秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

糸目友禅のお話。

2007年01月30日 08時13分06秒 | 着物話
この前、蝋纈のお話をしたけど、本日は「糸目友禅」です。

友禅染めの名前の元となった「宮崎友禅斎」が考案したと言われる技法です。

友禅斎はもともと扇絵師です。天和3年の衣服制限令により、華美な着物
創りが禁じられ、それに変わるものとして友禅斎が考案した技法が「糊糸目」
を使用した「糸目友禅」、といわれてます。

その辺りの話や、加賀友禅との関連の話は置いときましょう。

おうちにある着物を良く見てください、絵柄の輪郭に細い線が入ってません?
(特に礼装用の訪問着、黒留など。小紋には使用する事はまずありません。)

これが「糸目糊」を置いた跡です。

写真の「黒留」は糊を落とした後、金加工しているので、白っぽくないけ
ど、普通は白く抜けたように見えます。

金の部分は「金屋」(とワタクシ達は呼びます。)と言われる職人の仕事で
すが「糸目糊」も専門の職人が受け持ちます。

加賀の場合、かなりの加工を一人で仕上げますが、これは今ほど「加賀友禅」
が流通していなかったため、かも知れませんな。

物の良し悪しではなく、「京の呉服屋」が江戸の販売先をガッチリ押さえて
いたんでしょう。

糸目糊は糯米粉に米糠、塩、消石灰を混ぜたものです。これに蘇芳を混ぜた
ものは「赤糸目糊」と呼ばれますが、高級品にしか使用していません。

今はほとんど「ゴム糸目糊」を使用してます。

退屈な話ですいません。もう少し長くなりそうなので、後は次回に・・・。



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4 コメント

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友禅 (やっぴー)
2007-01-31 00:37:47
友禅が盛んになったのは江戸の頃だそうな。
室町時代辺りは「繍・箔」での柄だったらしいですね。
そりゃあ手もお金もかかりますよねえ 
(友禅がお安いわけでもないのですが)
でも、お陰さまで素晴らしい柄の(重さほどほど)の
お着物が着られるので友禅斎さまさまですね 
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辻が花の謎。 (you_sai)
2007-01-31 07:00:03
一説では「辻が花」もこの法令によって一時消滅
した、と言われています。

が、法令に触れたのは「金紗、刺繍、総鹿の子」。
絞りは範疇外のはず。

繊細な糸目友禅と比較すると、稚拙なものに見えて
淘汰されたのかも知れませんね。

一竹氏が居なければそのまま歴史に埋もれたまま
の技法だったかも。

茶屋辻染めも近年復活されたけど、流通している
様子はありません。

結局、コストや時代感によってそのまま、消えさって
しまったり、復活したりするんでしょうね。

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Unknown (kazutoyo 妻!)
2007-01-31 07:37:49
あまりに知識不足で、一度で理解できず。
着物検定本で、おさらいしてみたら。
やっと、分かりました!

疑問を持ってから読むと、よく頭に入りますね。
鮫小紋も、二度と忘れないと思いますし。

それにしても、検定本、私には分厚い・・・です。
本当は、伝統の中で、日々親から子へ教え継がれるものだったんでしょうけど。
両親、典型的なモダン?家庭だったので・・・
一人で外国語を習い始めたような・・・
そんな気分です。
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説明が拙いもんで・・。 (you_sai)
2007-01-31 09:36:34
なかなか専門的な話を説明するのは難しいデス。

制作にもし、興味を持たれたら、「繊維技術センター」(今出川烏丸上がる東側)でビデオを販売していたと思いますが。
(今でもどうかは分りませんが・・・。)

でも検定には余り関係ないと思いますけどね。

知らなかった事や技術を覚えるのは大変だけど、
また楽しみでもありますよね。

ワタクシの場合寄り道が多すぎるけど・・。

主婦、育児、商売と大変だと思いますが頑張って
くださいね。

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