HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

「産後うつ」

2008年12月05日 |  思いのまま
某新聞に「産後うつ」についての体験記が載っていた。
これは、記者自身が体験したものだった。
産後うつとは、出産女性の10~15%が発症すると言われ
無力感、絶望感等を感じるものだ。

この記事を読んで思った。

ワタシにあてはまるものがあったのだ(苦笑)

長女を出産した16年前、今のようにインターネットもない時代。
たよりは育児本と遠い実家の母。
実家から自宅に戻ったら、実家の母には甘えられない。
近くにはば~ちゃんがいたけど、ば~ちゃんは自分の子育てをそのまま押し付けてくる。

毎日毎日、自宅にくるば~ちゃん。
ワタシのすることに、あれこれと細かくものを言う。
そして、ワタシに長女を抱かせてくれない。

授乳をしていると「お乳が出てないみたいやね」と言い、ミルクを作らせる。
「Youさん、ミルクに砂糖はあまり入れちゃだめよ」
『え?ミルクに砂糖は入れませんよ』
「あ、そう?でもね、私の方が子育ての先輩なんだからね」
『・・・・・。』
ワタシからミルクを奪い取り、満足そうに飲ませていた。

長女が体を悪くしたとき、言われた言葉。

「あんたのお乳を飲んだから、こうなった」

そんなやり取りがあって、ストレスでおっぱいは止まってしまった。


「Youさん、この子はあんたの子じゃないよ。うちの子なんだから
 心して育てなさいね」
これが、ば~ちゃんが産後のワタシに対してかけた、初めての言葉だった。

その当時、バカがつくほど真面目だったワタシ。
その言葉をまともに受け取ってしまった。
家にいると、毎日ば~ちゃんがやってくる。
そうすると色んな事を言われる。
それが耐えがたくて、朝から毎日公園へ行った。
街の中を、散歩した。

しばらくすると、今度は
「Youさん、あんた昨日●時頃、○○に居たでしょ。
 私には知り合いが多いから、あんたの情報は入ってくるのよ」
と、言われ始めた。
そうすると、今度は外出恐怖症になった。
どこでどんな風に見られているか、わからない。
用事以外は、外へは出なくなった。

外へ出ても、家にいても、落ち着く場所がなかった。
抱いても泣きやまない長女。
手をあげそうになったこともあった。
でも、小さな小さな子には、出来なかった。
自分が不安定だから、子供が泣きやまないと理解していても、当時の自分にはどうしようもなかった。

夫に訴えても、不思議そうな顔をするばかりだった。

そんな中、決定的なことを言われて、長女と心中を考えた。

でも。
その時、思った。

死んだら負けだ
長女の人生を、ワタシ自身の手で下ろすことはできない。
この子には、たくさんの可能性がある、と。

思えば、「産後うつ」の解消になったのは、他ならないば~ちゃんの存在だった。
当時は、負けるもんか!と思っていたけど、
今思えば、ば~ちゃんの口から出た言葉も、長女を大切に思ってのことだと理解できる。
ただ、ば~ちゃんの我の強さと、言葉選びが悪かっただけだ(苦笑)

そして、近所の人の言葉。

「ひとりで育ててるなんて、偉いね。うちの娘なんて、毎日のように帰ってくるのよ(苦笑)」

あぁ、ちゃんと見ていてくれる人がいる。
どこかで、誰かが評価してくれるんだ。
そう思えたのが良かったのかもしれない。

今では、昔の見る影もないば~ちゃん。
人の力を借りないと、生活できない。
もちろん、ワタシが受けた嫌なことは、今でも心の中に根強く残っている。
でも、それとこれとは全く別のもの。
今のば~ちゃんは、今のば~ちゃんでいい。
そう思える。

「産後うつ」が人に広く知れ渡ったなら、そうかもしれないと思うお母さんは
すみやかに相談された方がいいと思う。
ワタシはたまたまラッキーで、自分で解消できたけれど
たまには、人の手を借りてもいいと思うよ。
なんてったって、命をこの世に生み出した人だもの。
ちょっとは楽しても、いいじゃない?(´∀`)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする