アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

信州山旅 2011年夏   その5. その他の信州の風景 2018年8月

2018-08-31 23:45:28 | 信州山旅 2011年夏

5. その他の信州の風景  2011年夏

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蓼科にて

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夜明けの白樺湖

昼過ぎに大阪を出て、夜に白樺湖に着きそのまま車中泊。

しかも土砂降りの雨。翌朝起きてみるとこんなきれいなところで

寝ていました。

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蓼科山から下山して、移動中に蓼科の街中で観光馬車に出会った。

後続の車が渋滞しても、だれも文句は言わない。みな車の窓から携帯を

出して、パチリパチリ。


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諏訪にて

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夜明けの諏訪湖

夜の花火の最中に諏訪湖に到着。花火が終わってそのまま車中泊。

翌朝周りを見渡すと、ここもきれいな公園だった。

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湖の中で、女の人が立っている。説明板が無いので 誰なのかと聞いても、地元の人はみな知らない。

稲田姫ークシナダ姫だという地元の女性もいた。

素戔嗚の奥さんがなぜこんなところにいるのか???)

おそらくこの地を開拓して成功したタテミナカタの母上

沼川姫(ヌナカワ)姫だと私は思うけど。

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諏訪大社 下社秋宮

諏訪大社は出雲王朝の第八代主王 八千矛(記紀では大国主と書き換えられた)

の時代の副王八重波津身(記紀では事代主と書き換えられた)の次男「タテミナカタ」が

祀られているのでぜひたずねて見たかった場所だ。

紀元前3世紀末 秦国から大量の海童とともに 石見の五十猛海岸にやってきた

徐福とその忠実な部下の穂卑(ホヒ 今の出雲大社宮司の祖先)たちにより 言葉巧みにおびき出されて幽閉殺害された

主王大国主と 副王事代主の皇子たちはイズモから離れた方が多かった。

事代主の奥方の一人 沼川姫は皇子の建御名方を連れて 実家の糸魚川にお帰りになった。

建御名方は 大勢のイズモ族や 越の人々を連れて諏訪湖周辺に進出して この地の開拓に成功し

諏訪地方で 崇められて諏訪大社の主祭神 となられる。

しかし 後ほど徐福の子孫達の物部族により 出雲王家は西暦265年滅ぼされ

その後の大和政権の中枢に登り詰めた藤原不比等らにより書かれた記紀(直接の命令者は持統女帝)

では タテミナカタは大和政権の武闘派「タテイカヅチ」に出雲から

追われ この諏訪の地に閉じ込められたとかかれた弱い皇子にされてしまった。

しかし 何処の馬の骨か分からない渡来人の血を引く 不比等などと違い わが国最初の

王朝出雲王家の 正当な血を引く第八代副王八重波津身の血を引き 第九代出雲主王となられたはずの

立派なお方であり 諏訪湖地方の開拓に大成功されて この地の尊敬を一心に集める建御名方が

不比等ら渡来人の末裔達は 気に食わなかったのだろう。

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秋宮の中には、なぜか「タテミナカタ」つまり「お諏訪様」を追い込んだとされる

張本人の「タテイカヅチ」も祀られている。不思議なことだ。

歴史勝者の渡来人系の末裔藤原不比等らが祀らせたのだろう。

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下社秋宮には手水に温泉が湧いている。

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こちらは下社春宮の本殿。ここも立派だ。

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「タテミナカタ」の母上「越のヌナカワヒメ」を祀っている末社。

本社はもちろん越の国つまり越後の糸魚川市にある沼川姫神社です。

しかし言代主(恵比寿さんとも記紀では書き換えられた)

の奥さんは沼川姫のほかにもう一人、摂津三島から出雲に来られた活玉依姫(いくたまよりひめ)も

いらっしゃった。沼川姫はここでは安産の神様として有名らしい。

※松江市の駅前商店街には「沼川姫」という土産物屋さんがあります。

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上社の鳥居も立派だ。雰囲気が「出雲の国一ノ宮の熊野大社」によく似ている。

※ 熊野大社は第二次伊豆も戦争で九州物部軍が 東征の途中に滅ぼされた出雲王家のうち

東出雲王家の富家が その後暮らした建物です。

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上社前宮には、お諏訪様つまり「タテミナカタ」の父君言代主時代の主王

(大名持)八千矛(やちほこ)記紀では「大国主の命」(通称大黒さん)

も祀られていた。

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諏訪大社といえば「御柱」

各社の四隅に建てられている。これは秋宮の御柱。

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高遠城址公園

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この門は、何とかさんという豪商の門を解体移築したものだそうだ。

なかなかお城に溶け込んでいる。もちろん回りはみな桜の木。

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立て札には「この桜は高遠小彼岸桜の再生手術の成功例」と説明してある。

桜の時期に見てみたいものだ。

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