創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-12

2019-04-09 08:14:22 | Weblog

--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P66)---(以下、本文)-------

狙いは池田教、創価王国への迂回戦略
◆ 本山・大石寺は乗っ取れない
 いかに創価学会が巨大組織と金力にモノをいわせても、「日蓮正宗の教義に基づ」き(創価学会会則第三条、宗教法人「創価学会」規則第三条)、総本山・大石寺の「大御本尊を根本」とする以上、大石寺とはあくまで師弟の関係である。日蓮正宗大石寺を離れることはできない。本山が創価学会を破門すれば、創価学会は「創価日蓮宗」とでもいう“邪教”に転落する。
 今のところ、創価学会は本山・大石寺を離脱するまでには至っておらず、本山もまた、この最大のスポンサーを破門する勇気はない。
 そこで、宗門内で活動僧侶や檀徒会と創価学会の抗争は続いているが、本山対学会の関係はかなり協調的なものになり、少なくとも目下、休戦伏態にはある。

 日蓮正宗信徒の間に正信覚醒運動なるものが起こったのは、五十三年である。僧俗一体となり、池田流、創価流の広宣流布に対し真実の広宣流布のため立ち上ったという運動である。全国百五十か寺院に所属する法華講・擅徒の組織、正信会がそれだ。この正信会の機関紙「継命」では、現在の本山対学会関係を手厳しく批判する。正信会の運動は、細井日達前法主(故人)の支持を得て発足したものだ。
 「現在の阿部(日顕)宗門は、日蓮正宗でもなんでもなく、“創価学会大石寺支部”または“創価学会法要部”でしかありません。創価学会の謗法の元凶である池田絶対化も完全に復活しました。宗門支配も完了しました。財務もご供養の名のもとに集められることが决定。日蓮正宗からの破門の罪に値する本尊偽造をはじめ、池田教(創価学会宗)の路線に対する覚醒の声も、すべて“法難”“誹謗中傷”のもとに片づけられてしまいました。

 そして、あと五年間で、阿部宗門も、その支配下にある僧俗も“しまった”と気づいた時には、創価学会のめぐらしたあらゆる鉄鎖(てっさ)にがんじがらめとなり、身動きが完全に封じられることは目に見えています。次は、ジワジワと、過去に少しでも学会に批判めいたことを言った者への復しゅうが開始されます。池田氏の本性は怨念の固まりであり、同氏の口ぐせの『十年後を見よ、今まで創価学会をいじめた者を必ずやつつける』は、むしろ内部にいる者にこそ最も苛烈に襲いかかることを、宗務当局は銘記すべきでありましょう」(「継命」六十年五月一日号)
 これでは、大石寺対創価学会は休戦状態なんてものじやない。創価学会の大石寺占領がほぼ完了したことを物語るものだ。正信会の運動は、レジスタンスということになる。しかし、局外者から見るところ、大石寺“占領”は、それほど簡単にはゆくまいと思われる。  日蓮正宗の「教義に基づく」創価学会にとって、本山の「大御本尊」はやはり絶対である。
 これ、即ち「南無妙法蓮華経」と書かれた板マンダラなのである。

 創価学会が三十年三月、北海道小樽市で行なった身延山との公開討論会の記録(録音テープからおこした)『小樽問答誌』というのがある。“法論対决勝利の記録”と呼んでいる。この中で大石寺の御本尊を論じ、これを絶対視している。それを見てみょう。(写真=同書口絵より=省略)
 「学会側・辻講師-われわれ創価学会員は、大聖人様の御本意である弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊様に向かって、ただ一つの御本尊に対して、心から帰依しているから功徳があるのであります。(大拍手)」  「身延側・室住講師-信仰は……、大石寺は……、身延に霊骨が、霊骨がないと申しまするけれども、厳然としてあるのであります。(“どこの馬の骨だ”という声がはいる)  馬の骨ということは……(爆笑)……馬の骨ということは(大爆笑)……大石寺派の勝手に言うことでありまして……、真の真骨は、代々の法主が、これを護持しきたったのであります。(しばらく立ち往生する)……
 本尊は……、本尊は衆生の各々の真心にある題目をもって本尊とするのであります。この導きが僧……、僧侶の役目なのであります。(爆笑)
 (ここより全く立ち往生、司会から早くやれと言われ、漫談を早く聞かせろとの声、三分ほど立って汗を流し池田司会から『あと1分半』『1分』と時間を区切られたがロをパクバクさせたまま席につく)」

 「身延側・長谷川講師--……しかも、この仏滅後の本尊の所謂、なんと申しまするか。仏滅後二千二百二十余年あるいは三十年と書かなくてはいけないそうですが、見た人によりまするというと、仏滅後二千二百二十余年ということになつているわけだ。してみるというと、木尊七箇相承に従いまするならぱ、三十年と書けということになっておる……私いっぺん拝見に行きたいのですけれども、他門の坊さんに見せないらしいからして、目が潰れるってんだよ。
 見せないからして、わからないけれども、仏滅後二千二百二十余年ということがはっきりしているのでございます……七百年も昔、身延の山でもってですね、お祖師様が大きな楠の板に彫ったかどうかというんでありますよ……
 今から七百年も昔、身延の山に楠の楠の自然性の樹木があるかないかということも、かなり疑問であるということも、これも、いちおう考えなくちや、ならないと思う……私はその閻浮総与の板曼荼羅という物のほんとうのことを私は疑う……」

「学会側・小平講師--……長谷川先生から弘安二年の御本尊は疑わしいと、ただそれだけのことで、いったい何がどうしたというのか、もう少し具体的に指摘してほしい。(拍手)
 とくに私が具体的にお聞きしたいことは、それでは、もし弘安二年の御本尊がだめだ、もし日蓮正宗がだめだと言うのなら、どこの信仰が正しいのか。狐や稲荷や、鬼子母神を、それを祭っているような、それが大聖人様の教えであるか。こういうことをなんら御説明もできないで、ただ大石寺の御本尊は怪しい、それでは、お話にはならんと思う。(大拍手)……
 御本尊様は信じて大利益を受ける、これが御本尊様です。それにもかかわらず、ただ飾り物か見せ物みたいに、あの時代にあった、なかった、それは信心のない者は今日本国中の人でもです、信心のない者には富士大石寺の御本尊がわからない、当り前のことですよ。(大拍手)……」

 こういったヤリトリでも明らかなように、楠に日蓮が刻んだという板マンダラ御本尊は、大石寺にとって「正宗」の絶対のキメ手なのであるから、これを御本尊として安置する大石寺を離れたら、創価学会も、彼ら自身いうところの邪教、インチキ日蓮教に成り下るわけだ。
 二代会長・戸田城聖が本山法主から受けた紙製の御本尊が、創価学会本部に置かれていた。

 池田大作は、この紙製本尊を板に模刻し「板本尊」として学会主要会館に置いたが、宗門内の批判、追及を受け、本山に返納した。また、大石寺蔵版の経本以外に創価学会独自の経本を作ったりした。これらは、創価学会から“創価教”“池田教”への模擬演習をやっていたともいえよう。ともあれ、「大御本尊」は創価学会にとって、タテマエとしてやはり神聖不可侵のキメ手となるものである。創価教、池田教を狙う学会も、今のところ、一種の迂回作戦をとりつつある、とみてよかろう。
     ----------(次回に、つづく)---------72

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