各紙が「協定書」の主要項目内容を観測記事の形で報道したため、「協定発表を急ぐことになった」と記している。その中で、「創価学会の一部幹部か公明党筋かが各社を呼んで発表したと思われる。あるいは共産党もこの新聞発表に同意したのか。自分の知らないことなので不審に思った」と松本清張は記す。創価学会側、共産党側双方とも、松本のこの疑問には答えていない。
発表された正式協定文は「創価学会と日本共産党との合意についての協定」というもので、七項目より成り、創価学会代表=総務・野崎勲、日本共産党代表=常任幹部会委員・上田耕一郎が署名捺印している。
ところで、協定の七項目だが、政党と宗教団体間の合意という点からみる時、全くのところ政治的なシロモノなのだ。政教分離を公約した創価学会が、宗教者として共産党と協定を結ぶには--
「二、創価学会は、科学的社会主義を敵視する態度はとらない。
日本共産党は、布教の自由をふくむ信教の自由を、いかなる体制のもとでも、無条件に擁護する」
「四、双方は、永久に民衆の側に立つ姿勢を堅持して、それぞれの信条と方法によって、社会的不公平をとりのぞき、民衆の福祉の向上を実現するために、たがいに努力しあう」
この二と四だけで、まあ十分であろう。
その他の項目にあるところの--
「一、創価学会と日本共産党は、それぞれ独自の組織、運動、理念をもっているが、たがいの信頼関係を確立するために、相互の自主性を尊重しあいながら、両組織間の相互理解に最善の努力をする」
「六、双方は、日本に新しいファシズムをめざす潮流が存在しているとの共通の現状認識に立ち、たがいに賢明な英知を発揮しあって、その危機を未然に防ぐ努力を、たがいの立場でおこなう。
同時に民主主義的諸権利と基本的人権を剥奪し、政治活動の自由、信教の自由をおかすファシズムの攻撃にたいしては、断固反対し、相互に守りあう」などは、共産党は明らかに公明党の動きをにらみながら、なんらかの形で手カセ、足カセを目論んでいる。創価学会の政教分離の大ウソを、共産党が見抜いていないはずはない。
一方、創価学会は、言論・出版妨害事件以後、共産党と“一時休戦”の必要を痛感していた。実質的に政教一体路線を捨てていない創価学会・公明党として、共産党懐柔の“一時休戦”である。
「創共十年協定」への動きは、松本メモによれば、四十九年十月、宮本・池田懇談の「最初の具体的機運が生まれた」とある。例の電話盗聴事件の発生は、四十五年七月のことである。宮本・池田懇談の機運が生まれた時、盗聴犯が創価学会であることは未だ露見していなかった。
共産党も、全く知らなかったのであろうか。共産党は、独自に盗聴事件の調査を続けてきたといっている。確証はつかめなかったにしても、心証はあったろう。創価学会は、池田はもちろん、事件を知っていた。
かくして、恐るべき茶番劇がでっちあげられたのである。笑顔で握手しながら、いつでも相手を蹴飛ばす態勢を保ちつつ、だ。いや、電話盗聴では、既に創価学会は共産党への加害者だったのである。まことに狐と狸のバカシ合いのような“歴史的和解”、たちまち空洞化、死文化したのは当然のことだ。政教分離の創価学会と、政教一体を攻撃した共産党の、束の間の茶番劇とはいえ、政教分離への血路を身を挺して切り開いたと自負していた私にとっては、まさに青天の霹靂ともいうべき驚きではあった。
創価学会・公明党のハレンチぶりは、既に当方も百も承知であったが、かって一応はタイアップした共産党が藤原弘達に断わりもしないでこれに乗るとは、「この裏切り者めが! バカヤロー!」という他はなかった。それに、両者の仲介役をした松本清張の驚くべき政治音痴、間抜けぶりには、呆れてモノがいえなかったものである。彼なりのコンプレックスのなせる業なのかも知れない。
----------(次回に、つづく)---------112