秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

ヌードル・ライフ。

2011年02月17日 15時38分29秒 | グルメなのか?
最近、なぜか脈絡もなく同じフレーズがフト頭に浮かんで
いつのまにか繰り返し口ずさんでるコトがあるんですよね。

特に相方が出張中で一人のときなんか。これは老化現象の一つ
なんだろか?まだテレビと会話まではいたってないけど・・。

Mちゃんのお祖母さんは晩年痴呆症にかかったのですが、自宅
で一緒に暮らしていたそうです。

で、食事中にお茶碗のご飯を箸でとり、テレビの画面にもって
いこうとしたので、おばあちゃん、ナニしてんの?って聞いたら、

「ホレ、テレビのお侍さんがお腹すかせたはるし」と答えたとか。

笑ってはいけないけど、なんとなく微笑ましい話ですよね。

あ、同じフレーズの話だったっけ。チカゴロ唐突もなく浮かんで
口からでるのが「い~とこ、は~とこ、イトハトコ~♪」

昔の漫才師のギャグだったんですけど、今ではダレだったかも思い
だせない。だけど気がつけばいつのまにか歌っているんです・・。

痴呆の前ぶれ?毎日同じ生活ばかり繰り返していると危険性が高く
なるって話を聞いたけど、私の場合はどうなんだろう?

少ない収入で、毎月支払いに追われているから、緊張感はあるわな。

食生活はどうだ?ん~、そういや昼はほとんど麺類ばかりの「ヌードル
ライフだナ。ここんとこ、蕎麦、ウドン、ラーメンの繰り返しだったぞ。

と、いうコトで昨日のお昼はちょっと変化球で「カレーウドン」って、
やっぱり麺類かい!オデンのスジも入れ替え時だし、それもトッピング。

カレーというスパイスを考えだした民族は偉いけど、それをウドンに使用
した日本人はさらにスバラシイ民族である!とワタクシはムネをはって
いいたい!。(別に私が発明したんじゃないからムネはらなくていいか)




自転車物語。

2011年02月16日 09時06分18秒 | Weblog
ようやく寒さも緩んできそうな気配ですナ。(少しだけど)
これで少しは自転車通勤も楽になると思います。

思えばこのかた、こんなに毎日自転車を漕いだのは中学生
のころ以来ですね。

一応自転車は所有してたけど、ほとんど駐輪場でホコリ被っ
ましたからね、今まで。

昨日、夜中に自転車漕いでて(ここだけ読むと怪しいやね)
フト思い出したのが少年時代に読んだ漫画、「サイクル野郎」

今思うとタイトルもなんだかなぁ、ですけど、ストーリーも
かなりのもんでしたね。

ある少年が学校にも行かずに自転車で日本全国を旅するって話。
引きこもりよりはずい分マシだけど、学校は行きなさいってば。

でも、なんだか、ちょっこし憧れもあったけど・・・。

今はお手軽に車に積んで、景色の良いところだけ、ツーリング
ってのが主流みたいですけど、私の中学時代はテントや寝袋を
積み込んで何泊か旅するってのが流行していました。

私も友人と琵琶湖一週したけど、あの時夕飯で食った「肉じゃが」
のような「豚すき焼き」のような味は忘れられません。(甘すぎて)

ところで、話は変るんですけどね、狭い歩道を自転車で走っていると
向こうから来る自転車とすれ違うってコトがありますよね。

で、相手が若い人なら問題ないんだけど、なぜかオバサン(私もオジサ
ンだけど)は除けたほうに寄ってくるんですよね。不思議です。

ダンディなワタクシのフェロモンに吸い寄せられるんだろうか?
(自分で言っておきながら恥ずかしい・・・・・・)

それともう少しすると、出てくる(なんて言うと失礼ですナ)顔面
すべてを覆うフルフェイス型サンバイザーの自転車オバサン。

今はもう慣れたけど、初めて見たときはギョッとしましたネ。

先ほど言った狭い歩道でのすれ違い時、表情というか、相手の目線
が見えないもんだから、ちょっと戸惑ってしまうことがあります。

右に避けていいのか、はたまた左か?というか、私が見えているん
だろうか?(見えているのに決まっているんだけど)

まぁ、そんな体験もこの年になって出来るんだから、面白いといえば
面白いか、なんて思う「サイクルオヤジ」であります。


ホワイトバレンタイン。

2011年02月15日 10時12分27秒 | Weblog
あ~、なんてワタクシのブログにふさわしくないタイトル
なんダロ。昨日の京都は昼ころから、ずうっと雪模様。

夕刻、とどめなく天から落ちてくる雪を見て「月曜日だし
休もうかぁ・・」なんて気持ちが折れそうになっちまった。

一応隔週で月曜が定休なんですけど、先週休んだし・・。

でも考えたらウチの店の場合、賑わう(と、いうほど流行っ
てないけど)のは平日なんですよね。

この雪の中、せっかく寄ってくれたのに、店閉めてたら申し
分けない!と気持ちを奮い立て自転車で出発。

結果的にはそれで良かったんですけどね。(チョコももらったし)

ただ、今朝は頭が割れるように痛い。(実際に頭痛で頭が割れた
人は見たことないけど)

これは昨夕、雪空に無理して自転車で雪まみれになったから風邪
をひいたのか?いつもの二日酔い?

それとも最近ずっと続いている偏頭痛なのか。これは歯の噛み合せ
が悪いせいだと思うんですけど、脳の血管が詰まってたらヤダぞぉ。

とっとと病院行けばいいんですけどね。ま、とりあえず風呂に入って
出かけますか。(風邪だとヒジョ~にマズイことになるけど・・)



カレー炎の職人。

2011年02月14日 09時47分40秒 | グルメなのか?
どうも相方は食品売り場で辛いカレーのレトルトを見かけ
ると衝動的に購入するサガがあるようです。

私の場合はカレーに限らず、食品全般に及びますけどね。
外食時にメニューを開けて「激辛」の文字を見つけただけ
で、瞬時にソレに決めてますから・・・。

今回のglicoの「炎の職人」は「燃える辛さ 大辛」と表記
されていますが、これは一般人向けのレベルでしょうね。

私にとっては「炎」といってもマッチ一本分くらいの辛さ
ですナ。でもいつも言うように何でも辛けりゃいいってモン
じゃないですからね。

同社には「リー」っていう最終兵器もあるから、これはこれ
でいいかも知れませんんナ。

なんだか、そのうちご飯にタバスコやハバネロをかけるよう
になってしまいそうでコワイぞ・・・・。

離宮八幡宮。

2011年02月13日 10時03分11秒 | 京都非観光迷所案内
昨日の水無瀬神宮は阪急水無瀬駅で下車したんですけど、
位置的には大山崎駅との中間地点にあるんですよね。

帰り道に同じ道をたどるのも面白くないから、河川敷から
大山崎駅を目指したんですけど、途中で遭遇したのがこの社。

さほど大きな神社ではないのですが、表に掲げられていた由緒
由縁を読んで、アタクシ、最敬礼いたしました。

京都で有名な八幡宮といえば男山の「岩清水八幡宮」ですが、
なんとコチラが本家本元だったんですね。

領地も幕末の「禁門の変」で消失するまでは広大な土地を有し
ていたそうです。

なんせ、「西の日光」と呼ばれていたそうですから。室町時代
には賀茂神社の葵祭が「北祭」、こちらの祭りが「南祭」と称さ
れるくらい盛大な神事がとりおこなわられていたとか。

も一度、最敬礼。

なぜ、そのような広大な領地を有し、盛大な神事がとりおこなえた
かというと、バックに大きな経済シンジケートがあったからです。

神人(じにん)と呼ばれた商人が油の独占販売権を握っていたんで
すね。神人は他にも市内に存在していたけど、油からあがる収益は
莫大なものがあったと思えます。

なんせ、「油断大敵」ってのは油を切らすと大変だぞ~ってこと
ですからね。油売り発祥の地を示すモニュメント↓
  
この目玉オヤジみたいなのは、カラス除けかと思ったら違いました。
油の店頭販売店を示す商標で昭和中期にコンテストで決まったそう
です。でもあまり街中で見かけたことがないなぁ。↓
      
駅前で見かけた「大山崎猫」

阪急のホームから見た風景。よく考えたら阪急大山崎駅は初めて利用
したナ。JRの駅は何度か下車したことがあったけど・・・。

昨日の水無瀬神宮は大阪府でしたけど、ここはギリギリ京都府です。
周りはすべて市に変更したけど、未だ頑なに「町」を名乗ってます。

離宮八幡宮↓
http://rikyuhachiman.org/

水無瀬(みなせ)神宮。

2011年02月12日 15時46分02秒 | 京都非観光迷所案内
始めにおことわりしておきます、ここは京都ではありません。

ではなぜ迷所案内で紹介するかというと、後鳥羽院と惟喬親王
ゆかりの土地、だもんで番外編ということでご了承ください。
(なんだか理由になっていない気もするけど・・・。)

この水無瀬神宮は後鳥羽院の下離宮だったそうですが、それ以前
にも惟喬親王が業平と遊興に興じた地だったそうです。

それを知ったのは梅原猛氏の著書(京都発見)でなんですけど、
いつか機会があれば訪ねてみようと思っていました。

でもね、水無瀬なんて訪ねる機会なんてまずありませんョ。なんせ
今まで生きてきて、この駅で下車したのは初めてですから。

どうして訪ねてみようと思っていたか?というとですね、本殿に掲げ
られている御影をこの目で拝見したかったからです。

その御影は院が隠岐に流される時に似絵の名人、藤原信実に描かせた
そうです。(本物は京都国立博物館。掲げられているのは写しの陶版画)

↓時代の流れによる風化と暗さでイマイチ表情が分かりませんでしたネ。
  
父を偲んだ順徳天皇が流刑の地から移植したといわれる「都忘れの菊」↑


この神社には院の「手印置文」も残されており、写真(文献)で見たんです
が、手印の色といい、形といい、なにか鬼気迫るものを感じました、私。

梅原氏は残された2通のうちの一通には院が「生前においてすでに、死後に魔王
となる意思を、ここではっきり表現しているのである」、と述べておられます。

境内には「名水百選」にも選ばれた名水が湧き出ており、その水を汲んで帰ろう
と大勢の人たちが訪れています。でも神社のほうにはほとんどの人が一瞥もして
なかったなぁ。知らないぞ、魔王の怒りをかっても。

でも、長い時代の流れで院もまるくなって「しかたがないのぅ」なんて言って
おられるかも知れませんね。なにしろ八百年も経ってるだもんなぁ。

水無瀬神宮↓
http://www.shimamotocho.jp/gyousei/kakuka/kyouikuiinkaijimukyoku/syougaigakusyuu/rekishibunka/bunkazai/jisyabukkaku/1239601725777.html

一人川原で。

2011年02月11日 15時44分24秒 | つげ的風景
昨日の午後三時過ぎ、ワタクシ、このような寒々とした
河川敷を一人さ迷っておりました・・・。

今まで歩んできた人生を振り返りつつ、世をハカナンデ
入水地点を探していた・・なんてことはアリマセン。
 
ここは大山崎を少しさがった所なんですけどね、「水無瀬神宮」
を訊ねた帰り道に川原に下りてみただけなんです。

ただ川が見たかっただけじゃなくて、昔この辺りにあった港の
ヨスガを求めて寒空の下彷徨するとは、物好きにもほどがあるけど。

川向こうは橋本遊郭跡あたりでしょうか。その昔、アルバイト先の
おっちゃんが山崎から渡し舟で遊郭に通ったって話を思い出します。

もう一つの理由はイニシエのころ、この辺りは平安貴族たちが遊楽の
限りをつくした場所(少し南の水無瀬)だと資料にあったからです。

確かに木津川、桂川、宇治川が合流するこの辺りは風光明媚な土地
ではあったと思うんですけどね。

ただ、私が感じるのは、どこか荒涼とした空気なんですよね。荒涼は
言いすぎかも知れないけど、ナゼか人の匂いの希薄な場所に感じられ
るのです。港が栄えていた頃とは違うって理由を差し引いても。

無論、当時と風景は異なっているとは思いますけどね。嵐山から松尾、
桂あたりにも貴族たちの別宅は構えられていました。

当然、その辺りも時代が移り風景も変わってきていますが、なんとなく
人の気配というか匂いが感じられるんだけど、ここは違う気がします。

夏でも寒々しい寂寥感を感じるのはなぜだろう?そしてまた、そんな地
に「後鳥羽院」や「惟喬親王」はなぜ離宮を建てたのか?

後鳥羽院は隠岐へ流され、惟喬親王は出家して小野の地に隠棲され、また
親王と親しかった業平も晩年は大原野に隠棲。

自らの運命をそれとなく感じとっていた人たちは、それゆえこのような土地
に愛着をもたれていたのでしょうか?

なんて薄学なワタクシが推理したってロクな答えは出やしませんけどね。

おかしな雲行き。アラレまで降ってきやがった・・・。

明日は「水無瀬神宮」のお話です。(予告しないとサボってしまいそうだし・・。)

のれそれ。

2011年02月10日 09時04分33秒 | グルメなのか?
相方が夜の「キッチンバー」(厨房で飲んでます)用に購入
してきた「のれそれ」。正式名はレプトケファルスだそうです。

鰻の稚魚もレプトケファルスと呼ばれるみたいですけど、この
ままの姿で1メートルをこすのもいるそうですョ。

これはアナゴの稚魚ですが、以前は高知県まで行かないと口にでき
なかったけど、近頃はスーパーでも手に入れることができるんだ。

「のれそれ」の語源はドロメ(鰯の稚魚)漁の網に一緒にかかって
くるんだけど、ドロメはべったり網に張り付くけど、コイツはドロメ
の下にのったり、それたりして網の底へ逃げたりするからだとか。

淡路島では「洟垂れ」なんて呼ばれているそうだけど、確かにその
ほうが分かりやすいネーミングだけど、食品としてはチョットなぁ。

右の刺身は「ダルマ」。ビンチョウマグロの幼魚です。なんだか
「食のロリータ」みたいだぞ。

ダルマはマグロというより、鰹に近い味でしたね。

この「キッチンバー」、店で出すより良いもん食べているみたいです
けど、違いまっせ~。近所のスーパーの半額商品ですョ。

ところで背中の痛みがなんとか薄らいできました。のれそれ、ちがった
ヤレヤレ・・・・。

高速道路誕生の地。

2011年02月09日 09時02分18秒 | 京都非観光迷所案内
名神高速道路を京都南からのって東出口へ向かう途中、
こんな小さな看板が立っているのをご存知でしょうか?

「日本で最初の高速道路 名神起工の地」

そう、日本の経済高度成長はこの場所から始まったので
あります。(それは言いすぎ?)

私も長いこと名神高速を利用してますけど、気がついたのは最近
です。(それも助手席に乗ってた相方が発見したんですけどネ)

そうか、この場所から日本各地に高速道路が延びていったんだ。

え、それがどうしたって?いや、別にどおってコトないんですけどネ。

い~んです、どうせアタシのブログなんてど~でもいいコトだけで
構成されてるんですから。(今さら開き直ってどおすんだ)


朝はよ起きて。

2011年02月08日 09時15分35秒 | おもろい関西人。
「あさ~はよ~おきてぇ~、ひぃがしやま見れば~さ~る
のケツぅ、まっかっかぁ~♪」

私たちの年代はこの歌で太陽が昇る方角を覚えたと言っても
過言ではあるまい。(いや、過言かも)

少なくとも「天才バカボン」の主題歌で太陽の沈む方角を
間違えて覚えるという過ちから救ってくれたのは確か。(かも?)

この歌、いったいいつごろから歌われていて、今でも口ずさまれ
ているのだろうか?

相方に訊ねると、聞いたことはあるそうです。と、いうことは
下京区と東山区では歌われていた、ということですナ。

元歌があったのか、誰かが作詞作曲して密かに流行させたのか?
どうでも良いことがミョーに気にかかる今日この頃であります。

これは夕日ですけどね・・・・。


ところで、ぎっくり背中のほうですが、なんとか今日から仕事
に復帰できそうです。

ただ、調理場からときどき「ウグッ!!」なんて声が聞こえる
かも知れませんけどネ。(まだ完治はしてません・・・)