いい加減な時期に設定されているのだが、教員の評定報告は2月の初旬くらいだから仕方がないのだろう。
(初任者の時は3月末までは試用期間と脅されたっけ。)
自己申告書に今年度の成果と課題を書き、5段階の自己評価を書く。
評価基準が出されていなかったのだが、今年度はなんとなく出てきた。
もちろん内容はナイヨウ。(オヤジギャグでスマソ)
因に全部自己評定5で出す強者もいる。
だけど全然そこに突っ込まないのは、その評定が形骸のものだということの証拠だ。
この書類はそういった意味で「捨て」である。
だーれも見ないから、管理職の突っ込みの道具でしかない。
アホくさいので今年度も適当に磨きをかけて提出済み。
なんにしても今回の面接はいかに流すかだ。
異動先の連絡はまだまだ先だし、話すことなんて何もない。
(たぶん相手もわかっているだろうからサクッと終わるだろう。)
「管理職も評定がされ、管理統制が厳しくなり、つらい立場だから・・・」なんて言う人もいるが、なりたくてなった人なのだから、そんな感情を下の者である私が受け止める気はない。
(頭を下げて来るなら別だけれどね。)
最近思うのだが、学校を経営する側の人間が組織を利用することしか考えなくなりつつある。
組織を思うだとか育てるだとかいう面倒なことを投げつつある。
だから下の者は生き抜くために狡猾に、そして地道に子どもと保護者を取り込まなくてはならない。
対立していくのではなく、つかまらない隠れ蓑として。
(初任者の時は3月末までは試用期間と脅されたっけ。)
自己申告書に今年度の成果と課題を書き、5段階の自己評価を書く。
評価基準が出されていなかったのだが、今年度はなんとなく出てきた。
もちろん内容はナイヨウ。(オヤジギャグでスマソ)
因に全部自己評定5で出す強者もいる。
だけど全然そこに突っ込まないのは、その評定が形骸のものだということの証拠だ。
この書類はそういった意味で「捨て」である。
だーれも見ないから、管理職の突っ込みの道具でしかない。
アホくさいので今年度も適当に磨きをかけて提出済み。
なんにしても今回の面接はいかに流すかだ。
異動先の連絡はまだまだ先だし、話すことなんて何もない。
(たぶん相手もわかっているだろうからサクッと終わるだろう。)
「管理職も評定がされ、管理統制が厳しくなり、つらい立場だから・・・」なんて言う人もいるが、なりたくてなった人なのだから、そんな感情を下の者である私が受け止める気はない。
(頭を下げて来るなら別だけれどね。)
最近思うのだが、学校を経営する側の人間が組織を利用することしか考えなくなりつつある。
組織を思うだとか育てるだとかいう面倒なことを投げつつある。
だから下の者は生き抜くために狡猾に、そして地道に子どもと保護者を取り込まなくてはならない。
対立していくのではなく、つかまらない隠れ蓑として。