怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

いやな判例

2011-05-30 22:38:45 | 教育
卒業式で国歌の起立斉唱命令、最高裁が合憲判断(読売新聞) - goo ニュース

「命令」の不当性や経過事実、政治(介入)性などの是非に結論が出た訳ではない。
あくまでも「命令」が先にあり、それに対する判断ということとなれば、こういう判決は大いに可能性があった。

そういった意味で、今回の裁判闘争は、負け試合であったように思える。

私的な意味での問題は、やはり「経過」にある。
そして、「君が代、日の丸」は管理統制、政治の介入のきっかけづくりの道具としてあり、非道なものだ。

「君が代」を「社旗」と同様に扱ったり、「愛国心」をそういった部分で表せないのであれば「日本を出て行け」などという話は、無知でサイテーの暴力なのだ。

都下の式からは、在校生の飾りが排除され(沖縄では、地域の人々の思いのこもった装飾さえ引きはがされ)、在校生からの言葉も、卒業生から地域、保護者、在校生、教員に向けられた言葉や歌も、壇上を全員が向いたままだ。

過去の式からは考えられないほど、文化は崩壊した。
再生はかなわないだろう。
理由は簡単だ。

当然といいたいが、それ以上に

2011-05-29 22:01:50 | 教育
子どもの被曝量、年間1ミリシーベルト以下目標 文科省(朝日新聞) - goo ニュース

当然の配慮だろう。

それ以前に、東北地域の人たちの避難移住を考えたとき、そこにかかる保障コストよりも、現状維持の上での保障コストの方が安いかどうかという議論があるのだそうだ。

人道的な見地から言えば、コスト云々よりも、さっさと避難した方がいいと思っている。

無論、地元が、人間関係が、残される財産が、様々なものに関わる感情的な問題はあるのだけれども、ここまで危険視され、しかも危険であるかどうかの情報が操作されている可能性のある状況で、行動的には何ができるのだろうか。

逃げるという選択肢が有効の時期にそうするべきだと私は思っている。

こういうのをファシズムという

2011-05-29 21:46:41 | 教育
国歌起立条例案に大阪府教育長は「反対」 知事と食い違い(産経新聞) - goo ニュース

東京都の石原の場合、教育長を自分の肝いりをおき、通達という形で強制を行った。
橋下の場合、条例化という方法をとった。

どちらが教育に対する政治的な介入として筋が通せるかといえば、明らかに前者だ。

土台、条例によって教育に関わる活動に対して政治介入ができるものではない。
それがあった場合、それこそ上位にある法の精神として、それを推進下側の瑕疵が問われる。

教育への政治不介入は、戦後の教育の精神だ。
政治による介入を許した教育を行えば、それは社会の刷新が不可能になり、迎合的な人格を生み出す危険性を多いにはらむ事になる。

橋下はたぶんそれがわかっているだろう。

つまり、これは政治パフォーマンスとして喧伝されることを目的としているきらいがある。

本来、教育指導要領の政治性も問題なのだけれども、それさえもオーバヘッドしてしまう条例は不可能だろう。
これを黙認するとしたならば、全国的な反対運動がおこらねばならないだろう。

なんにつけ、こういう形で教育を犠牲にしていく大阪府のやり方というのは、他の闇を覆い隠してはしまわないか、心配だ。

橋下支持者が多いように見える大阪府。
アホなことをやっていないで、正常な倫理観のある人にやってもらった方がいい。
そのための努力や、そういった方向への賛同を広げてほしいものだ。

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2011-05-19 22:32:53 | ニュースから
大阪教育長「現場に任せて」「君が代」条例めぐり知事に(朝日新聞) - goo ニュース

「教育に対する政治介入」という違法を条例という煙でごまかそうとしている橋下だが、それを見苦しいとか、不当だとか、冷静に判断できる人は大阪には望めない。
もともと橋下を選んでいる時点で終わっているとも言える。

ほとんど石原都知事と同じなのだけれども、条例にすることに正当性があると踏んでいる点で、より悪い。

広島の件もそうなのだけれども、『君が代』『日の丸』は管理統制のためのツールとして機能し、児童、生徒の教育の目的のためなどとは一切考えられていないのは明らかだ。
(広島の件は、自己の出世の為に教育の長として文科省から天下った輩・・・その後、別件で逮捕されている人物・・・の手柄作りでしかなかった。)

また、どこかの校長が死んだり、どこかの教員が訴訟を起こしたりするのだろうか。

今の政治世界のように、足の引っ張り合いのみがそこに存在する。

式なんて、今まで通りでいいではないか。
そう思えない時点で我慢ができない輩が多すぎるといったところで、そんな我慢云々がわかっている輩の話ではない点に欠陥がある。

いっそのこと、たくさんの人が悩み悲しむ「君が代、日の丸」なんてなくしてしまえ。
と、放言しておきたい。

(以下、引用)

大阪教育長「現場に任せて」「君が代」条例めぐり知事に
朝日新聞2011年5月19日(木)15:37

 「大阪維新の会」の大阪府議団が5月府議会で成立をめざす君が代斉唱時の教員の起立義務化条例案について、同会代表の橋下徹知事は19日、中西正人教育長と意見交換した。中西教育長は来春の卒業式から府立学校の全教員に起立を求める職務命令を教育長名で出し、不起立の教員には現場の指導で対応する考えを表明。しかし、橋下氏はあくまで条例化をめざす姿勢をみせた。

 中西教育長は「問題のある学校には、文書や口頭で教員に指導し、学校の現状に応じて粘り強い指導を続けていきたい」と述べた。これに対し、橋下氏は「僕の立場で号令をかける」と主張した。

 維新の会は君が代条例を5月府議会で成立させ、繰り返し起立を拒む教員を懲戒免職にする処分条例案を9月府議会に提出する方針だ。府教委はこれまで、教員の不起立が目立つ府立高校の校長を面談などを通じて指導。校長は指導に従わない教員に対し、文書で職務命令を出してきた。

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2011-05-15 17:43:47 | 教育
国歌「起立義務付け」 大阪府立校など 維新が条例案(産経新聞) - goo ニュース

10.23通達&横山の校長呼びつけ会の大阪版といったところか。
否、条例化とは、もっとひどい。

教育に政治が介入しようとは戦中並み。

大阪も地に落ちた。

「式」の方法を条例にすることが教育の理念、教育基本法、指導要領に照らしていいものか!?

もっといえば、これで職員の信用失墜を問うというセンスは、刑法などの「事後法の禁止」的な気分でいえば、なんたることかと思ってしまう。
信用失墜として処罰するための法律といっていいではないか。
なんて嫌らしい。

異常な雰囲気の卒業式をみてきた私としては、こういう縛りを後づけで持ち出す連中のファッショな態度は吐き気がする。


(以下引用)
国歌「起立義務付け」 大阪府立校など 維新が条例案
産経新聞2011年5月14日(土)15:25

 大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」(維新)の府議団が、府立学校の入学式や卒業式などで国歌を斉唱する際、教職員に起立を義務づける条例案を5月定例府議会に提出する方針を固めたことが14日、わかった。維新は府議会で過半数を占めており、可決される公算が大きい。府教委によると、教職員の国歌斉唱時の起立を都道府県で条例化したケースはないという。

 5月の府議会では、自民が府立高校を含む府施設での国旗の常時掲揚を義務付ける条例案を提案する予定。維新は「反対はしないが、会派の考え方を反映させた修正案を出したい」として、国旗の常時掲揚に加え、府立学校の教職員に対し入学式や卒業式での国歌斉唱時に起立することを義務付ける条例案を検討している。罰則規定は盛り込まない見通し。

 一方、自民会派の幹部は「罰則のない条例は有名無実。条例として扱うべきかにも議論の余地がある」と述べ、両会派の条例案の一本化には、否定的な見方を示した。

 学校の入学・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱は平成元年の学習指導要領で義務付けられた。府教委は14年以降、府立学校の教員に対し、国歌斉唱時には起立するよう文書で指示している。

 条例案について橋下知事は同日、記者団に対し「ルールを守らないごく一部の教員により、ほかの9万人の職員の信頼失墜になるのが残念。条例が制定されれば府として処分の基準を整えたい」と述べた。

引っ込みがつかない小学校英語

2011-05-15 17:27:42 | 教育
教えて!ウォッチャー…小学生から英語は身につけるべき?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース

文科省がどう取り繕うとしても『小学校英語』が、
1.現場教員、児童双方の無用な時間&精神的、発達段階的負担増であり、
2.御用学者以外のアカデミックな裏付けもまったくなく、
3.社会的な要請を反映しておらず、
4.必要な予算、人材などを充当せず、
5.現場の意見などまったく聴かず、
6.英語活動なのか国際理解なのかコミュニケーションなのか、全てを混同するような論理で、
進められているのであって、
これまでに導入、推進で扇動役を果たした、某政党、英語教室などの業界、御用学者、などの思う壷になっている。

冷静に考えれば、小学校英語なんてものは導入できないのであって、今、そこで英語嫌いを発生させているだけでも悪としかいいようがない。

百歩譲って、英語活動の体験が、将来の高等教育における英語コミュニケーションのハードルを少しでも下げるとして、その恩恵を享受できるものがいかに少ないかを考えるべきであろう。
対費用効果としてなっていない。

最も効果があがるのが、英会話教室の繁栄である。

英語を話すことに慣れたからといって、「生きる力」だというのは片腹いたい。
また、学習材としての英語を主張するのであれば、なぜ小学校からなのかをはっきりと説明してほしいものだ。

更に言おう。

5、6年生の英語活動が必修になったのは、他でもない、もうなし崩しである。
しかし、1~4年生の英語活動はどうだ。
総合的な学習の時間の無駄遣いか、特別活動の無駄遣い。
はたまた余剰時数という、本来は計画的に事前運用など設定してはならないものに手を出す始末においては、未履修問題と同等に過(剰)履修問題といってよい。
これが許されるならば、余剰時数を計画的に運用して、他教科にも傾斜配分すべきであろう。
台風で登校できない日があっても、インフルエンザで閉鎖時期があっても、冬や春休みなどを潰してでもそういった時数は確保される?そんなばかなことがあるわけがないだろう。

せめてネット上では「英語」という引き金を引いた連中を糾弾すべし。

はっきり言った方がいい

2011-05-08 20:36:47 | ニュースから
大気の放射線量、4県で平常値上回ったまま(朝日新聞) - goo ニュース

経済活動のみならず、このままでは継続的な暮らしができないと。

民が動かないと公が動かない図式もあるかも知れないが、責任を公が負うと言うか言わないかが政治的な話なのではないだろうか。

私も自信をもっていっているわけではないのだけれど、言っていかないとならない気がしている。

土壌汚染はやっかいだ

2011-05-08 10:45:31 | ニュースから
校庭の放射線量、再び基準値超す 福島の中学校1校(朝日新聞) - goo ニュース

大気や海洋、河川などの汚染は、いわゆる化学物質などの公害汚染においても、結局は流出していってしまう部分が多く、具体的にフィルタリングしたり専断したりという物理的な対応でやりすごすことができるものも多かったが、土壌や地下水などの汚染は、その挙動が不明瞭だったり、残留するものが多かったりで、具体的には汚染された部分を廃棄しなければならない物理的な問題が大きい。

しかもやっかいなのは、その汚染源が放射性物質だということだ。
さらに、未だに降り積もってくる可能性が高いので、単純除去だけでなく、専断しなくてはならないのだけれど、そのどちらも物理的な問題が大きい。

個人的には、土壌を廃棄するよりも、人間が動く方が効率的だとは思う。
無論、感情的な部分の問題が残るのだけれども、放射線などを浴びていないで、はやい決断が求められる気がする。

大学が始まってみたら、人がいなくて定員割れとか、大学機能が働かないので、別な場所に移転して開始なんてところの話を聞く。
だれかが残ろうとすれば、それにともなって残らざるを得ない人もいるのだ。
そういった人たちの被害は自己責任では済まされない部分もあるだろう。

「場当たり的だ」という評価もあるだろうけれど、ことは最悪の状況なのであって、長期的な見通しに立って大ナタをふるっていく判断をくださなければ、「場当たり」は続くだろう。

一番の問題は、そういった見通しを許さない東電側の問題と、そういう方向のコンセンサスを得ようとする活動に関わる見通しづくりのなさなのじゃないかと思っている。

先の大学は、すでに5年間は戻らないとしている。
それって大学の学生的には一回り以上だ。
それくらいの判断は今すべきじゃないだろうか。

なんだか知らんが

2011-05-03 17:42:55 | ニュースから
「倒閣」手詰まり感 小沢氏派も自民党も(朝日新聞) - goo ニュース

管たたきをしようが、民主党たたきをしようが、建設的ではないわな。

私自身は民主党が政権をとる/とらないという時点で否定者であるから、そもそもを語れば「誰が政権の舵とりをしようが」どうでもいいのだけれど・・・。

何につけ、今は非常事態。
まずは「東北を救う」の一点だろう。

その点で現政権を使える状態にしていくのが野党の短期見通しであるハズと私は考えて見守っている。

そして問題は、「東電の事実の隠蔽」「長短期的な課題の不透明化」を許さないこと。

該当する東北の人たちが、長期的にそこに住めないのであれば、その保障を東電も国も負うべきだろう。
今更、その地方自治体が背負えるものはないだろう。

経済力弱体化は事実だし、今後も見通しが暗いだろうから、その点をちゃんと引き受けて行く構えを見せるべきだろう。

放射線問題は東日本地域の生存権を脅かす重大事なのだから、まずはそこにいる将来を担う子どもたちを生きやすいようにする手だてを全国的な課題として捉えていかないとならないだろう。

そう思っている。

どこかの学者が参与を辞めたそうだが、中長期的な見通しが立たないのであれば、立たない状態を放置しないで、大きな損失を覚悟で、まずは100%安全な場所へ生活しやすい状態をつくるための努力をするべきだろう。

どう斜めに見ても、原発周辺地域へ人が安心して戻れるわけがないのだから、ちゃんと切り替えるべきだろう。
チェルノブイリをこえる被害という意識であたるべきだろう。
安全に過ごせるかも知れないなんて、博打なことをいっていないで、最大限の保障をすべきだと思う。

簡単に地域の人をその場から移すわけにはいかないだろうけれど、そういう見通しを国がまずもった方がいいと
なんかこの点については無理をしていないだろうか?
悲観的といわれるかも知れないけれど、どこかの外国人あたりに「もどれそうだから行きたいか?」とでも聞いてみればいい。
土地が、住まいがなくなる、故郷が、自分の地域が、コミュニティが失われる。
でも、生きてほしい。
私がひどいヤツになってもいいから。