秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

水無瀬(みなせ)神宮。

2011年02月12日 15時46分02秒 | 京都非観光迷所案内
始めにおことわりしておきます、ここは京都ではありません。

ではなぜ迷所案内で紹介するかというと、後鳥羽院と惟喬親王
ゆかりの土地、だもんで番外編ということでご了承ください。
(なんだか理由になっていない気もするけど・・・。)

この水無瀬神宮は後鳥羽院の下離宮だったそうですが、それ以前
にも惟喬親王が業平と遊興に興じた地だったそうです。

それを知ったのは梅原猛氏の著書(京都発見)でなんですけど、
いつか機会があれば訪ねてみようと思っていました。

でもね、水無瀬なんて訪ねる機会なんてまずありませんョ。なんせ
今まで生きてきて、この駅で下車したのは初めてですから。

どうして訪ねてみようと思っていたか?というとですね、本殿に掲げ
られている御影をこの目で拝見したかったからです。

その御影は院が隠岐に流される時に似絵の名人、藤原信実に描かせた
そうです。(本物は京都国立博物館。掲げられているのは写しの陶版画)

↓時代の流れによる風化と暗さでイマイチ表情が分かりませんでしたネ。
  
父を偲んだ順徳天皇が流刑の地から移植したといわれる「都忘れの菊」↑


この神社には院の「手印置文」も残されており、写真(文献)で見たんです
が、手印の色といい、形といい、なにか鬼気迫るものを感じました、私。

梅原氏は残された2通のうちの一通には院が「生前においてすでに、死後に魔王
となる意思を、ここではっきり表現しているのである」、と述べておられます。

境内には「名水百選」にも選ばれた名水が湧き出ており、その水を汲んで帰ろう
と大勢の人たちが訪れています。でも神社のほうにはほとんどの人が一瞥もして
なかったなぁ。知らないぞ、魔王の怒りをかっても。

でも、長い時代の流れで院もまるくなって「しかたがないのぅ」なんて言って
おられるかも知れませんね。なにしろ八百年も経ってるだもんなぁ。

水無瀬神宮↓
http://www.shimamotocho.jp/gyousei/kakuka/kyouikuiinkaijimukyoku/syougaigakusyuu/rekishibunka/bunkazai/jisyabukkaku/1239601725777.html