創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-5

2019-04-02 07:47:56 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
「創価学会・公明党をブッた斬る」  藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P31)---(以下、本文)-------

月刊べン事件にみる汚辱の構図
◆ ヤブをつついた創価学会
 「月刊べン事件」というのがある。雑誌『月刊ペン』五十一年三、四月号に掲載された創価学会教義批判記事に始まるものだ。記事の筆者・隈部大蔵が、教義批判の『例証として、池田大作の女性スキャンダルを論評した部分をもって、事実無根、捏造記事による「悪質な名誉毀損」として宗教法人・創価学会、創価学会会長・池田大作が告訴した。いうところの「月刊ペン」裁判である。
 教義批判に関しては、もちろん、法廷で争う問題ではない。事実無根のスキャンダルに対しては、名誉回復と慰藉を要求すべきは当然である。しかし、宗教法人・創価学会会長が名誉毀損の告訴にでたのは、スキャンダルの事実無根がホントの理由であったのかどうか、まこと疑わしい。
 会長先生のスキャンダルなど、創価学会会員にとっては、歯牙にかけるに価しないデマである。
 会長先生を絶対信じている会員に“デマ”を粉砕してみせる必要など、創価学会は考えていないはずである。したがって名誉毀損告訴は、やはり隈部大蔵の口を封じるためのオドシだったとみるべきだろう。
 隈部大蔵は、かって公明党副委員長当時の北条浩から、創価学会・公明党批判を書いた著書の出版妨害を受けている。その時、「象はたとえアリの一匹でも全力をもって踏み潰す」と北条がすごんだことを、溝ロ敦が書いている。
 この譬えからすれば、名誉毀損の被告・隈部大蔵は、一匹のアリにすぎなかったはずだが、裁判では簡単にアリを踏み潰すまでには至らなかった。それのみか、創価学会の起こしたこの裁判沙汰は、新たにまた創価学会の悪質な裏工作を暴く証言を引き出すことにもなった。しかも、女性スキャンダルの主演者・池田大作証人出廷騒ぎにまでなったのだ。この象(創価学会)は、アリを踏み潰すために全力投球することにも、トップの命令一下、裏工作にも一生懸命になる。これまでの常套手段である。

池田スキャンダル裁判の真相
 池田大作は、世界の指導的人物とサシで語り合える、日本を代表する英知(創価学会流の自画自讃の表現)だというのだから、女性関係スキャンダルは、池田先生にはなじまないことになる。もっとも、世界の指導的人物と語り合い、対話集を出版するなど、私をしていわしむれば、ザコのトトマジリだ。
 しかし、いずれにしても、公判で池田大作全裸シーンやら、フェラチオのあと歴然たるステテコの口紅についての証言が飛び出してきたのだから、一応は衝撃的ではあった。
 事件は、五十一年の起訴以後、一審、二審では、殆ど被告側不利のまま終始していた。象がアリを踏み潰すかにみえたものだ。五十三年(旧一審判决=東京地裁)、五十四年(旧二審判决=東京高裁)で、被告の隈部大蔵は「懲役十月、執行猶予一年」の有罪判决を受けた。
 ところが、五十六年四月の最高裁判决は、一、二審有罪判決を破棄、東京地裁へ差し戻しを命じた。そして、差し戻し一審判決は五十八年六月、二審は五十九年七月におりたが、現在、再び最高裁で審理中だ。

   山崎正友という元創価学会顧問弁護士が五十六年一月、最高裁に上申書を提出した。それによると、「月刊ペン社に池田出廷回避のため三千万円を支払った」などの裏工作が記されていた。
 ① 池田大作の出廷阻止、② 創価学会が月刊ペン社に三千万円を示談金として支払う、といった条件である。名誉毀損で被害者の創価学会が、加害者側(月刊ペン)に示談金を支払うのだから、まこと奇々怪々、世にも不思議な話である。そして、ここにもまたまた右翼の大物・笹川良一の名が出てくる。山崎上申書が暴いた示談金の裏工作--まさに裁判で審理続行中のそのウラで、相も変わらずコソコソといやらしいことをやっているのだ。

 裏工作はもっとさかのぼる。名誉毀損事件を告発するに当たり、公明党国会議員、都議会議員が根回し工作をやり、事件は警視庁捜査四課=暴力事件担当の手で逮捕という経緯が伝えられる。もし、それが事実だとすれば、警視庁当局の明確な説明も聞きたいものである。国会議員、都議会議員に弱い警視庁という世情の噂、ことに警視庁の予算を左右する鈴木都政与党・公明党都議の圧力に弱いとの風説を打破する必要が、少なくとも警視庁にはあろう。名誉毀損事件が、暴力事件担当となり事情聴取即逮捕となると、これはいかにもキナ臭いのである。
 さて、先の山崎上申書だが、これが飛び出してきたのは、五十六年一月、同人が「恐喝並びに同未遂容疑」で警視庁に逮捕されてからのことである。この“造反”元創価学会・闇の帝王(池田大作の命名)が裁判にかけられることになると、隈部、山崎、池田のタグマッチ的様相を呈してくる。
  タグマッチの行方がどうなるか、それは時間をまつとして、今や創価学会はまこと“憂鬱な季節”の真只中といえる。

 この巨大集団が、今の日本においてきわめて犯罪臭ふんぷんたるいかがわしい行為を重ねながら、しかも政治、文化の領域にまでしゃしゃり出て依然としてのさばりかえっている胸クソの悪い存在であることは、まずは間違いあるまい。
 今さらのように、十六年前に起きた言論・出版妨害事件の教訓は忘れられてはならないことを痛感する。言論・出版妨害事件以来十六年、この時間の空白、事件の教訓の空洞化の意味を、事件の当事者として深刻に受け止めざるを得ないのだ。創価学会・公明党は、あの事件以後、反省するどころか、一層、悪質な企みをもつ集団となった。この本では、彼らが、今もなお如何なる謀略のシナリオを書き続けつつあるかを、追うことにする。今こそ、それが何よりも緊急必要なタイミングだと思えるからである。
     ----------(次回に、つづく)---------35 --

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする