怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

大量にエントリを増やしている

2007-05-14 23:26:47 | 戯言
前にもこれをやったことがある。
コレクター気分でやっている部分を自覚している。

でも、今回はそれに加えて、前のエントリを覆い隠す意味をもっている。
また、読み手を意識しないで、少々ラフでもあとで調節すればいいやという気分で、できるだけ自分にかぶってくる責任的なプレッシャーを拭うようにしたいと思ってやっている。

自分のそのときの気分や思考過程が雑然と記録されている方が、実際の頭の思考過程に近く、リアルかなと思ったからだ。

ランキングアクセスの「教育ブログ」において、1日1回更新程度に数字が戻ったらペースを緩めたい。

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改憲法案成立

2007-05-14 16:28:07 | 教育
憲法の改憲条文の実効性をもたせようという法案だが、「なかったからそれを作る」というのは正当なようだが、その経過を無視していいわけではない。
「なぜこの時期に強行してさえつくろうというのか?」に応えない点で、悪意ととられても仕方がないのではないだろうか。

そんな言い方ないだろうが、ここではそういった強行の意思を「悪意のある正当性主張」という定義でいきたい。
結局、「はじめに改憲ありき」なのだ。
また、つまりは9条だとも思う。

というのは全国的にこの改憲議論に関して「そこに注意しろ」と声をあげている9条の会の運動をみても、自民党(民主党もだが)達は呼応しようというふりさえ見えない。

それは「護憲」という立場の泣き言ではないか?という「改憲賛成派」の指摘に対してやっぱりいいたい。

では、なぜ(特に9条を)かえる(かえたい)のか?と。

その議論とセットでなければ「悪意のある正当性主張」というそしりを受けても仕方がないのではないだろうか?

「悪意」で結構というのであれば話にならないが・・・。

また、これも言いたい。
全国民的な議論を待たずに改憲することになった場合、その実行による不利益が出た場合、責任はどうとるのか?

一応補足すると、民主的な手続きを簡便化し、程度を下げてまで憲法をかえるということは、憲法というものの性質上まずいのではないのか?と。

では「改憲法案」は不要か?という問いがでるかもしれない。

それは全国民的な議論が改憲の意思を示してのちにでも法案は成立しないか?
(少数意見など聞く耳もたないとばかりに)手続き的に進める現在の改憲法案論議は異質異常ではないのか?
過去に国策として旧憲法が国策が手続き的に犯してきたあやまりを踏む機会になりはしないか?
こと憲法に関わる問題は他にかえようがないほど重要ではないのか?

国政をバランス的に考える人にはなおさらいいたい。
現在の体制翼賛的な資質をもった自民公明民主各党の状況はおかしくないか?
右傾化する世間の様相を感じないか?

私は極めて反対だが、それに近い者たちは声をあげにくくないのか?

国旗国歌法の時もそうだった。
成立の経過はいかにも機に乗じてという感じだが、結局は少数意見の無視、現場などの声を無視したものだった。
成立すればそれを盾に議論をすすめる暴力的な連中がはびこった。

9条をかえ、憲法の性質がかわれば、それを盾に、経過を無視した議論がさかにんになることは必定だと思う。
できればそういった厚顔無恥な連中とのやりとりは勘弁してほしい。

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