創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-32

2019-04-29 07:37:09 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P151)---(以下、本文)-------

◆ つぎはぎだらけの言葉の遊び
 戸田城聖が死んだ三十三年、池田大作は学会参謀室長、総務を兼ねていた。そして、翌三十四年六月の参議院選挙で創価学会は六人を当選させ、九議席となった。当時池田は学会の政治姿勢を、次のようにいっている。
 「……戸田先生は『学会は新社会主義である』とおっしゃった。すなわち、あくまでも全国民の幸福を基準にして態度を決定し『個人の幸福』と『社会の繁栄』が一致する王仏冥合思想を根本にしたものである……」(「聖教新聞」三十四年六月二十日) 
 「……学会は資本主義でもなければ--資本主義でないということはないが--自民党思想でもなく社会党思想でもない。いま必要なのは第三文明です……最高の文化とは何か、第三文明です。……いまだかってない、全人類が根底から要求しているところの“新社会主義”こそ、王仏冥合の思想である」(「聖教新聞」三十四年七月十日)

 右の引用から、新社会主義、個人の幸福、社会の繁栄、王仏冥合、資本主義、自民党思想、社会党思想、第三文明……と拾い出してみれば、誰でも気がつくであろう。これらの言葉は総て、なんの脈路もない形で羅列されただけである。「新社会主義」がなにゆえ王仏冥合思想を根本とするのであるかはおくとしても、新社会主義の中身は、全く説明がない。個人の幸福と社会の繁栄の一致が王仏冥合だ、これ即ち新社会主義ということでは、曖昧模糊、なんともつかみがたい。

 第三文明は最高の文化です、という時「文明」と「文化」は同じ次元で捉えられているようだし、さらにその   「第三文明」はなにゆえ第三なのであるか--池田の説くところは経文のように調子だけよく、気持よく学会員の耳に届けばよいものらしい。
 経文だけなら、どうせ、わかってもわからなくてもよいのだが、創価学会・公明党の政策、主張は、イデオロギー的対立に反応し、あれでもなければこれでもない式に、いよいよ悪質な欺瞞、つまりは愚民だましのテクニックだけが増幅されるので、フォローしていくだけでもうんざりしてしまう。単なる挙げ足とりなど、私には全く興味がない。
   全人類が求めている「新社会主義」と、創価学会のいう「世界一仏教」とは別なものなのか。宗教としては「世界一仏教」、つまりは日蓮正宗による世界統一を目指すものだが、人類救済のための手段としての政治は別だというようにも聞こえる。公明党は、外交理念として「地球民族主義」をもちだしていた。これが具体的政策となると、日米安保体制の段階的解消、等距離完全中立、日中国交正常化、アジア、太平洋不可侵・不干渉の国際環境樹立等々、あまり国民の中から反対が起こりそうもない、もっともなことばかりを並べたてることになる。
 とはいえ、その日米安保体制段階的解消は、その後、どうなった--即時廃棄を叫んだり、再び軌道修正をするなど、唖然とさせられる無定見ぶりだ。日中国交正常化についても、始発ではあっても発車直前のバスに飛び乗ったに過ぎない。

 「地球民族主義」とは、どういうシロモノなのだろうか。池田大作の『政治と宗教』の中で説くところによれば、こうだ。
 「日蓮大聖人の仏法は、一閻浮提(全世界)の仏法である。わずか日本一国だけを対象とし、問題としているのではない。宗教には国境もなければ民族の相違もない。生命論のうえからも、平等である。日蓮大聖人の大慈悲からすれば、人類は混然一体となって、ともどもに繁栄すべきことを、最大の眼目とされているからである。(中略)いかなる哲学書も、社会主義や民主主義の理論体系も、みな人類の幸福をめざしていないものはないであろうが、しかし、すベて観念論にすぎず明確な実践理論は示しえないのである。ここに、力強い真実の理論体系、実践理念をあたえているものは、東洋仏法の色心不二の大生命哲学を説く、日蓮大聖人の大仏法以外にはないことを知るべきである。しかして、日蓮大聖人の仏法を根本とするならば、かならずや世界連邦の実現も可能となることを訴えるものである」

 社会主義や民主主義は総て観念論であり、実践理論は示していないが、真実の理論体系、実践理念を与えるものは日蓮の大仏法だというので、これぞまさしく観念論の最たるものであろう。社会主義、民主主義を超えた理論体系、実践理念を日蓮の大仏法によって示したものは何もない。地球民族主義が新しい理念であるかの如く説くが、笹川良一の「世界は一家、人類はみな兄弟」と何ら変わるところがない。例によつて、突如、「地球」と「民族主義」を貼り合わせただけのことである。
 宗教には国境もなければ民族の相違もないというが、それこそ地球上にはいろんな宗教が、それぞれ唯一絶対のものと信じて存在している。夫子自身、日蓮の仏法を唯一絶対の位置に置き、他は総て邪教としている。その自家撞着をタナにあげ、世界を一宗に帰依させようという論理である。その前に、苛烈な宗教戦争をも辞せずという决意でもあるのか、その実践方法をむしろ聞きたいところだ。
     ----------(次回に、つづく)---------154

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