8月6日午前8時15分。Jアラート、全国瞬時警報システムのスピーカーからサイレンが流れる中、東の空に向かって黙とう。
77前のこの日このとき、あの忌まわしい原子爆弾が広島に投下され瞬時にして15万人の尊い生命が消滅させられた。
核兵器の恐ろしさを改めて思い起こし、戦争の愚かさ、核兵器のむごたらしさ、を世界中の共通認識として取り上げ『核兵器のない永遠の平和』を叫ぶ広島平和の祈念式典が行われた。
生後3才と半年の小生に原爆投下の直接的な記憶はないが、5才6才になって行くうちに「あの子もこの子もピカドンでハングリーハングリー」と囃し立てることで空腹を紛らわせる日々であった遠い記憶は、身体の奥に沁み込んでいる。
原子爆弾は人類の破滅を招く。核兵器は地球を滅ぼす。と声高に叫び続ける一方で、核兵器を保有する一部の国は、益々その精度を上げどのような使用方法が効果的であるかを日夜考え抜き、その上で「核の使用も辞さない」などと脅しをかける。言いようのない矛盾と空しさを感じさせられる。
「最初に核を使用したら、他の核保有国が束になって核攻撃を辞さない」といったような、核を使用したら自国が核で消滅させられるという危機感を持ち合うような国際機関ができないものか。大量に核兵器を持つ国だけが、他の国は核兵器を持ってはいけないなどと言う論理がいつまで通用するのか疑問である。
近くのレンコン田んぼでは、お盆を前に見事なハスの花が咲き乱れている。この純白清楚な風合いの中に蓮台を秘めていて、仏の優しさにつながるハスの花が咲く季節。そんなときのお役目に「お墓の清掃」がある。朝6時前、バケツ2杯の水や掃除用具一式を積み込んでお出かけ。涼しいうちの1時間できれいに仕上げる。汗はしたたるが、今年から取り入れた洗車ブラシを使っての墓石磨きがずいぶん効力を発揮した。
仕上がって微笑んでいるようなお墓に手を合わせて退散。一つの肩の荷を下ろす。そしてまたいつもの通り、この作業が後何回できるのか、その後はどうするのがベストか、色々考える。
世界平和とお墓掃除。並べて語るには問題ありとは思うが、個人としては「生きるということ」のテーマの上ではどちらも大切なことではある。