創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-30

2019-04-27 07:41:06 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P142)---(以下、本文)-------

第二部 公明党は有害無益だ
     ・ 公明党は悪質なヤミ行為の温床だ
     ・ 公明党は有害無益。百害あつて一利なき組織だ
     ・ 公明党は一種のゴキブリかカビである。大掃除が必要
     ・ 公明党は政党ではない。一宗教団体の「僧兵」であり「政治出張所」に過ぎない
     ・ 公明党は民主政治衰亡のシグナルである

 1 公明党は創価学会の「奴隸」勢力
   公明党の“革新”なんて、ちゃんちゃらおかしい

◆ 昨日革新、明日は保守、その日その日の出来ごころ
 公明党なる政党は、まやかし政党であり、未来への展望は総て学会任せ、池田大作任せである。彼らの政治行動は、池田大作追随、革新とか保守とかの次元で論じることすら無意味である。要するに、政党としての「志」は学会任せであるから、学会のリードがなければ、無定見に、生物的カンで動いているに過ぎないゲリラ的徒党集団ということでもあろう。

 昭和初期に、郡司次郎正という大衆作家が「侍ニッポン」を書き、映画化されると大ヒットした。その主題歌がまた大流行したものだ。その歌詞に、「昨日勤王、明日は佐幕、その日その日の出来ごころ、どうせおいらは裏切りものよ……」とあった。公明党をみていると、まるで「昨日革新、明日は保守、その日その日の出来ごころ」で、しかも行動だけはバ力に能動的で、内面的には一種のニヒリズムなのだ。小説や映画の主人公なら、「その日その日の出来ごころ」などと、ちょっと陰鬱な顔をしてニヒリスティックに自嘲するとそれなりにうけるかもしれぬが、ここまで堕落した「奴隸」に、果たして自嘲するだけの“自分の精神”があるのかどうか、という気さえする。

 そもそも、創価学会が政治に進出したのは、昭和三十年の統一地方選挙からである。この地方選挙に先立ち、二十九年元旦の「聖教新聞」社説が、広宣流布の完成はあと二十五年以内と確信すべし、と書いた。第二代会長二戸田城聖の筆である。
  「……この期間に日蓮大聖人様出世の本懐であらせられる弘安二年十二月十二日の大御本尊に対し奉り日本一同に帰依して国立戒壇建立の御教書が発せられるであろう。否発せさせなければならないのである。御教書とは衆議院に於て過半数の構成を以て発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければなるまい……」(傍点著者)

 いかにも高利貸し的感覚のホラ吹き、戸田ドン・キホーテらしい夢を描いていたものだ。それでも、ビジョンとはいっておこう。この当時の創価学会は、会員十数万世帯である。後に、七八〇万世帯を誇号することを思えば、二十九年のこの夢は、すこぶるネズミ算的な読みだけはできており、誇大宣伝にしても何となく愛嬌があるのだ。この種の夢は、日本国民を教化し国立戒壇建立、即ち日蓮正宗を国教化すべしという日蓮の遺命を、そのまま創価学会の政治使命におっかぶせただけのもの。アナクロニズム(時代錯誤)には違いないが、日蓮自身にも似た誇大妄想的愛嬌だけはあるのだ。

 ところが、これが「聖教新聞」社説にとりあげられると、広宣流布の日は「ある理由により、あと二十五年以内」と、もっと正確な予言めかして書かれる。予言は、日蓮自身もはずれっ放しだったが、戸田のそれも、見事にはずれる。二十五年どころか、十六年目の四十五年に創価学会・公明党は、国立戒壇否定、政教分離を宣言せざるを得なくなったのである。 日蓮のはずれた予言がはずれっ放しのままで、今日においても創価学会・公明党を心理的に拘束する呪縛となつたままなのである。
     ----------(次回に、つづく)---------148

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