「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

[秋となすびと昔話」

2022年08月24日 | 晴耕雨読

                  

この夏もいよいよ二十四節季の一つ「処暑」を過ごした。だんだん暑さも収まるころのはずなのだが、なかなか暦通りには行かないところが味噌である。
そもそも処暑とは、暑さがとどまる、落ち着くという意味がある。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきて秋の実りを予感させる晩夏そして初秋へと続く季節の変わり目でもある。

今年初めて挑戦した夏野菜のナスとカボチャ。どちらもそこそこに実って、初挑戦にしては上出来!と自分では思っている。
カボチャの方は、スイカと同じツルものなのでもう完全に終わってしまった。だが、ナスの方は相次ぐ雨不足に喘ぎながら、葉っぱをダラリと下げながらも花を咲かせ実をならせている。これはピーマンも同じである。

そこで、そろそろ秋の収穫を狙って、一度丸裸にするほどに鋏を入れて枝葉を刈り込む。ナスもピーマンも同じようにする。そうして小枝があまり横に張り出さないよう周りを縛ってやる。少し窮屈にしてやると、真ん中の幹を中心に元気を出して、秋の収穫を期待させる花が咲き始める。
問題はその新たに実った秋ナスの話である。耳にされた方も多いと思うが「秋ナスは嫁に食わすな」という古諺がある。

それも、善意を込めた場合と、ちょっと皮肉を込めたイヤらしさを表現している場合と、相反しているのが面白いと言えば面白い。
善意は「秋のナスは美味しいのだが灰汁(あく)が強いため、あくの強い嫁になってもらっては困るので食べさせない」というもの。
今ひとつは「秋のナスはあくが強くて美味である。こんな美味しいものを嫁に食わせてなるものか」という姑根性を言い表わしたもの。
さてアナタはどっち好み?まあ遠い昔話としてサラッと流すのがよろしいようで。

いずれにしても、今まで一生懸命生ってくれた、ナスにもピーマンにも、もう一踏ん張りしてもらって、美味しい秋ナス、秋ピーマン食べさせて頂けるよう、手を入れ肥やしを入れて、作り手のほうももう一踏ん張りの晩夏である。

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