創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-27

2019-04-24 09:10:17 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P130)---(以下、本文)-------

不吉なる近未来小説
◆小説『一九八四年』は何を描いたか
 G・オーウェルの小説『一九八四年』について、今さら改めて内容紹介をするまでもなかろう。これは小説の形をとり、諷刺、文明批判をつきつけている。未来小説というより、近未来小説であった。近未来小説であったというのは、この小説が発表されたのは一九四八(昭和二十三)年であり、題名は四八を逆にして八四としたものの、既にその一九八四年はすぎている。しかし依然、近未来小説である。

 小説『一九八四年』に描かれた近未来は、作者・オーウェルの予言だったわけではない。したがって、今日、『一九八四年』の予言が的中したか否かを読みとろうとしても無意味なのだが、『一九八四年』で描かれている世界が、創価学会・公明党のつくりだす世界と奇怪なまでの類似性を感じさせるのだ。
 三十七年前の一九四八年、この小説が発表されたのは第二次大戦後、東西両陣営の対立、冷戦のきざしが濃くなった時代だが、ソ連ではまだスターリン神話は崩れていなかった。発表当初は、スターリン体制下のソ連を寓意する反共小説という読み方もされた。しかし、今日読んでみると、なるほど、小説に登場する“偉大なる兄弟”をスターリンに、“人民の敵・ゴールドスタイン”をトロッキーにみたてた寓意はみえる。
 しかし、私には今、別の発見がある。いうまでもないが、私には、柄にもない小説談義をやる趣味も時間もない。『一九八四年』が反共プロパガンダ小説という以上に興味があるのは、権力者が権力維持のためにいかなる手段を 生み出していくか、独裁的権力機構の現代社会における運動法則の共通性なのである。

 創価学会・公明党と『一九八四年』の奇妙な類似性といったのは、この故なのだ。  “偉大なる兄弟”はスターリンではなく、永遠の大聖人・日蓮である。これに対し、“人民の敵・ゴールドスタイン”はトロッキーならで、邪宗、謗法者の類いである。さらにいうなら“偉大なる兄弟”は、日蓮の生まれかわり、池田大作である。創価学会では、もちろん“偉大なる兄弟”とは呼ばない。  「会長先生はお父さんのような方です」という。池田より年上の幹部連中にとつても「お父さん」なのだ。

 小説『一九八四年』に出てくる“憎悪の時間”がある。テレスクリーンに映し出されるゴールドスタイン(人民の敵)を見せられる人民は、憎悪をかきたてられ、狂気を示すのだが、創価学会のもつ〝憎悪の哲学〟もまた、会員を狂気に駆りたてているではないか。テレスクリーンは、人民洗悩用であると同時に、監視用装置だ。創価学会から脱けようとする者は、仲間から絶え間ない波状攻撃を受け、ノイローゼ状態に追い込まれるという。

 創価学会には、学会用語がある。仏教上の特殊なものだが、『一九八四年』の中に出てくるオセアニア国公用語=ニュースピークと照応する。ニュースピークは「イングソックの熱狂的な支持者に固有な世界観や精神的慣習に対して一定の表現手段を与えるばかりでなく、イングソック以外のあらゆる思考方法を可能にするということ」であつた。(新庄哲夫訳『一九八四年』早川書房)

 四十七年、大石寺正本堂が完成した時、朝日新聞文化欄では「……建築費二百八十三億かけた巨大性と人間本位につくられた内容の点で、他の新宗教系のものを圧倒し……」と書いた。
 同時に、二人の人物のコメントが載っていた。
 「正本堂の巨大性は威圧的権威主義の象徴だ。(中略)世界の百三十五力国から石を集めて妙壇の下に埋めたという正本堂には、わが国の宗教界はもとより、アジアの全仏教国もその翼下に納めようとの盟主的発想がひそんでいるように思う」(中濃教篤日蓮宗現代宗教研究所長)
 「正木堂の人間本位は、個人でなく集団としての人間のためだ。集団処理の効率優先に設計されている妙壇の話を聞くと、その感が深い。もともと個人としての人間解放を目ざした宗教の役割が、ここでは、集団の中に埋没することによって、自分の所属に安心感を得る形に変ったのだろうか」(髙木宏夫東洋大教授)

 「真理省は--新語法ではミニトルーと呼ばれるが、視界に入るどの建築物よりも眼を見張るほど異なっていた。 巨大なビラミツド型建築で、白いコンクリートの肌がきらめき、屋根が幾層にも重なつて三百メートルの空中にそそり建っている。ウィンストンの佇む場所から、その白い壁面にエレガントな文字で刻みこんである党の三つのスローガンが辛うじて読みとれる。

       戦争は平和である
      自由は屈従である
     無知は力である」  (新庄哲夫訳『一九八四年』)

 G・オーウェル『一九八四年』が発表された一九四八年当時、創価学会の活動は、もっぱら講演会、座談会、教義研究会であった。折伏も縁故や講演会聴衆を対象の、地味なものだった。その創価学会が、あたかも小説『一九八四年』のまねびを思わせる現状にあるのは、まことに不吉な符合といえよう。
     ----------(次回に、つづく)---------134

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