昨日、山王神社の帰り道(というか、こちらが本命の用事だった
んですけどネ)西京図書館までブラ歩き。
と、突然こんな建物にに遭遇してしまった。屋上やらベランダやら
にアチコチの方向に向かって居並ぶ人形たち・・・。
まるで人形が要塞を守っているかのように見えましたね。近くによって
みて納得。仏像などの製作所でした。
さらに近づいて看板を見たら「大仏師」と書かれた表札が目にとまりました。
「大仏師」なんて聞くと奈良の大仏みたいな大きな仏像を造る匠かな?と思って
しまいそうですが、これは称号です。
仏師の棟梁を大仏師とよび、職人は小仏師で、かつては大仏師は宮門跡を通じ町
奉行に伺い指示を受けていたそうです。
大仏師号は御所の許可が必要だったそうですが、現在はどうなんでしょうね。
昔は仏所で製造されており、七条仏所は「慶派」三条仏所は円勢、賢円、長円の
グループで「円派」、七条大宮の仏所は院尊、院実、院覚らの「覚派」と呼ばれた
そうです。
余談ついでに、大仏とよばれる仏像のサイズは「丈六」(4,8メートル)からで、座像
は半分の2.4メートル以上だそうです。
秀吉が京都に建てた大仏は奈良の大仏より3メートル高くて、19メートルもあったそう
ですが地震で倒壊、その後も建立、火災を繰り返し今では地名として残るばかり・・。
大仏さんは京都では暮らしにくいようですね。奈良の平城京の遷都の理由の一つに
大仏鋳造のため河川が汚染されたため。って説もあります。
どうも人間という生物は権力やお金を余分にもつと、このたぐいの建造物を建てたく
なるようです。バブルの遺跡だと思える大観音なども各地に残されてますよね。
んですけどネ)西京図書館までブラ歩き。
と、突然こんな建物にに遭遇してしまった。屋上やらベランダやら
にアチコチの方向に向かって居並ぶ人形たち・・・。
まるで人形が要塞を守っているかのように見えましたね。近くによって
みて納得。仏像などの製作所でした。
さらに近づいて看板を見たら「大仏師」と書かれた表札が目にとまりました。
「大仏師」なんて聞くと奈良の大仏みたいな大きな仏像を造る匠かな?と思って
しまいそうですが、これは称号です。
仏師の棟梁を大仏師とよび、職人は小仏師で、かつては大仏師は宮門跡を通じ町
奉行に伺い指示を受けていたそうです。
大仏師号は御所の許可が必要だったそうですが、現在はどうなんでしょうね。
昔は仏所で製造されており、七条仏所は「慶派」三条仏所は円勢、賢円、長円の
グループで「円派」、七条大宮の仏所は院尊、院実、院覚らの「覚派」と呼ばれた
そうです。
余談ついでに、大仏とよばれる仏像のサイズは「丈六」(4,8メートル)からで、座像
は半分の2.4メートル以上だそうです。
秀吉が京都に建てた大仏は奈良の大仏より3メートル高くて、19メートルもあったそう
ですが地震で倒壊、その後も建立、火災を繰り返し今では地名として残るばかり・・。
大仏さんは京都では暮らしにくいようですね。奈良の平城京の遷都の理由の一つに
大仏鋳造のため河川が汚染されたため。って説もあります。
どうも人間という生物は権力やお金を余分にもつと、このたぐいの建造物を建てたく
なるようです。バブルの遺跡だと思える大観音なども各地に残されてますよね。