創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-15

2019-04-12 07:22:53 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか-
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P82)---(以下、本文)-------

◆ 戸田イズムと池田イズムの落差
 『人間革命』という本がある。池田大作著(篠原善太郎という人物の代作説があるが)の『人間革命』ではなく、こちらは妙悟空(戸田城聖のペンネーム)著『人間革命』である。むろん、戦前のものだ。半ば、戸田の自伝風である。
 その『人間革命』の中で、興味ある部分がある。戸田は、あとがきに「小説で表現した、生きた折伏教典である」といっている。それだけに、宣伝臭が強く、小説で表現したというだけに、フィクション部分も多いはずである。しかし、次に掲げる部分は、ほぼ、事実とみてよい。後の、戸田城聖の行動とも整合する。
 小説『人間革命』の中で、牧田城三郎(牧口常三郞)から、主人公の巌九十翁(ガンクツオウと読む。この主人公は戸田城聖の位置にある。厳九十翁は、いうまでもなく巌窟王をもじったものだ)が、大衆小説の出版について示唆を与えられる。大衆小説の出版は儲かると教えられた、なかなかに面白いくだりだ。

 「『はじめに先生が、四六版は財産になるよ、大衆小説の時代がきっとくると仰言った時、実は、わたくし、よく嚥みこめなかったんです……ところが、支那事変が処理されないで次第に国民生活に行詰りが見えはじめ、娯楽が少くなるから、大衆小説の時代がくると仰言ったことが形になって現われてきました。先生、この調子では、巖は大金持になるかもしれません』
 巖さんが小火鉢のふちへ手を置いてそういうと、牧田城三郎は真面目に睨むように巌さんを見て力強くいった。
 『巌君、大いに儲けたまえ。そして、その財力で価値を発見し、価値を創造するがよい。獲得した価値を遠慮なく生活の上に実現して、真の幸福を掴みたまえ』」

 牧田城三郎(牧口常三郎)が巌九十翁(戸田城聖)に、大衆小説出版でカネ儲けを教える。
 大いに儲け、財力で価値を発見し、価値を創造せよ、その価値を遠慮なく生活の上に実現して真の幸福を掴め、という言葉の中の「価値」をカネと置き換えてみると、まことに単純明快、わかりやすい現世の人生哲学ではないか。
 戸田城聖は、「大道書房」の名で、子母沢寛、長谷川伸、江戸川乱歩などの作品を出版し、利益をあげた。やがて、出版から金融、食品製造業に手をのばすが、戦時下、統制経済の中で、情勢は厳しい。
 「……嶮しい波がひたひたと、身辺へ寄せてくる感じだ。誰かの眼に狙われているような昨日からの気持は薄らいではいなかった。(九州の炭鉱と大阪の油脂工場を手に入れようとしている矢先に……)
 牧口先生の指導ではじめた出版を基礎にして縦横に活躍して築きあげた財力、その力をもって事業の大道を堂々闊歩していこうとしている自分を阻むものは、なにか……」

 創価教育学会が弾圧される直前の、巌九十翁(戸田)が悩む部分である。牧口の右腕にされた戸田だが、この時期は、信仰より事業、カネ儲けで牧口のために働いたのだ。信仰のことは、戦後になる。ともかく、戦時中に戸田は、三百万とも五百万ともいうカネを掴んだという。まさに、牧口のいう価値の創造である。牧口創価哲学を実践した戸田イズムだ。妙悟空著『人間革命』は、その戸田イズムで貫かれる。価値の創造はカネの力。幸福とは価値の創造である。この単純明快な哲学は、敗戦後の焼跡で、大衆へのダイレクトな吸引力を発揮する。貧しく、飢え、病み、希望を失った底辺大衆には南無妙法蓮華経のお題目が、そのまま価値創造、つまり、ほしくてたまらないカネ、そして幸福につながると教えたのだ。

 ところで、もう一つの『人間革命』だが、これは戸田の『人間革命』の戦後版を意図したというより、池田・創価学会史である。今の学会においては、創価学会正史の扱いだ。戸田『人間革命』は生きた折伏教典を狙ったというが、池田『人間革命』は戸田城聖の弟子・池田大作を中心にした、いわば池田・創価学会のサクセス・ストーリーだ。こちらも小説と銘打っているから、フィクション部分は当然としても、主人公の美化、絶対化はいささか滑稽にすぎる。
 もし、これが池田大作の筆になるとしたら、類い稀なるナルシストというほかない。
 池田の会長辞任と時を同じくして副会長をやめさせられた福島源次郎などは、池田『人間革命』を現代における「御書」であるともちあげている。本仏論者らしい言葉である。さて、その池田“本仏”は小説では、山本伸一なる二枚目ふうの名で登場する。改名前の池田太作、改名後の池田大作と比べると、いかにも二枚目イメージだ。
 主人公・山本伸一が創価学会入信当時、座談会の席上、「我れ地より湧き出で……」と詩を作ったことになっている。創価学会元教学部長で、学会を離脱した原島嵩は、これを否定する。
 山本伸一(池田)が「我れ地より湧き出」の詩をつくったくだりは、学会幹部をして池田が入信前、「地湧の菩薩」を知っており、「池田先生は、日蓮大聖人の生まれ変わりなのです……」と会員指導の教材にしているのだ。
 ところが、原島嵩はこういっている。

 「小説『人間革命』の代作者である篠原善太郎氏(東西哲学書院取締役、創価学会参事)から、『この“我れ地より湧き出”の詩は、池田氏が、後に作ったものである。しかし、これを入信の場面と結びつけたのだ』と聞いている」(「池田大作の欲望と支配」『文藝春秋』五十七年一月号)
 ここまでくると、山本伸一(池田)は、まるで、お釈迦様が生まれた時、天上天下唯我独尊といったほど伝説的で、現代の小説としては、まさに噴飯ものだ。戸田『人間革命』で、カネ儲け即価値の創造、価値を生かして真の幸福を掴めと励まされ頑張った巌九十翁と、お釈迦様みたいに自分を美化したがる山本伸一(池田)の『人間革命』に、戸田イズムと池田イズムの大きな落差がみえる。
 それは、なにも戸田城聖の人間臭と池田大作の傲慢さの違いを示すものではない。異端の少数派だった、かっての創価教育学会、焼け跡の創価学会と、肥大化した創価学会イズムの落差をそのまま象徴しているのである。
     ----------(次回に、つづく)---------86

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