創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-9

2019-04-06 07:41:19 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
「創価学会・公明党をブッた斬る」  藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P50)---(以下、本文)-------

なぜ、改めて〝創価学会を斬る〟か
◆ 呆れ果てた幼稚な偽装政教分離
 ウソの仕上げは、政教分離である。池田会長の政教分離宣言をうけて公明党は四十五年六月二十五曰、第八回党大会を開き新網領を採択、党規約を改正、組織を改めた。新綱領において「人間尊重の中道主義を貫く、国民政党」を宣言した。
 「政治進出は、大衆福祉を目的とするものであって、宗門、学会の事業とは無関係」という池田演説に照応したものだ。
 「王仏冥合」「仏法民主主義」の宗教政党から、「中道主義」の国民政党へのお化粧直しである。
 政教分離が創価学会・公明党にとって当面する危機回避の選択であったのは事実だとしても、それは前に述べた如く、イメージ作戦であり、“お化粧直し”にすぎなかったことが、その後、明らかになってくる。戦術的後退ですらなかった。それでも、言論・出版妨害事件に関し、ひたすらなる陳謝姿勢により世論の鎮静化を図らざるを得なかったのである。
 一方で、国会において各党からの追及が厳しく、池田会長証人喚問の問題も出てきた。この時、当時の佐藤首相は、言論弾圧というのは「国家権力が介入する時のこと」だとして問題を矮小化し、池田会長喚問についてもこれを拒んだ。(四十五年二月二十七日、衆院予算委員会)  佐藤首相といえば、前年、「よくぞ勇気ある本をだされた。頑張って下さい」と、秘書官を通じて私に伝言があった。しかも、番頭役・田中幹事長が事件に介入したのは、全く知らないことになっていた。その首相が、国会において見事に創価学会・公明党をかばい通し、それによって公明党は池田会長国会喚問という最悪の状況をやっとのことで乗り切った。自民党に、明らかな大きな借りをつくったのである。

 しかも、同じ時期、公明党は一つの事件を起こしている。いわゆる渡部講演事件だ。四十五年一月十一日、東京・日大講堂での学会学生部幹部会の席上、二万人の出席者を前に公明党国会対策委員長・渡部一郎は、勇ましくブチあげた。
 内容は、言論・出版妨害事件を「デッチあげだ」と否認し、他党を罵倒する挑発的なものだった。その録音テープが外部に流れ、『週刊朝日』『赤旗』にスッパ抜かれた結果、渡部一郎は責任をとり国会対策委員長を辞任した(辞任させられた、というのが真相だろう)。講演内容がいかに挑発的であり、彼らのホンネを示したものかを、みておこう。

 「……こんなバカバカしい話がありますか。なんで私たちが言論弾圧などしますか。
 公明党が言論の自由を弾圧しているというなら、僕らも戦車なんかにのって、『赤旗』なんか踏みつぶしてやる。
 社会党のうすバカどもが調子にのって、民社党は頭が宙返りしている。気が違っているとしか思われない。  自民党に“貸し”はあるけど“借り”はない」
 この渡部講演事件は、録音テープが外部に流出したことから起きた(テープは共産党の手による盗聴だ)として、創価学会は後に、共産党に対する電話盗聴事件(前記、宮本邸盗聴)にまで、突っ走るのだ。
 渡部講演事件を偶発的なものとみるのは正しくない。単に渡部一郎国対委員長が、学生部幹部を前に、拍手喝采で調子に乗りすぎたのでもない。創価学会・公明党のホンネ発言なのである。ただ、外部にバレたから責任をとらせた--いわゆるトカゲのシッポ切りである。
 言論・出版妨害事件では、切るべきトカゲのシッポはない。頭を切るわけにはいかぬ。政教分離なる偽装戦術に転じた所以だ。

◆ 水に落ちた犬は叩け!
 言論・出版妨害事件を教訓として、創価学会・公明党が池田会長の“お詫び講演”の如く、ホントに猛省したか? それは、その後の彼らの言動の軌跡を検証してみれば、自ずから判明してくる。自民党に借りをつくり、佐藤内閣から田中内閣時代、さらにひき続き目白の“闇将軍”と気脈を通じつつ、自民党勢力の補完的役割を演じたのである。
 あからさまにいうなら、地方選挙において積極的に自民党に加担(四十五年、京都知事選)したり、国政選挙で自民党・田中派に対立侯補を立てない、といった具合だ。しかも、一方では中道革新を唱え、反自民、反反動権力、反大資本主義(第十一回党大会「中道革新連合政権の性格規定」)を呼号する。これをしも、政治的密通、偽装といわずして、何という。
 四十五年後半に入ると、マスコミの言論・出版妨害事件に対する追及は急速に冷え始めた。

 奇しくも、というか、この四十五年から数年間、マスコミを湧かせる大事件が内外ともに相次いだからだ。よど号事件、三島事件、連合赤軍浅間山荘事件、ニクソン訪中、ウオーターゲート事件、金大中拉致事件……。
 マスコミの移り気だけではなく、国会においても、事件の本質的究明が行なわれることは殆どなくなっていった。形だけ、一種セレモニー化したともいえる。
 そして、以後、創価学会・公明党は偽装政教分離の衣をまとい、政教一体路線を歩み続けて今日に至っている。言論・出版妨害事件とは、われわれの社会において、単なる一過性の出来事にすぎなかったのであろうか。そうさせたものはナ二か。
 言論.出版妨害事件のさなか、私はこう書いた。

「……この『言論自由の敵』の正体を、この一番ひるんだタイミングにおいて、国民の眼前にひきずりだし、その毒素を徹底的に駆逐しないと、日本という国自体がとんでもないことになりかねないということである。
 この国民的政治意識のなかに、自由を守るための怒りをよびおこす闘いは、最終的結論がでるまでには、まだまだいろんな曲折と時間をかけねばなるまい……」(『文藝春秋』四十五年三月号)

 中国の文豪・魯迅は書いている。「水に落ちた犬は叩け」と。水際から這いあがってくる犬を叩き落とさなければ再び害をなす、という戒めである。
 創価学会・公明党に中途半端な反省を求めてもムダである。言論・出版妨害事件以後十六年の大いなる“空白”を何とみるか。彼ら創価学会・公明党は、言論による批判を“法難”と称し、いよいよもって危険で悪質な権謀術数を弄し、露骨な政教一体路線をハレンチにも推し進める集団となっているということだ。現に、彼らの反社会的・反民主主義的犯罪は、後を絶たないどころか、うんざりするほど続出している。かって『創価学会を斬る』を書いた私が、再び創価学会・公明党を断乎として斬らざるを得ないのも、そのためである。

 この本では、創価学会の本質を原点から検証し直し、この巨大化した宗教政治団体の実態を読者にもっと知ってもらうこと、彼らのマキャべリスティックな政治行動によつて民主主義を危くする公明党に批判攻撃をする。たとえ、創価学会は信仰の自由という“聖域”に逃げ込み批判をかわそうとも、政教一体の公明党は政党である限り、国民の批判にマトモに応えなければなるまい。
 国民は、言論と選挙によって、このインチキ集団を“退治”“征伐”することができることを、今や確信すべきである。魯迅の教訓を公明党に集中し、この「水に落ちた犬」の息の根を止めるまで、二度も三度も叩き続けなくてはなるまい。
      ----------(次回に、つづく)---------55

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