怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

日の君問題

2006-09-29 19:09:18 | 戯言
国旗・国歌ではない、例軍旗の歴史をもつ旗と民主主義ではない歌の話。
特に、時事的に後者の話。

(どちらもマイナスイメージを何をもって払拭したいかは別で、変えてもいいという議論になってほしいものだ。
八方丸くおさまるだろうに。)

予防裁判という形で立ち上がった401人には拍手を送りたい。
また、現実的な判断をくだした東京地裁にも合わせてである。

職場で、
「歌わなくてよくなったんですよねー。」
という若者。
「そうそう。いい判決でたよねー。」
と返すベテラン。
思わず、
「いや、通達が違法。処分が違法の判断だから、結局は歌わなくてはならないんですよ。」
と私。
(・・・意気消沈する二人)
「言い方を間違えると、変な右翼に突っ込まれますよー。」
とだめ押ししてしまった。

あくまでもセレモニー。
仕切る側は歌わなければならない。
サボタージュする人は、それなりの方法でどうぞ。そういうこと。
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都教委は、まだ式に教委の人員を送り込み、無用で不潔なチェック(椅子に尻がついていないかー?口を開けてるかー?音声出てるかー?)をするのだろうか?
そんな金と暇と人がいるならば、他にやる仕事があるだろうに。
フロアー形式という、あったかい形の伝統を一つを潰し、権力をもって行なう(日の丸掲げた)壇上式をやりたければ、それも指導要領に盛り込むがいい。
日の君問題は、実は「つまらないことに時間を費やす」ということなのだ。
「税金返せ!」と叫んでもいいくらいに。
これの主犯は、都教委と教職労組なのだ。
そして犯罪の幇助をしているのは、国民なのだ。
(特に、ちっとも問題を直視しない者や、「歌えないなら国を出て行け。」と暴言をもって議論しない「荒らし」の輩はそうなのだ。)

401名は、その蚊帳の外にいる存在らしいから、そうであればなお偉い!

そんなあんたも必要だけれど、いらなくもあるのだよ。

2006-09-29 07:24:26 | 戯言
「自分に向かない」…校長・教頭の降格申し出が激増(読売新聞) - 9月24日16時39分更新(yahooニュース)

>文部科学省によると、全国の公立小中高校などで2005年度に自ら降格を申し出た管理職は71人。
>01年度の26人から3倍近くに増加した。

制度の導入、権利の公表、普及に伴う部分もあるのだろうが、やはり、それなりの覚悟がないと管理職は勤まらないのだろう。

教師世界の階層を上がっていくと、子どもの育む活動へダイレクトに触れられなくなるというイメージを私はもっているが、どうなのだろう。聞いてみたいものだ。

管理職は老兵的な部分があってほしいとも思う。
人生の先輩として、相談にのれるような人でなければ、結局は信頼できないと、個人的には思う。
ま、そんな心意気をもった人はマイノリティだろうが・・・。
現在の管理職に求められる力はそんなものではないのは承知でいっている夢想なのだが・・・。
思わずね・・・。

はっきりいって、端から見ていて、今の管理職には夢も希望のかけらも見受けられないよ。

私の周りにいる人で、
「えらくなって、教育を変えてやる。校長になって、好きかってやってやる。」
そう息巻く人がいるが、冗談だとしか思えない。
そんなことできないからだ。

「自分の指導も古くなったし、年齢も感じる。管理職へ・・・。」
そう。それはわからないではない。
でもね。そうでなくやっている人もたくさんいる。
ロートルとして「勝ち組」を目指すのはいいが、校長室にこもって出てこない人になってほしいよ。
逆に言えば、現場の苦労はわかっているのでしょう?

指導主事あがりだよん!研究員あがりだよん!困難校を変革したよん!自治体首長の肝いりだよん!
そうですか。他でやってください。あんたのための現場じゃないですよ。


管理職は、所詮、お役所の上役でしかない。
渉外活動も、人員配置も、報告書も、市役所のそれとほとんど変わりないように思える。
もちろん、そういった仕事をこなせる人がいるから学校が動くというのは否定しないし、ありがたいとさえ思うこともある。

(でも、今まで、そんな仕事さえ不適格な人もやってこられたようにも思えるのだが、・・・つまり、現場教諭では立ちいかない人が昇格していた・・・あ、これは個人攻撃か・・・。)

ま、そんな感じ。そんな人だったら、私には無関係の人だねぇ。
「降格希望が増えた」っていうけれど、その裏には何があるのかねぇ。


そういや「統括校長」って、上級役職ができるのだったっけ。校長クラスも平と御上ができるのねぇ。
そりゃ、はっ!喰らわば皿まで!
歴もきいてくるだろうねぇ。
(保護者のみなさん!そういう校長に、ぜひ協力してください!あなたのことなんて踏み台扱いなんですから!)


これって、よくある上司批判?(笑うしかないねぇ)
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英語導入否定見解

2006-09-28 16:14:03 | 教育
小学校の英語「必修化の必要ない」伊吹文科相(asahi.com2006年09月27日22時06分)

>伊吹文部科学相は27日、「私は必修化する必要は全くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と話した。

>前任の小坂大臣は「柔軟な児童が、英語教育に取り組むのは否定すべきことではない」
という見解から、
>文科省は来年度の概算要求で、主に「総合的な学習の時間」で行っている英語活動を充実させるため、統一的な補助教材の作成や小学校英語に特化した教員の研修などを盛り込んでいる。

なんという醜態。
大臣が換わるということはこういうことか!!

個人的には、小学校の英会話教室導入が見送られるのならば清々するのだが、なんだかよくわからない見通しをつきつけられるたびに、民意ってのはどこにあるのだろう・・・?と疑問に思ってしまう。
教育において、「民意」なんてないも同然なのだろうな。
そう確信してしまう。
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自民党なんて信じていないが、あまりに生活への悪影響を省みない頭の悪い政党なので、ときたまあ然と立ち止まってしまう。
今回もそういうこと。

英語業界もちょっとは驚いているのだろうか?
もうけられないかも!ってね。


少なくとも、現任校は来年度も今のALT講師だと、つらそうだよなー。
小学校で英語やって、中学は変わらない。入試制度も不問。
なにか日本人の英語能力に影響が大きい施策なのだろうか?
過渡期だったら、今の人たちはかわいそうだよなー。

中教審は税金泥棒だよなー。
すごいかかってるの知ってる人どれくらいいるのだろう。

MacBook購入!!

2006-09-25 00:13:03 | 戯言
いやー。飛び降りましたよ。清水寺。
もろもろ込みで20万円近く。(ソフマップへお布施ですねぇ。これは。)
これからの貧乏ぐらしを顧みずにやってもーたです。

でも、これで自由が!!
いつもの写真入り学級通信が!細々とした指導記録が!研究授業の指導案が!資料提示プレゼンが!
・・・トイレでも作れる!(爆)

ガレージバンドなんてすてきな音楽ソフトも標準装備。
もちろんiMoveでDV編集も。

ああ、仕事と趣味がごっちゃになりそう。
今は言葉にならない。(@o@)うひょひょひょひょ!

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子育てで世間を見回す実践提案

2006-09-24 00:58:09 | 戯言
実は高校でやってたりして・・・。

ふと思いついたのだ。
小学校レベルでは無理だろうけれど、後攻辺りで、子どもを産んで育てることを人生の設計において、仮想的な人生を想像させる実践なんてできないだろうか。
総合とか、いろいろな教科、教科外の枠組みでできそうかな?と考えてしまった。
なんにつけ、忘れないうちにメモっておく。

経済的にもかかる物はかかるし、どの自治体で?とか、職業はこれで!とか、いろいろシチュエーションは設定できるし、それがいろいろ広がりがあるし、自分の親の仕事や人生も探究して行けそうな気がする。
男女の役割や、結婚自体の話もできるだろうし、諸外国との数値の違いも問題になるだろう。
意識的に設定したいのが、現在の自治体の諸問題を課題として考えさせたり、人生にかかるコストを考えさせたりすること。そのことにより、よりリアルに、そして子ども達の興味を引き出せる形になるのではないかと思う。

生々しいかな?

例えば、
「駅前再開発を最優先する市長のため、保育園が公設民営化に加えてサービスが低下する恐れがでてきたことを設定にし、自分の家庭はどのような対応をとるか」
とか、
「現在、第一子をもうけたが、第二子を身ごもり、経済状況からどのような人生プランを想定しなければならないか。」
とか・・・ね。

下調べも多岐にわたって、長丁場で考えさせるのにいいのじゃないかな・・・。

ん?
手前味噌な考えかも・・・。
子育て中だし、子育てに関して、自治体レベルの諸問題が多すぎだし・・・。

んー。ちょっと安直な発想の実践提案かな?
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齟齬なのか?(不起立裁判と君が代・日の丸)

2006-09-23 23:02:05 | 戯言
ここ何日間は東京地裁のニュースで頭がグルグルしていた。
まとまりがつかない部分もふくめてメモして、またいずれ考え直したい。

まずは以下を引用したい。
「敗訴、1%も予想せず」 都教委は控訴の方針 asahi.com(2006年09月21日22時15分)より。

>敗訴判決が出た21日午後、(中略)ある職員は「敗訴なんて1%も予想してなかった。そうでなければ、こんなに混乱しません」。

へー。そんな余裕があったんだー。

>同日夕、都庁に戻った中村教育長は(中略)、「我々の主張が何も参酌されず残念だ。通達は、学習指導要領に沿った式典にするために必要かつ合理的なもので、教育基本法が禁じた不当な支配には当たらない。こんな判決が判例とならぬようにしたい」と控訴する方針を明らかにした。

「必要」かつ「合理的である」という判断は「正当」かつ「妥当」なのか?
児童や保護者と作り上げて来た伝統さえ霧散する卒業式を強制しておいて、なんの「必要」なのだろうか・・・。
それこそ「思想・信条の強制」ではないのだろうか?
合理的な卒業式であれば、君が代・日の丸の条項だけでなく、全てに渡って式を設計してほしいものだ。
作為に満ちた「合理性」こそが「強制」の温床であるとは言わないのか?


>通達の内容を改める考えはなく、近く都立学校長を集め、判決内容と都教委の対応を説明するという。
>中村教育長は「判決による学校現場の混乱は避けたい」と語り、

もし。確定判決になった場合、相当の責任をとれるのか?
また、東京裁の判決を保留したままやるという判断は「混乱」への防御策として妥当なのか?
この路線に先鞭をつけた石原・横山は、その結果が思惑通りに運ばなかった場合、どう出るのか。
今回、賠償額が一人頭3万円ということだが、抑圧された声なき声の分も含め、賠償の形を示す覚悟はあるのか?
破壊された伝統を戻す努力をする覚悟はあるのか?

>「個人の思想・信条の自由があるとはいえ、学校現場で学習指導要領に反する姿勢を生徒に見せることが教育なのか」と判決を批判した。
「公共」の名を借りてファッショ的に突き進む、そんな不合理な弱者切り捨てをする姿勢こそ問題ではないのか?
ちなみに、「学校現場で学習指導要領に反する姿勢を生徒に見せること」をさせた形にしたのは都教委側なのだし、なぜ、今まで問題にならなかったものが問題になったのか?
だれが、どういう目でみると問題なのか?
そこが問題の突端であるし、取りかかるべき部分のはずではないのだろうか?

>一方、石原慎太郎都知事はこの日、都庁に姿を見せず、報道陣が求めた判決へのコメントも出さなかった。
この答えは次の日にすぐ出た。

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石原都知事が控訴方針…国旗・国歌通達の違憲判断 (yahooニュース)。ニュース元は「読売新聞 - 9月22日20時54分更新」

>(前略)石原慎太郎都知事は22日の記者会見で「控訴しますよ。方針は変わらない」と述べ、控訴審で都側の主張を訴えていくことを明言した。

かたくなじゃあないか。喧嘩だぁな。

>石原知事は「式典で国旗・国歌に敬意を払う行為は(学校に)規律を取り戻すための統一行動の一つ。裁判官は実態を見ていない」と反論。
>通達は文部科学省の学習指導要領などに基づく適法なものだとして、「義務を怠った教師が懲戒処分を受けるのは当たり前」と述べ、正当性を強調した。

実態が問題ではなく、歴史認識の様相と法に抵触するかどうかが問題なのじゃないかな。
百歩ゆずっても、実態はとどこおりなくやってきた伝統をも破壊した都教組こそ浮き彫りになると思うのだが・・・。
石原の言う実態が問題なのであれば、きちんとした情報公開とそこに民主的な議論をもってくるのが筋であるし、都知事たるものの役目なのじゃないかな?

まあ、実行犯の横山は、そんな気はさらさらなく、校長達を呼びつけ、どう喝し、強制してきたのだから、そんな実態についての判決が出たとも言えるんじゃないか?
すでに石原の述べる反論は体を成していないと思う。

>一方、小坂文科相は、この日の閣議後会見で「これまでの判決と照らして予想外で、都教委の主張が認められなかったことは驚き」と話し、都の対応を見守る考えを示した。

信じられない。文科省が自治体の事情に干渉するなんてって思う。
「予想外」と述べているのだから、この都の事態を当然視しているととられかねない発言。というか、そうでしょう。
見識が問われるというか、同じ穴のムジナなのねぇ。


さて、そんなニュースが飛び交っていた週後半なのだが、
mixiやその他のブログなどで見る限り、結構な人数がこの判決に不服ないしは反意を述べている。

ネット界だがWeb2.0だが知らないけれど、毒を流す排水溝が1本なら因果関係も考えられるけれど、そうでない情報の砂漠から自分の求める真理のよりどころを探すのは容易じゃないよ。そう思う。
声が大きければWikipediaだって簡単に狂っていくもんだよ。
成熟はまだ遠いという視点をもっていても、答えを急ぎたくなるのが人情ってものじゃぁないかなぁ。
いきおい、みんな右に丸め込まれる要因はもっている。
なぜなら、日本は戦前戦後通して右社会だからだ。

愚痴はそれぐらいでおいておいて、
問題は彼等のいい分。
「君が代・日の丸」=「愛国心」という図式と「日本人は日本を愛す」という思想・信条の押しつけが当然であるという「自由を自分で制限してしまう」バイアス。
「公務員」=「マニュアルに従え」という図式と「教育は強制」だというイドラ的なバイアス。
「国旗・国歌問題」=「君が代・日の丸問題」という誤認と「嫌いなら出て行け」という暴力にのってしまう感情的なバイアス。
「君が代・日の丸」がないと教育が立ち行かなくなるという宗教的盲信のバイアス。

とても冷静に話せないと思ってしまう。
彼等は何か別な事に不安を覚えているのではないだろうか。
精神的に疾患とまでいかなくても、この問題以前に、何かを抱えていたり、感情がたかぶっていたりすると、「対話」は困難だ。

教育活動は、本来当事者に帰属し、当事者が対話的に協同する中で、それぞれ権利を行使し、義務と責任を果たす中でこそよりよく優れたものになっていくはずであるし、その精神は、教育基本法に書かれている。
指導要領は枠組みであって、実践の中身ではありえない。
ましてや、政治的な、あるいは偏見に裏打ちされた通達などは、教育現場において、民主的な手続きを踏む実践の前には無力であってほしいものだ。
今回の地裁の判決は、軌道を正しくするための礎だ。
と希望をもって今は息巻いておきたい。

<対話>のない社会と批判的思考力養成

2006-09-21 07:13:20 | 教育書
<対話>のない社会(PHP新書)中島義道著670円(1997.11.04)

なんかブログを再開してからというもの、書評ブログまがいになっている。
でも、それだけブログをやっていなかった中で書き留めたい本を読みためていたとも言える。
まあいいや。そんなこと。思い悩むことでもない。ただそれだけ。

実は「対話」というのが1年ほど前から個人的なキーワードになっていた。
そこで、「対話」ってなんだろう?と考え、辞書を引いたり、人に議論を吹っかけたりしていたのだが、同時に書籍にも当たっていたということ。
その中では、少々書かれた時期が古いのだが、とても分かりやすく、日本社会を批判しながら述べられている点も面白かったこの本を記憶しておきたくなった。

以前に、同著の「ぐれる」という本についてもmixiの日記(mixi外は当然非公開)で書き留めたのだが、これはそういった中島らしいポップな面は少なめで、彼の生真面目さが目立ち、そういった意味でも好感をもったし、より一般うけしやすいとも思った(ポップ度低いのに)。

ここに書かれる「他者」のあり方の記述は、目的を見据えた上で話し合えるという「対話」の関係を生む前提が述べられており、「対話」を様々なシチュエーションで構想するときに「ここははずせない」という部分の示唆に富んでいた。
特に末筆に近い部分で「個人主義」へのコメントがある。「和風個人主義」という言葉を掲げて、日本が如何に「対話」が抹殺される社会であるか、無視される社会であるかについて批判を加えている点は見逃せない。
PISAの結果で、われわれは子ども達に批判的な読みの方法を教えてこなかったということが指摘されているが、中島的な視点で言えば、それは社会的な養成であり、今後どのような方策がとられようと暗黙のそれは消え様が無く続いて行くのだ。つまり、そんな子どもを育む事は無理だとは言えないが相当難しいのだ。

これがこの本の読まれる価値だと思う。
日本の社会論的な見方を望む人、私のように「対話」をなんらかの設定として望む人、中島ファンには恰好の書といえるだろう。

教育書として考えた時、協同的(共同的?)な授業作りを「新しい社会性」を念頭において発展的に構築しようとするときに、一つ、議論になってよい書だと考える。そういった意味で日頃の授業を考え直す人には役に立つので、既成の授業の枠組みを切り替えたい人の刺激になるはずだと確信している。
現状では、国語、社会、理科、道徳、総合的な学習の時間、特別活動などが対象かな?
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らぶれたあ

2006-09-19 21:45:22 | 教育書
子安先生のブログで紹介されていて、夏の同志会の全国大会の出店で見つけて即買い。
(バス代がなくなってしまったのは痛かった・・・)
ちなみに、横積みで10冊くらいだったのが、私が買った時には残り3冊くらいだった。
いい売れ行きじゃぁないか!(分かる人は多いのねん)

えーと、基本情報は以下。
らぶれたあ(かもがわ出版)霜村三二著1600円(2006.06.24)

学級通信の実践と子安先生は書かれていたように記憶しているが、それはそれでその通りなのだが、なんせ29年分を現在に合わせて再構成しているし、スクールサポーターのコメントやイラストなども織りまぜて楽しく読ませる教育啓蒙書のような気がする。
ま、とにかく温かく子どもを見つめたいという教員は「読め」と言っておきたい。
(間違っても、温かく子どもを見つめる校長先生になりたいとかいう邪が入る人は読まないでほしい)
その人の経て来たものによって所感は変わると予想できるのだが、絶対に共感できる部分は外さないと信じれる。

このまんま学級通信にのせたいなと思える部分もあるし、これはとても深すぎて、自分の口からは親に言えないなという部分もある。

心底を貫くのは子どもへの温かい受容的な視点と「言葉を育む中で心も・・・」という意志。
これは真似できそうで真似できないものだが、そこへ努力するのが教師の本分だろう。
私もそうありたいという元気をもらえた書。
読み物としては、とても読みやすく、示唆に富んでいて、そういった意味ではどんな人でも読者足り得るだろう。

でも、私は、保護者にぜひ読んでもらいたいとも思う。
自分の子どもの学校といい意味で比較してほしいし、逆に、「らぶれたあ」を出す保護者が増えてほしいと思うから。
また、本書のような、こういう発言が受容される場が「学校」であってほしいという願いを込めたい。
抵抗できない我が身を悔いて。

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新しいiPodシリーズ

2006-09-19 07:14:40 | 戯言
なんか再始動してすぐにミーハーネタでしょーもないヤツだけど・・・。
・・・・・・
ほしい!!

特にnanoは(個人的に)いい!! p(@o@)q
(「iPodって何?」って人はこちら。

カラー表示もできるのかな?写真も見れていいじゃん。
バッテリーが24時間ってのはちょっと心配だけれど、今もっている携帯なみに充電をすればいいくらいだから大丈夫かな。
新しいPC(もちろんMac)の前に、買ってしまいそう。
Shuffleもちょーかわいい!(実は前のいかにもメモリーっぽいデザインはちょっとださくて嫌いだった)
これならほすい!!
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内側から見た富士通(光文社)城繁幸著2004.7

2006-09-18 06:49:07 | 教育書
先日、所用で久々に一人でとんぼ返りの長距離移動があった。
自転車通勤になってからは本を読むのはトイレくらいに限定されていた毎日だったので、電車に長時間乗れたのは意外に嬉しい結果になった。
結局、読みかけていた本を2冊読了。
そのうちの1冊がこれ。
以前に斜め読みをしていたのだが、腰を落ち着けて読んでみた。
なんとなくわかったつもりになっていたのだが、ちゃんと自分に照らして比較したい、そんな気分になったのだ。

果たして、自分のイメージの範疇であることを確認したのだが、一応、メモっておく。

・大まかにいって、近年日本に導入された「成果主義」による経営はどこでも破たんしているかその途上である。
・上層部、あるいは人事部やその他の当該部署の潜在的なことなかれ主義が構造的な問題であるし、また彼等は一方的に私欲を肥やしている、あるいは無能といわれても仕方が無いことをしている。
・企業(あるいはそれに該当するもの)本来の目的遂行とは無縁の目標設定や評価が行なわれているため、下層の現場へいくほどに相当の努力を払っても経営が立ち直って行かない。
・勤労意欲低下、愛社精神の崩壊、人材流出、新規有用人材獲得の困難、健康破壊はすべて不合理な「成果主義」に直接的、間接的に原因を求める事ができる。


富士通が題材だが、この本が出る辺りでは既に「成果主義」の崩壊の声はいくつかあがり、現在では当然の声もある。お役所的な経済シンクタンクなどもその点を無視できなくなっている。
ただ、著者への疑念は、シリコンバレーの「成果主義」導入を批判した上で、対案に日本型の「成果主義」を探求する必要性を述べている点。
この展望は本当だろうか?

結局はどんな「成果主義」であれ、その狙いは「資本家の更なる搾取」と「必要経費削減」の一体化だと思うのだが・・・。
グローバリゼーションと新自由主義の蛮行をそう思わない人(多分、自分も自由で可能性が無限だと妄想している人かな?)にとっては枝葉末節なのだろう。

ちらちら見えている学歴社会の矛盾にも気づく1冊でした。

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