今年4月に急逝した姉の霊が迎える初めてのお盆。迎え火には一日早いが今日、ごく身近な数人でささやかに新盆・初盆の供養をした。
6人いた姉弟の上から4人がみんな逝ってしまい、残されたのは5番目の私と6番目の妹だけ。そんな二人が久しぶりにゆっくり話をするチャンスに恵まれた。先に逝った姉や兄たちとは結構年が離れている二人ではあるが、年下なりの厳しい観察眼は持っていたらしく「へーそんなこともあったの」「それは知らなかったねー」などといった思いがけないエピソードが色々。良くも悪くも姉兄の棚卸をして昔話を笑いあった。
これはこれでいい供養になるのだろうと思う。故人たちは黄泉路の向こうで「そりゃちょっと違うよ」とか「そんなことをしたかなー」などと弁解したり苦笑しているかもしれない。いずれにしても、姉弟という強いきずなは切っても切れないし、切りたい時があっても切れないもの、そんな宿命を背負って生きるのが家族という集団生活である。
思い返せば、姉弟ゆえの物心両面で苦労に押しつぶされそうな一時期もあった。なんとか耐えて今、幼いころの欲も得もなかった昔を妹と思い返す楽しいひとときでもあった。
この手で新盆供養をしたのは、母の時以来である。正式なしきたりなど習熟したわけではないが、問題は、供養する側の気持ちの有り様なのだと思っている。
迷わず我が家に一度戻って来て、お盆が過ぎたら再び黄泉の国で平和に暮らしてくれることをひたすら願った。こんな思い、届いてくれると信じることも肝要であろう。