創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-31

2019-04-28 09:57:30 | Weblog

    --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P149)---(以下、本文)-------

◆ クルクルと変わる客寄せ口上
 七百年前の日蓮の時代に果たし得なかった一種の宗教改革を現代社会の条件に強引にあてはめ、宗教改革から政治改革まで夢想し、これをそのまま実行するということなら、イランのホメイニ的次元、現実に世界中で政治的テロが宗教的狂信に民族的対立をからめて続出しているのであるから、そうそう、驚いてばかりはおれまい。  
 この種のアナクロニズムや宗教的予言の呪縛から解放され、信仰としての日蓮正宗、組織としての学会を巣離れしない限りは、一人前の政治集団とはいえない。それでいて、議会政治や政党政洽を前提とするビジョンやプログラムがいかに麗々しく掲げられても、所詮お題目だけの呪文であり、仏壇へ供える献花のようなものなのだ。
 中世の呪文を唱え続ける公明党が今日でも異質の政党として行動せざるを得ないのは当然の因果応報であり、その日和見主義、現実べッタリの追随路線は、その体質の必然的結果に過きない。
 「その日その日の出来ごころ」は、総てこの、自らの政治判断をもたないで、なんらかの絶対者ないし擬似絶対者に安易に総てを供託した者の気楽さかもしれないが、「奴隸」としての当然至極な心理状態ということにもなる。

 それでも形式的に政党である以上は、やはり民意の洗礼を受けなければならない。創価学会会員票のみで一定の議席が支えられた段階では、至極簡単であった。初期の創価学会の政治進出が、素人臭さ、アマチュアのもつある種の清新さと謙虚さとして世間の目に映ったのも、当然ではあった。
 ところが、政党をつくって公明党となり、政権を狙うとなると、唯一の選挙基盤たる創価学会票ではとても足りない。まさに、頭打ちなのだ。議会内改党勢力としての伸びは、もう先が見えてくる。
 選挙でF票(学会員が掘り起こしてくる同情票)、浮動票(かっては外米と呼んだ)をつかむためには、宗教政党の“素顔”に、柄にもない、色とりどりのお化粧を施す必要がでてくる。

 国立戒壇建立の「御教書が衆議院の過半数の構成を以て発せられるもの」(つまりは公明党単独政権)が、単なる戸田の思いつきで、いかに非現実的なハッタリ的幻想であつたかは、数の上で早くも“現証”された。
 このことは、言論・出版妨害事件で政教分離を公約する以前、既に幹部たちにはハッキリと自覚されていた。だから、公明党が初めて衆議院進出を果たした四十三年、三十二人が立候補、二十五人が当選した後、公明党は、今度は「中道政治」を強調し始めるのだ。
 中道政治、中道主義なんていうアピールはまこと中身は暖昧で、単なるスローガンどまりのシロモノである。   
 公明党の中道主義の論拠となっているのは、「日蓮信者の中には右翼の大物もいるが、あれらは化けものだ。共産党も話にならん。われわれは、右でも左でもない」といつた戸田城聖の言葉くらいのもの。
 衆議院に政党として進出したとなると、王仏冥合、仏法民主主義では、とてもじやないが“通用”しないことも思い知らされる。ナチスばりの折伏大行進時代のイメージも、自ら払拭する必要に迫られる。

 折伏大行進のさなか、戸田城聖は週刊誌記者に勇ましくブチあげている。
 天皇一家の神道を改宗させる、と意気ごんでいるそうだが。
  いますぐというわけではないが、あれも邪教だ。天皇ご一家に何の罪もないが、神道である限り、いつかはわれわれの折伏の対象になる」(「週刊読売」三十年十月三十日号)
 二十五年以内に広宣流布が成る(衆議院過半数を制し、国立戒埴建立)と号令を発した戸田当人としては、当然の答ではあった。

 ところで、創価学会・公明党は、四十二年に「中道主義」を掲げる段階で、国立戒壇建立を否定も肯定もしなくなる。それどころか、この問題にはマトモに触れようともしないのである。中道主義、中道政治のスローガンが出てくる過程において、戸田時代の「二十五年以内に広宣流布達成」の大目標がどのようにして修正されたのかは、全く黙して語らずだ。この中道政治への転換が、その後綿々と続いて今日に及ぶ虚妄と方便、ウソの上塗りの政治的序説に当たるものである。“床屋政談”でも外野席からの野次、岡目八目、素人政治批評であっても、時に庶民の鋭い政治感覚、キラリとしたものをもっているものだ。

 創価学会・公明党から出てくる政治スローガンとなると、そんなものは皆無、あたかも通行人の群を呼び込む客寄せ口上の如きものだ。左様、寅さん……テキ屋のタンカの方が、はるかにワサビが効いている、とでもいっておこう。
     ----------(次回に、つづく)---------151

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