ぼやき、ぼやき、ぼやき(^^;)

元助監督で映画キャスティングマンの

「母の尋ね人」自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第8回

2020年05月17日 | こらむ
「母の尋ね人」自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第8回
木曜ゴールデンドラマ
オンエアー日程不明→どうしてもわからない
出演:市原悦子・鶴見辰吾・村井国夫・野村真美
監督:河野 宏
制作:PDS
小料理屋をやっている市原悦子は、若い頃に産んだ子供を施設に置き去りにした過去がある。生活が安定した頃、その子供を探そうと、新聞の尋ね人蘭に、1年以上にわたって広告を出していた。板長の村井国夫さんと結婚しようと決めた時に、突然、尋ね人(鶴見辰吾)が戻ってきて

このドラマのデーターだけがどうしてもヒットしません。録画ビデオはあるのですが・・・1986年から1987年頃と思われます。私はセカンドになっていたはずで、やっとビデオドラマの撮影に慣れて来た頃でした。その頃撮影スタジオでは、当日の撮影分の割り本だけを持って撮影していました(いつ頃からそうだったか、私は知りません)。ロケーションもそうだったような記憶があります。本来フィルム撮影のドラマであれば、全体の台本を持って撮影するし、私はそのように育っていました。しかし、スタジオドラマという4カメの世界では、当日の撮影分だけカメラ割り用のラインが引いたものが印刷されて、スタッフに渡されます。当日分ですから、薄い物でした。それをGパンの尻ポケットにつっこんで撮影に挑みます。その割り本を作るのは、監督と演出部、技術スタッフ。整理して印刷に回すのが、アシスタントプロデューサーの仕事のようでした。制作会社によって、その役割はかわってくると思います。このドラマの時、自分が割り本作りにどうかかわったか全く記憶にありません。たぶんチーフ助監督の示野さんと監督で割りを切って(カット割りを作って)、印刷に回したと思います。なぜなら、私がそのような事に慣れていないということを、御存知だったからではないかなと、今は思います。フィルム育ちのADさんには、頼めない事と思われていたのかもしれません。撮影が終了すると、スタジオのあちこちに、割本の残骸が捨てられていて、心が痛んだ事をよく覚えています。大切な台本を、撮影現場に捨て去っている・・・フィルム育ちの私には、信じられない光景でした。その日のスタジオ撮影にしか参加しないスタッフが大勢いたから、しょうがなかったのかもしれません。私も、だんだんと慣れてしまいました。良くも悪くも、スタジオドラマ撮影は、1シーンワンカットで、大量の分量を撮影していました。
私がなぜスタジオドラマに参加するようになったかというと、やはり時代とともにフィルムの番組が減ってきたからでしょう。私もビデオ番組に慣れなくてはいけないという気持ちもありました。映画の仕事は、私を映画の世界に入れていただいた熊井啓監督以外には、あまり「つて」がありませんでした。その「つて」で映画の仕事のお誘いがあるのです。「お吟さま(1978)」「ザ・ウーマン(1980)」「天平の甍(1980)」「謀殺・下山事件(1981)「幻の湖(1982)「海に降る雪(1984)」など1年に、1本の映画の仕事。それも熊井啓監督がらみばかり。それでは生活していけませんでした。
ロケの思い出は、おじゃました川治温泉の料理が最高で、プライベートで絶対行きたいと思っていました。しかし未だに実現していません。たしか、川治温泉高原荘だったと思います。ネットで調べたら2017年に閉館となっています。ああ、またひとつお礼が言えなかった・・・・出演者の一人、野村真美さんが美しくて、また現場で会いたいなぁと思っていましたが、それも果たしていません。市原悦子さんとは、その後もご一緒する事はあったのですが・・・(笑)javascript:void(0)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿