怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

観察スケッチ

2007-05-31 06:21:28 | 教育
スケッチについて気になった事をメモリーしておく。

観察には視点がある。
写真でなく、スケッチなのは、その視点が明確になるからだ。
だから、スケッチは自分が「描き(残し)たい」部分をクローズアップし、その一点から描き始めることが重要になる。
(これを指導すると、植物観察などで植木鉢や地面から描くものはいなくなる。)

ちなみに、こちらから視点を与えるのも初期段階ではありだと思う。
「アゲハチョウの幼虫の足は何本あるか?分かるように描こう」

「朝顔の葉の葉脈(とは言わないが)は、始点が一つです。何本出ているかな?葉っぱに描いてみよう。」
などでもずいぶん違ってくると思う。

色づけはしないか、しても薄くぬらせる(色鉛筆を寝かせて塗らせる)。
だから、時間がない、手際の悪い子がいる、などの対応は、色づけの有無を問わなければ割とできる。

中学年ぐらい(私は低学年でもそうするが)ならば、線画で描く指導をするべきだろう。
「鉛筆では塗らない。」「太さがわかるように描く。」などなど。

このとき、前後関係がわかるように描く指導をする。
前任校の図工の先生から教わったのだが、茎に枝を書き添えたとき、茎と枝の接続部分に線が入るか入らないかで前後がわかる。
(この指導はすぐに分かる子は限られるが、経験を積み、継続指導することで広まることは分かっている。)

五感に触れるものを記録するだけでなく、量的なものを記録させることも基本になってくる。
秤やものさしなどでもよいが、規準単位になる物を与えて「いくつ分」でもいいと思う。

記録を絵に直接書き込むときには、絵にかぶらないように言った方が見やすく記録が残せると思う。

こういったことは毎時間指導が必要だが、やり方を掲示するなどして指示を簡略化するといい。

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早寝早起き朝ご飯教の布教活動

2007-05-31 06:00:05 | 教育
>もっとこの問題に
という「この」のは何を指すのだろうか?

>起床が早く、バランスのいい朝食を食べている家庭は、生活にリズムがある。
というのを受けているのであれば、
起床が「早い」、「遅い」
または、
バランスのいい朝食を「食べている(家庭)」、「食べていない(家庭)」
のこと(ないしは両方)であろうか?

この手の宗教活動に千葉大学が協力しているとは困った問題だ。
数値の取り扱いも極めて恣意的ないしは作為的、誘導的だ。

「この問題」の指すものがそういったものであれば、どう対策を講じればいいのか。
それ以前に、「なぜこういう生活習慣であるのか?」という社会科学的な問いにこたえようという話に聞こえない。

「学校も関心をもて」というが、学校に起床を保障するシステムを導入し朝食給食でもせよというのだろうか?
(いっそ寮制にでもするのか?)
まさか啓発活動を勧め、家庭にプレッシャーを与えよといっているのではあるまいか?

子どもの生活習慣は、よくもわるくも保護者の生活状況に影響を受ける。
起床が遅い(就寝が遅い)、朝食を食べれない(用意できない)家庭は、にっちもさっちもいかない状況を抱えている可能性がある。
そういった家庭を支援するシステムを構築するということなのか?

そうは聞こえない。

また、「そのような生活習慣をすればいい」というのは、現時点で宗教的な話にしか思えない。
それだけに集約する矮小化された問題になってはならないと捉えたい。

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「早起きの子どもは学校が好きで楽しい」 3都県調査(朝日新聞) - goo ニュース2007年5月29日(火)12:00
 早起きの子どもは学校が好きで、楽しいとも感じている――。早起きと学校好きの間にそんな関係があることが、教育学や食物学の専門家でつくる「子どもの生活リズム向上のための調査研究会」の調査でわかった。

 東京都2校と千葉県、鳥取県の各1校の計4校の小学5年生231人を対象に06年9月、5日間の行動や意識について調べた。それによると、学校を「とても楽しい」と答えた割合は、6時半前に起きる「早起き」の子が46%に対し、7時半以降に起きる「遅起き」では18%にとどまった。また、「早起き」の子は、7割以上が8時前に登校し、下校も午後4時半以降が33%と最も多く、学校に長くいることを好む傾向も表れた。

 一方、学校が「とても楽しい」子のうち51%が、主食や副菜などが4品以上あってバランスが良い朝食をとっていた。 研究会代表をつとめる明石要一・千葉大教授は「起床が早く、バランスのいい朝食を食べている家庭は、生活にリズムがある。学校も家庭も、もっとこの問題に関心を持ってほしい」と話す。

ILOなど日本に調査

2007-05-30 23:09:47 | 教育
ふむ。文科省と教委と現場教員の関係が微妙なものなのかな?
どういう結果になることやら・・・。

ILOなど日本に調査団 「指導力不足」教員の認定めぐり(朝日新聞) - goo ニュース2007年5月28日(月)09:08
 日本の教員の地位は国際的に見て保護されていると言えるのかどうかを確かめるため、国際労働機関(ILO)とユネスコの合同専門家委員会(CEART)が年内にも日本に調査団を送ることがわかった。CEARTは03年、指導力不足教員の認定と教員評価制度について、「教員の反論の機会が十分でない」として、教職員団体と文部科学省が対話するよう勧告したが、政府は「国内の事情を理解していない」と受け入れを留保してきた。

 教員評価はこれまで各地の教育委員会ごとに実施してきたが、その後、指導力不足教員の扱いを盛り込んだ教育公務員特例法の改正案が今国会で成立する見通しになった。勧告に法的拘束力はないが、現地調査に基づき改めて見解を出した場合、安倍首相が提唱する「ダメ教師の排除」の仕組みづくりにも影響を与える可能性がある。

 この問題は、全日本教職員組合(全教)が02年、各地で導入が進む指導力不足教員の認定制度が「教員の地位に関する勧告」に違反するとして、CEARTに申し立てて始まった。CEARTは文科省の意見も聞き、「制度をつくるにあたって、教職員団体との協議が不十分と推測される」と判断。指導力不足教員の認定については「有効な反論の機会がない」「不服申し立ての権利が非常に限られている」と指摘し、両者に対話を続けるよう求めた。

 この勧告に、政府代表はILOの理事会で「一方的な主張に基づいており、日本国内の状況について不理解がある」と反発。CEARTは引き続き問題を検討してきた。

 その過程で、全教は「調査団を送って欲しい」と求め、文科省も「直接、教委に聞いて欲しい」「すべての教職員団体から意見を聴くべきだ」と同意。CEARTは今月、調査団を送る旨の通知を送った。

 CEARTは地位に関する勧告が加盟国で守られているかどうかを確認するほか、関連する国の教職員団体からの「勧告違反」に関する申し立てを審議する。今回のように、当事者の合意が得られ、CEARTが調査団を送るのは、世界的にも初めてという。


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教育改革のゆくえ(岩波ブックレット)藤田英典著2006.11.02

2007-05-30 22:54:55 | 教育書
この本を紹介しようと思っていたら、ゆーじさんと学力テスト(実施反対)シンポジウムへ行ったことを思い出した。
この本の発行は教育基本法改悪直前なのだ。
学テ実施直前にシンポジウム会場で手に入れたことを思い出した。

シンポジウムには藤田氏も来ていた。

彼の存在は、「教育改革」をキーワードにしたとき、なくてはならないものになっている。

私のブログの言説は、もっとも影響を受けているのは藤田氏だと断言できる。
それは、おそらく彼がもっとも政治的な発言をしている学者だからということでもあるのだと思う。

本書はコンパクトながら、自民党やその周辺で推進してきた「教育改革」というものの諸悪を明るみにするだけでなく、正当なカウンター理論の端緒として機能するであろう側面を抱えている。

だから、まずは昨今の教育改革に関して疑問に思う人は全員読むべきテキストだろう。
また、教育改革に賛意を持つ者も同様で、その考えが明らかに悪意であるという自覚を持つ為に読むべきだろう。

NHKスペシャル「学校ってなんですか?」その2で書いた番組中、藤田氏は司会の人に、
「今、教育に何が必要ですか?」
と訊かれ、
「信頼」と答えていたことを思い出す。

その時はなぜ「信頼」なのだろうか?とすんなり飲み込めなかったが、今はなるほどと思う。

シンポジウムの時もそうだったが、藤田氏は政治家の恣意や経済界のジコチューは相手にしていない。
有権者に期待するのも時間がかかる。
「当事者」に期待し、地域の真に必要から教育制度の見直しを図っていく構えなのだ。

今、信頼を必要としているのは、そういった地域性の回復を前提としたコミュニティのリバース(再生)なのだ。
政府や変なナントカ会がいう「再生」ではない。

「信頼」をたぐる道筋を考えていきたい。

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掲示

2007-05-30 19:17:01 | 教育
学んだことを整理して大きく張り出すのが、学級経営上、「いい掲示の基本」だそうだ。

私にはなかなか難しい。
あれもこれもと考えがまとまらなかったり、はりだす手間がかかり、余裕がないときはできなかったりする。

あるとき、掲示板以外に掲示物を貼るなといわれたことがある。
これは壁が汚れるという事務的な理由。
あとの修繕費用を考えろということらしい。

しかし、よく見ると、あちらこちらの掲示跡があるある。
みんなそういうことよりも掲示すべきと判断してどしどしやっているのだな。

では、遠慮せずに掲示してみよう。

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困った子は困っている子(クリエイツかもがわ)大和久勝編著2006.08.31

2007-05-28 04:40:00 | 教育書
生活指導誌をエントリにしていたら、この本を思い出した。
いつかメモリしておこうと思っていた。

「共感力」の著者:大和久先生が編著なのだが、書中の実践に対する著者は今関先生を始め、生活指導誌でもなじみのある方々。

ある意味、生活指導誌の特別号のような気がする。

書名の「困った子は困っている子」は言い得て妙なのだが、それに即した実践例を紹介しつつ、必要な手立てがまとまって読める点は書籍として優れていると思う。

つまり、単なるマニュアル本のような体裁はもっていない点がよいのだ。
どういう視線で、どういう考察を経て取り組んで行くべきなのかという「捉えの理論」のようなものまで包括している。

しかも、引き込まれるような実践集なので読みやすい。

「軽度発達障害」の問題(意識)は、新しいようで古くからあるのだと思う。
割と校種が違うと(特に高校)、そういった問題について身近に感じたり、それが通常であると考えたりしないかもしれない。

そういった経緯も飛び越えて、「子どもと向き合う」という意味の重要性を教育書というレベルで展開していることは大事だと思う。
教員でも親でも、どんな人も読める(むべき)内容だと思った。

私は逆になってしまったが、既出の「共感力」よりも先に読むといいと思う。

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生活指導6月号(明治図書)全国生活指導研究協議会編

2007-05-28 04:16:44 | 教育書
特集2「教育再生会議第一次報告」を批判する。

すでに第二次報告の原案が発表されているが、連続している話でもあり、これは読むべきテキストだと思った。
本当は全部コメントしたいけれど、長くなるので・・・。

「1.総論」に対する批判を熱い言葉で折出先生が語っている。

国家主義的な色彩に染めようという中で、この報告の子ども観の異様さと、現場無視の「評価と支配」がはびこる刹那的な実績主義を批判している。

「2.ゆとり教育見直しの問題(提言の1)」を子安先生が明解に読み取って伝えている。

(多元的)能力主義の徹底と格差教育の推進による「学び」の質の減退を批判しているのだと受け止めた。

ここは他の提言への足場として重要な部分だと感じる。
この暴力的な方針を認めてはならないと思う。

一方、最後に「教師の知恵」を対抗として出してまとめるところが子安先生らしい。
どういった「知恵」が必要になるのか、具体的には、きっと私の思う感触とは違うのだろう。
想像(創造)できない私の阿呆さが問題だろう。実践を繰り返しつつ学び続けたい。

「3.いじめ・暴力と規範教育の問題(提言の2、3)」を楠先生が解説し批判している。

「パワーの濫用」という言葉を使っているところが興味深い。
特に、国家による「パワーの濫用」が生み出す怖さについての記述は、これからの子どもや子どもを取り巻く状況を考える上で大事な指摘だと思う。

学校を小さな市民社会として捉え、集団作りをするという生活的、即時的、必然的な要求を掘り起こし、問題行動や反社会的行動をとる子どもの捉え方まで強調してまとめている。

「4.真の学校・教育の再生のために(提言4と5)」では小島先生が「免許更新制」について批判している。
「5.家庭教育の問題(提言7)」では山田先生が「社会総がかり」の意味について批判している。

この号はマストでしょう。

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やさしいソーシャルスキル教育(ほんの森出版)小林正幸2005.12.12その1

2007-05-28 03:48:27 | 教育書
本当の書名は「先生のための やさしいソーシャルスキル教育」と冠がつきます。

昨年度、生活指導上の校内研修で前任校に来校して講習会で講師をやってくれた小林先生の本。
講習会でも自著ながら是非にと紹介していた。
売り歩いているようには見えなかったので購入。

自分のクラスにいる子どもを講習会後に相談にのってもらった。
「私は子どもの状況に対して個別に細かくアドバイスできる専門家ではないけれど、そういった専門家への橋渡しはできる立場です。」
と、おっしゃっていて、当該の子どもに対応する先生の名前を伺えたのは、後にその子のためには活きたと思う。
講習会も短い時間を要点をしぼっていい情報を与えてくれた。
特別支援教育などに関わって、小林先生の話を(しかも講演会でなく、あんな距離感で)聞けたのは非常にラッキーだったと言わざるをえない。
メールでの相談もしていただけるとの約束も得た。

前フリが長くなった。

私は、正直、「ソーシャルスキル」というのは疑ってかかっていた。

○○スキルというのに、誤解の生じないものは出会ったことがなかったからだ。
単に(文字通り)技術的な信仰が先行していて、内実が軽薄になっているものが多いものも多いように思っている。

ましてや、本来「ソーシャルスキル」は精神科などの心理治療の分野で、子どもに適応するにはそれなりの注意点があるものだと思っていたからだ。

本書をここでメモリしようと思ったのは、前半でそういった注意点を無視しない経緯を説明しようとしていると感じたからだ。

前にやったことがあるけれど、ここから先は章立てに対してコメントを記述する形式にしようと思う。

まず「はじめに」の部分。

ソーシャルスキルが以前は「自然に身に付けられてきたもの」という指摘から始まる。
それは人間関係の基本技能であり、社会生活を営む人の生き方にとって必然性があることを印象づけしていると思った。

また、そこには、心理学を齧ったことがあるものならば必ず耳にしたことがある「モデリング」や「オペラント条件付け」などの理論から始まって説明されている。

小林氏の捉えとして、「近年の子ども達のソーシャルスキルが稚拙化した」というものがある。
その背景の説明は傾聴に値するべき部分があるし、この捉えは、社会科学的な理論の構築が待たれるが、本書の主張を下支えする理念がある。

「情報交換遊び」の指摘は、今時の子どもを見る視点の一つになるだろう。

ただ、1960年代に兄弟姉妹の数が減ったのは数値として分かるのだろうが、70年代の終わりには異年齢集団で遊ぶことは無くなったというを玩具との関連と考えるのはどうだろうか・・・。
私の実感としては、一面で正しいようで、それはそういう面で捉えただけに過ぎない気もする。

一方で、確かに「情報交換遊び」という見方は、後付け的な理解としては正当性をもっているようにも思える。

何にしても、そこからどれだけのものが引き出されるかが次ステップへのポイントになるだろう。

さて、本格的にはまた次回。

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運動会終了

2007-05-27 19:47:40 | 教育
と、いってもウチの息子の学校。

私の所属校は秋。
個人的には秋の運動会の方が好き。

担任が子ども達の様子を掌握している状況、時期的な余裕、そんなことからいいものができる気がする。
(ま、あくまでも気がするだけだったり・・・。)

特に、6年生にとっては最後の運動会という意味付けが(卒業行事により近く、2学期にあるだろう他の行事もそう見えている分)よりしやすい気がする。
ただ、スケジュール的にはキツいんだよね。

1年生にとっても学級のまとまりや指導の入りやすさは春よりも秋だろう。

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免許がない!って映画の・・・

2007-05-27 01:48:32 | 教育
CMの台詞が、舘ひろし。
「ハンコくれよ!」

わけのわからん話をしていますが、映画の話ではなく、そう叫びたい今日この頃。

異動先の勤務校のペースは今一つかめていない気がするけれど、前任校よりはあくせくはしていないようだ。

でも、一つ困っているのがハンコ。

私は学級通信を出す人なのだけれど、決裁のハンコがないと印刷に回せない。

そのハンコがなんと5人分も必要なのだ。

私にとって、学級通信は「生モノ」なので、その日の出来事を「夕方作って次の日の朝に出す」というパタンを確立したい。
しかも、昼には下校が1年生なので、印刷は期限は朝以外にない。
次の日の「中休み」はあってないようなもの。
だから即日の決裁が望まれる。

で、夕方、まず学年主任に渡す。
ほとんど読まずにハンコ。
これはまぁよい。お互い忙しいもの。(ホントは読んでほしいケド)

で、主幹1、主幹2を経る。
ここまでが、その日の内にいけばまあ御の字。
彼らの出張があると最悪。諦めるしかない時もある。

でも、この後副校長の机の書類箱へ。
ここが問題。
まず、朝に見てくれるかどうかで勝負が決まる。
でも、たいてい見ない。昼ぐらいに回る。
で、校長。
もどりは再び副校長。

たいてい中一日は費やす。
ひどいときは三日間返ってこない。
水曜日に決裁請求を回すと、返ってくるのが金曜日。
おい来週に出せってのかー!と怒りたくなる。

「こんなんじゃ出す意味ねーよ!」

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あまりの遅さに、聞こえよがしにぶちぶち言うこともあるのだが、そんなことより最悪の状況は不決裁。
内容を差し替えないとダメってやつ。

マジかよ。(と、絶句。)
子どもの生活の様子を具体的に書いたものは結構はねられる。
「誤解を受けやすい」が理由。

でも、結構、とんちんかんなところが子どもらしい部分じゃない?!
そこから大人が気づく事や複雑に思える人間関係を切り口かえて見ることができるじゃない?!
そんな理由は心の中の戯れ言でいっぱいになる・・・。

もう出すのやめようかな・・・。
あるいは何も語らず写真のみ。
くそっ!(っと、今日はくさってみる)

ちなみに他の書類も遅いから、そうとうキツい。

現役教師が活用する仕事術(ぎょうせい)小林正幸/大熊雅士共著2007.01

2007-05-27 01:24:13 | 教育書
残酷な用い方かもしれない。
本書を次の記事のための前フリに使ってしまう。

正直言って私的には対費用効果のない書物だった。

小林氏は以前このブログでも触れた信頼できる優秀な方。
大熊氏は間接的に知っている人だった。

そのネームと、そこらの下馬評を信じてネットで購入。

果たして・・・。
結局は幾多ある仕事術のほんの一部を垣間見ることができる程度で、Only OneでもNo.1でもない技術だと思った。

ここにある仕事術を役に立たないとはいわない。
たいしたことがないと断じるようなものでもない。レベルはそこそこある。
いいと思う。
大いに利用できるものもあるだろう。

けれど、私は利用しようという部分があまりに少ない。
単純に本書と私の実践の相性かもしれない。

もしかしたら大熊氏の指導の下で育った教員と付き合いがあったせいかもしれない。
少なくとも新鮮でも刺激的でもはないのだ。

しかし、「仕事術」というタイトルと、この著者。
期待されないのが不思議だろうに。
出されたもの(仕事術)がだれかの批判に耐え、選択、精査された様子がうかがえないのがちょっと・・・。

今、初任者などでなく、割を食っている年代の教員に対する仕事術、生活術、処世術(管理職よりでないもの)は欲しいなと思う。

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で、何が前フリかというと、小林氏の著書でいいものを次に紹介したいからだ。
(あ、大熊さんは、本書でおしまいです。きっと二度と私のブログには載らないでしょう。)

おこってごめん(自戒)

2007-05-27 01:07:53 | 教育
クラス経営の反省。
自分の芸風には少しは自信があるのだが、もうちょいリラックスしないとダメだ。

最近そっち方面ではスランプ。
隣のクラスの子どもに人気が出てしまう。
悪循環にならないようにしないと・・・。

年度当初、やはり「荒れ」の後の「クレーマー」が怖い季節。
弱い私は融通が利かない。
そこが図太くなればこの時期ももっと楽しめるのに・・・。

ここを越えたらリラックス。
もう少しやれたら笑顔。
こういう反応が返ってきたら遊ぼう。

そんなことを考えていてはダメだ。それではダメ。
それは子どもの責任にしてしまっている。

叱ってばかり、注意ばかり、事前に転ばぬ先の杖のクセは勢いを殺す。
もっと盛り上げないと。

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音楽回顧録「Maria McKee」

2007-05-26 16:35:19 | 音楽
基本的に女性ボーカルは個性が強めの人が好き。
張りが合って、高音も低音も彩りがある人。

Mariaの声はそう言う意味で当然のごとく基準クリアだった。

なぜ聞いたかというと、Marvin Etzioniだ。
そのMarvinはVictolia Williams。
VicはWilliam Brothers。
もってまわった言い回しになったけど、結局、佳曲「Can't Cry Hard Enough」なのだ。

この曲は、今では、911の追悼ソングとして有名になり、どっかのカントリー歌手やどっかのハワイアン歌手までカバーしていたりする。

けれど、90年代。
この曲に出会って、失恋の体験に被ってしまって、めちゃくちゃ泣いた身としては、そんな扱いにヒジョーに興ざめな限りだ・・・。

カウガールブルース(Even Cowgirls Get The Blues)という映画があった。
(そこにはVicも出ているし、大好きなKd.Langが音楽をやっている。)

ここいら辺のカントリージャンルというくくりのアバウトさには腰を抜かすのだけれど、最終的にThe Jayhawksまで繋がってグーンとアメリカンミュージックの懐の広さと世間の狭さ、それでも美しいという不思議な感覚を覚えたことを思い出した。

Marvin Entzepniと組んでいたLoan Justice時代も好き。

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あ、音楽ヨタ話になってしまった。
ついでに言うと、この3rdソロはカントリーのくくりでは語れない。
彼女のぶっ壊れ具合が極まった一品。
強烈。

つねに現場発ではない

2007-05-26 15:49:23 | 教育
現場の声。
今の先生の生の声。
なんて言われると、最近はヒジョーに違和感がある。

このブログを始めた当初は、「都の教職員」だからとか「小学校のセンセ」的なことも考えないわけではなかったのだけれど、今はそういうくくりで書いていない。

先日、若い人と話す機会があったので、自分の研究に対する想いの一端を伝えた。

私の性格と同様、単純な理由で、
「自分のやっていることに自信がもちたかったり、確固たる達成感を得たい欲求があるからやっているんだよ。」
「仕事のようで仕事じゃない。もちろん残業代も出ない。でも、仕事にフィードバックするものでしかないし、生活も不安定になるけれど精神的には安心なんだよ。」
なんてね。

でも、そんなにその人には共感してもらえなかった。

前から分かっていたけれど、私のような阿呆な選択しかできない不器用な人もいるし、そうでない人もいる。
だから、周りの人と違っているというのを当然視してセンセをやっていないと気が晴れないと思っている。

だから私のブログは必要上「都教諭」のカテゴリに入ってしまうのだろうけれど、極めて私的なものとしてやっているつもりだ。
だから(というのは変だが)都の小学校教職員で共感してコメントを付けてくれる人は極めて稀だとも思っている。
私のリンクは東京都以外が多い。

これも東京都の実態なのかもしれない。

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紅の豚

2007-05-25 23:15:59 | 映画
宮崎駿作品の中では趣味性が強く、いつもの作風イディオムが多用され、一方で言葉が浮いて聞こえてしまう実体のないような台詞が多いので、そんなに好きではない。

ちょっと見まがうと、松本零士のコックピットシリーズや新谷かおるのエリア88を連想してしまう。
好き者とはこういうことなのだろう。

息子は見たいが為に夜更かし。
親としてはもうちょっと押して寝かせればよかったと反省している。
先ほどベットに即撃沈した。

なぜエントリを立てたかというと、何の気なしにつき合って見ていて、最後のテロップになった。
それもぼんやり見ていたのだが、カミさんが、
「あ、Kさんも出ているね。」
と、つぶやいたのだ。

「そうなんだ。ふうん。」
と生返事をしながら、大学を卒業して映画界へ転身した先輩を思い出した。

こういうテロップに自分の名前がのることを言っていたっけ。
紅の豚のテーマの一つでないが「誇り」なんだろうな。
そう思った。

(いつも通り)我が身を振り返り、研究冊子や授業者として名前が印刷されるときに、どれほど誇らしげにいただろうかと考えた。
残念ながら、納得できるような仕事の形は皆無と言ってよいほど残っていない。

いつか胸を張れる仕事を形にしたいものだと思った。

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