--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る 藤原弘達
…S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
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パ口ディ好きな創価学会
◆ あやかりネーミング商法
新カント派哲学を学んだという牧口常三郎は、真・善・美の真にかえ利・善・美とし、「価値論」を著わし法華信仰に結びつけた。「価値論」から創価教育学会体系の完成に取り組み、創価教育学会が生まれた。ここまでは、牧口常三郎独自のツギハギ哲学の世界である。
ところが、牧口の一番弟子をもって任ずる戸田城聖の時代になると、創価教育学会から「教育」をはずし「創価学会」と看板を塗りかえてしまう。創価教育学会は小学校教師の会員が中心だったが、教育の二字をはずしてしまうと、日蓮正宗信徒団体として門戸を開いたことになる。
敗戦、占領軍進駐、言論の自由、民主主義バンザイが叫ばれる中で、戸田城聖は戦前と同じく出版業を始める。創価学会の方は教義の勉強会が中心で、稼ぐのは出版業だ。
新民主主義講座と銘打った出版をやる。執筆者は、野坂参三、堀真琴から室伏高信まで名を連ねていた。発行元は「日本小学館」である。日本小学館という社名は、老舗の小学館の上に「日本」をつけたものである。新民主主義講座の執筆者に共産党の大物・野坂参三をひっぱりだすなど、時勢便乗に抜け目ない男だ。左翼同調者だったわけじやない。むしろ、後年、弟子の池田大作にいわせると、「初代牧口会長が反権力で闘って、その次の戸田城聖会長から右寄りになった。自分がその軌道を左寄りに修正した」そうだ。
もっとも、この池田の言葉は創共協定の時、共産党・宮本顕治と会談した席上でのことであるが……。
日本小学館では「冒険王」「少年日本」はじめ数種の雑誌を出した。「冒険王」にしても「少年日本」にしても、戦後育ちの年輩者なら思い出すであろう。「少年日本」は、後に「日本少年」と改題した。元来は、戦前、「実業之日本社」が出していた雑誌名なのだが、戦後は復刊されなかったものだ。
戸田城聖の「民主主義講座」であるが、本人は当時、仲間に向かって時局便乗企画じゃないと説明したそうだ。法華経の教えは民主主義に結びつく。
大衆が民主主義に飛びつく時代だから「民主主義講座」の読者を法華経の教えに結びつけることができる、という論理だ。後年、公明党の唱える仏法民主主義、仏法社会主義など、これに類する発想とみてよい。
雑誌「大白蓮華」は二十四年、創価学会発行である。「蓮華」は本山・法主直轄の雑誌だが、学会はこれに「大白」の二文字を乗せてしまう。
◆ まねした奴が元祖を名乗る、この厚かましさ
学会直系出版社「潮」も同じ発想だ。極太明朝体で「潮」と題字をのせた表紙の月刊誌は、雑誌「新潮」から「新」をはずしただけだ。
政府お声がかりの「公明選挙運動」から「公明政治連盟」のネーミングが生まれ、略称・公政連はやがて「公明党」となる。 要するに、ネーミングに全く独創性はない。よそさまのイメージを都合よくいただく--ものまね上手だ。この手のやり口は、テレビのコマーシャルがよく用いる語呂合わせまがいの感覚である。
滑稽なのは、元々よそさまのイメージに便乗したことをすっかり忘れてしまい、自らを元祖のように思い込む厚顔無恥さである。池田大作“語録”の中に、大作の自画自讃がある。
「文芸誌に一字名前が出て来る。今迄は一字名前はタブーであったが、『潮』にならって来た。『海』や『文』が出る。『潮』が勝った」(『人間・池田大作の野望』継命編集部編著)
元祖「潮」にあやかって一字名の雑誌が出てきた、と悦に入っているのだから、ご愛嬌を通り越して、厚かましい。
こういうあやかり精神は、時流に敏感だから便乗主義と同根だ。創価学会・公明党が、時に右寄り、時に左寄り、中道、そして連合と変転極まりないのは少しも不思議ではないが、包装だけちよっと変えて中身の変わらないものを売りつける、まさに羊頭狗肉の商法というべきものなのだ。
----------(次回に、つづく)---------96