秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

河原町のジュリー

2006年09月06日 18時32分30秒 | Weblog
昨夜は四条河原町に用があり、久々に街を徘徊。

学生時代は毎日のように友人たちとウロツイテいたけど、
近頃では用事が無い限り、出向くことは無くなったナァ・・・。

待ち合わせの時間にまだ間があったので、近辺をぶらついていて、
ふと、思い出したのが「河原町のジュリー」。

当時(30年位昔だぞ~)、河原町で遊んでいる人間で知らない
モノはいなかった超有名人でした。

今でいうホームレスですが、そんなお手軽な呼び名では失礼な
ほど、独特な近寄りがたい雰囲気をもってはり(おられ)ました。

もつとも、何年も洗髪していない髪はコテコテのレゲェヘア、
顔は垢で真っ黒ヶ、服は異臭を放っているから、近寄りたくは無かったケド。

京都唯一の繁華街をユルリユルリと毎日歩いておられました。

近年どの街でも見かけるホームレスとは違い、何か哲学者のような
オーラをかもし出していたな・・・・。

京大の哲学科を卒業した、なんて噂もあったケド、真偽の程は?

教室で「昨日ジュリーが保険所員に髪、散髪されよったでぇ」
なんて話が出るほどの京都の隠れた有名人でした。

「河原町のショーケン」も一時出現したけど、ジュリーほど知名度は得られず、
短命に終わりましたね。

街の人達も河原町の一つのオブジェ?みたいに思い、彼に寛容だったのは、
時代のせいもあったかも知れませんナ。

ワタクシが河原町を卒業して、何年か後に氏が昇天されたニュース(噂)
を聞きましたが、今なら氏のホームページなどできたりして、
「今日のジュリーのおばんさいは、ハマムラの残飯でした・・・。」
なんてコトになっているかも。

早めに亡くなって良かったかも知れんナァ。

青春時代なんて言葉を使うと気恥ずかしいけど、同時代にお互い接点もなく
生きてきた思い出の一つでした。

京都に住んでいる四十代以上のヒトに聞けば皆、知っていると思いますョ。
(知らないヒトは河原町に出たコトの無い余程の堅物です。)

写真はジュリーとは直接関わりは無いけど、河原町では老舗の鰻屋さん
です。この店の前も氏は徘徊していた記憶があります。

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