怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

結局はダメだったわけだ

2008-02-29 21:44:39 | ニュースから
教科書検定審、「密室」返上し初公開(朝日新聞) - goo ニュース

結局、教科書検定というのが密室であり、政治的であり、社会問題であったということではないのだろうか?

ガラス張りの知事室を物理的につくった県知事が以前いたが、教育において、本来密室的なものはできるだけ排除される努力はされるべきだと思う。

さらに、オンブズマン的な存在も必要だと最近思う。
もう、内部告発ではなくて、外部からの目が入ってもいいようなシステムになってきたと感じる。
もちろん、そこにはそれなりに費用や人は必要になるだろうけれど、そういう時代なのじゃないかな?

これいじょう、教育は不当な介入を許さない方がいいが、それとは別に、膠着した歪んだシステムを温存するくらいならば、そうではなくしてしまうという議論もあるという意味でだが。

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正当防衛という生活

2008-02-29 21:39:21 | ニュースから
体罰の処分、総合的判断示す 埼玉県教育長(産経新聞) - goo ニュース

>防御のため、やむを得ずけがをさせた場合は体罰でないとする文科省通知を踏まえて処分を検討する考えを示した。
とある。
つまり、正当防衛的な捉えということか・・・?

しかし、もみ合いにならなければいけない状況というのは、それはそれで残念な場面だとは思う。
双方怪我をしているのならば、それなりに因果があったろうが、それが防衛だとか加害だとかというレベルを越えて、生産的なもの、教育的なもの、人格形成的なものへ転化する部分はあるのだろうか?
また、その周囲にいた者達は、どうなのだろうか?
「処分」でおしまいというのはなしにしてほしいものだとは、個人的に思う。
もちろん当事者の意志や感情が尊重されることは前提だけれども・・・だ。

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死に至る病とその原因

2008-02-29 16:59:59 | ニュースから
新任女性教師、夢半ばの自殺…遺族が公務災害を申請(読売新聞) - goo ニュース

ただ一点。
>川人弁護士は「一番問題なのは、新任教師への精神的ケアが管理職らに欠けていたこと」と述べ、公務災害だと訴える。
この主張の根拠、正当性を知りたいと思った。

これからの管理職はどう生きなければならないのか、そして、その管理職をどう教委がサポートしていくのか、さらにそのために行政側はどうあるべきなのか。

教育機関として立つときの必要条件が問われている気がする。

それとは別に、私の信条として、
「21世紀に教員であるものは全て同士である。だから、このような死は繰り返さないように、周囲に念をこめて強く願う。」
亡くなった方、そして遺族、連なる友人の方々には、こんな場だけれど、お悔やみ申し上げる。

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増える知識

2008-02-28 20:55:35 | ニュースから
太陽系外周に「新惑星」か=地球質量の3-7割と理論予測-神戸大(時事通信) - goo ニュース

その昔、宴席で、天文学者から、
「自分がやっていることは人類の何に役に立っているのだろう?実感のわかない学問だなぁ。」
そう隣でつぶやかれたことがある。

確かに、天文学は数学や物理学を実証的に研究できるフィールドももっているので、純粋に理学的な意味では間接的な実感をもてないこともないだろう。
けれど、いくこともかなわない天体群のことを知ることができたからとて、実生活になんの恩恵があるのだろうか。

私は疑問はもっともで、なるほどと思いつつ、
「ロマンですよ。」
と答えたことがある。

彼は、
「そうか・・・。」
とつぶやいただけで、お前は分からんヤツだなというような複雑な顔をして、ぷいとどこかへ席を移ってしまった。

なんか間違ったことをいったのかもしれないと思い、気にし屋の私はちょっとブルーになった。
(そんなことだから覚えているのだが・・・)

太陽系の外側の方に天体があるからといって、どうなのだろう。

やっぱりロマンなのじゃないだろうかとしか思えない自分を再確認してしまった。

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へんな目標設定では?

2008-02-27 23:46:52 | ニュースから
子育てサービス100万人増 「新待機児童ゼロ作戦」(共同通信) - goo ニュース

サービスを受ける人を増やす目標設定っておかしい気がする。
問題となる対象はサービスを必要としている人に対して、適切にサービスを提供すること。
つまり、ニーズに対する目標設定であるべきなのに、ニーズとは無関係に目標が設定されているように聞こえる。
なんだいこれ?

ちなみに、現在のニーズは、安心してあずけられる保育園の拡充。

保育ママによるつなぎではない。

子育て支援、人口増などといっているけれど、結局は経済効率が優先であったり、へんな目標によるかっこつけで終始している気がする。

どうよ。

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まだやるのかよ・・・

2008-02-27 19:31:09 | ニュースから
教育再生会議後継「懇談会」設置へ(産経新聞) - goo ニュース2008年2月26日(火)08:30

 政府は25日、教育再生会議の後継組織として「教育再生懇談会」を設置すると発表した。26日の閣議で正式に決定する。10人の有識者で構成され、慶応義塾の安西祐一郎塾長が互選で座長に就任する見通しだ。

 福田康夫首相、町村信孝官房長官も出席し「ゆとり教育」の見直しや徳育の教科化など教育再生会議の報告内容の実効性を担保するために実施状況を点検する。保育園を一元的に所管する「子供庁」の設置や、留学生増加計画の実施方法についても話し合う。

 安西氏以外のメンバーは次の通り(敬称略)。赤田英博(日本PTA全国協議会会長)、池田守男(資生堂相談役)、小川正人(東大大学院教授)、木場弘子(キャスター)、篠原文也(ジャーナリスト)、菅原真弓(都立川市立第九小学校教諭)、田村哲夫(渋谷教育学園理事長)、野依良治(理化学研究所理事長)、若月秀夫(品川区教育長)


何をするのか分からない連中の出現。
でも継続性と縮小とが入り混じっているようだ。

どうでもいいけれど、いつでも苦しむのはこっち。
それだけははっきりしている。

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性教育の遅れ

2008-02-27 19:16:14 | ニュースから
都教委の懲戒処分取り消し 元養護学校長が勝訴(共同通信) - goo ニュース

卒業式への行政介入に対するイメージもあながち嘘ではないなぁと感想。

なんにつけ、この七生養護の問題は性教育について、かなり悪いブレーキになった事件だったので、これをステップに、人として生きるという意味での性教育について、再び考え、実践を行う気運が盛り上がって欲しいものだ。

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他人の実践

2008-02-27 18:40:54 | 教育
こういうことを書くと、「成長していない」とか、「学びを活かしていない」とか、「記録を大事にしていない」などとお叱りをうけそうだ。

ゆーじさんから「スーホの白い馬」の実践について問い合わせがあった。
以前に、このブログで綴っていたことが理由なのだろうが、なんともはや、忘れてしまっている。

あわててブログを読み返したのだが、驚いたことに、自分の文とは思えない。
「なんて深い実践なんだ」と、実は最後に涙が出そうになった。
こういうのを馬鹿者というのだろう。

ワークシートなどがないか?と聞かれたのだが、実はない。
「素で読む」ことにこだわっているので、記録を子どもにとらせようとは思わない。
読み取りにおいて、ワークシートは思考をまとめるだけでなく、そこから活用が生まれないと使わない主義なのだ。
物語文は頭からイメージをつかんでいき、自分のイメージと他者のイメージをすり合わせて、より精度の高いイメージへ向かう読み方をする。

だから、記録は共有しなければ意味がないし、メモをしたらば公開が原則なのだ。

例えば、毎時間感想をとる。
すると、次の時間にはその感想は全員の目にふれるように工夫される。
また、板書だけれども、これもみんなで読んでいく過程を記録したものであるから、全て掲示される。

「いつみねの会」という国語の民間教育研究団体の「模造紙黒板」という実践のマネとアレンジが取り入れられている。

それから、物語の焦点化を大事にしている。

テーマは?
どの場面が重要で、どこを、どこから読ませるのか、そして、どう深めるのか。
その点を教材観として重視し、ぶらさずに、対話を基調にした方法で進めていくのだ。

書いてきて、もう一回、昨年の「スーホの白い馬」の実践を読み返した。
そう。そういう方針は変わっていない私を確認できる。
よかった。
他人の実践記録かと思ってしまった。

興味がある方は、ブログ内検索でたたき出すとすぐにわかるだろう。
けれど、読むだけではイメージできないだろうなぁ。
自分の実践記録ではないもの。

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デジカメの利用推奨

2008-02-26 22:40:24 | 戯言
仕事でたくさんデジカメを使う。

教師の仕事ってのは、道具のこだわりが必要だとだれかがいっていたけれど、私はコレ。

学級通信では、これが主体といってもいいくらい、大きい役目を果たす。

当初のイメージは、グラフ誌のようなもの。
写真に語らせるという形。

でも、それはマンネリズムを生んでしまう。
それだけではダメだと感じていた。

私は高校時代に銀塩写真にハマった口なのだけれど、それなりに腕に自信がある。
それも使い続ける理由の一つだ。

写真に語らせるのではなく、語る写真を利用する方向に変えた。
第一に実践を伝える。

行事ごとの打ち上げ花火的なものは以前から大嫌いだったし、子どもの作品を載せていくやり方も好きではなかった。
やはり、子どもとの関わり合いの中にある自分を綴っていく。
そして、自分の視線を通して伝えていくリアルさを理解して受け止めてもらう。
それが大事だと考えている。

話がそれそうだが、デジカメを盛んにつかっている。
今年の写真はすでに10GBになる。
データも圧縮するモードをあまりとっていないのが原因ではある。

デジカメは銀塩と比べて、すぐに確認ができる手軽なところが利点であったけれど、最近では、速写性があがり、ひと呼吸で撮影に入れるようになった。
また、ズームレンズの性能は、銀塩のときに比べて比率の拡大という意味ではたいへんな向上を果たし、手ぶれ補正機能や顔の認識など、私の高校時代には想像できなかったような機能が加わっている。
とても便利なだけでなく、シャッターを切る回数が執拗に増え、自分自身の技能向上に役立っている。

楽しい。
メモリーの容量にも左右されるのだけれど、簡易的なビデオ撮影も効果的だ。
8GBメモリーが欲しくなる。

体育や国語の話す聞く、他にも記録的な意味あいで、動きや音声が必要なとき、ついでにとれるのがいい。


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つながりやすい世界

2008-02-26 22:13:20 | 戯言
道徳の時間に、授業をしながら考えていた。

他者を見る目をもってして、自分を批判的に見つめ、自分を向上させる手がかりを掴んでいく。
でも、それは他者を優しく見る目なのだろうか?

それとは別に、他者から学ぶということは、自己の学びを見つめ直すということに繋がるのだろうけれど、そこに意識的になるためには、どういった段階が必要なのだろうか?

授業中、公園に集まる人々の絵を一緒に見ながら、子どもに聞いてみた。
「この人とこの人。」
(具体的に指差し)
「つながっているだろうか?」
A 「つながっている。」
なんで?
A「同じ公園に集まっている人同士だもの。」
そう。
Bが手を挙げる。
B「つながっていないよ。」
なんで?
B「だって、二人は離れた場所にいるし、別々の方を向いているもの。家族でもないよ。」
そう。

私たちはどうなったらいい?「つながっていく」「つながらなくてもいい」どちら?
全員「つながっていく。」
そう。

じゃあ、君たちはどう?
クラスという意味ではつながっているよね。
でも、授業をしていたって、向いている目は違っていたりするね。

C「でも、地球ってことなら、世界の人達が全部つながっているよ。」
D「繋がるのは大変だ。私はアメリカ人といきなり友達になれないよ。こまっちゃう。」
なんで?
D「だって、言葉が通じないもの。」
そうか。じゃあつながれない。
E「そうじゃないよ。ハローってぐらいは言える。」
なるほど。
F「先生を連れて来る。」
先生はそれほど話せないよ。
でも、そうだね。通訳といって、だれか二つの言葉がわかる人に間に入ってもらうことはできるかもね。

つながっているようで、実はそのままではつながっていない世界。
メディアは進化し、人との距離は縮まったといわれている。
けれど、受け手の問題は残っている。
「つながる」というのは受け手の課題が明確になる。
「つながりやすい世界」というのは相互に理解し合おうという動的な世界。
積極的に参加し合う世界。
それが優しい世界かどうかはわからないけれど、子どもに聞いたらば、つながってる世界がいいという。
全部つながるよりは、「つながりやすい世界」ぐらいがいいと私は思うし、その方が現実的だ。
常時接続の人間関係なんてありえないもの。

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死にいたる病の一つ

2008-02-25 19:03:12 | 教育
つかさき医院のホームページ
というところの、
教育現場と心の病というページを見た。

増えるグラフが身にのしかかってくるような気がした。
この数字の裏には、どんな同僚の姿が、生活があるのだろう。

今、ラッキーなのだろう。
先手先手で動いている。
でも、その分、下手にあくせく動く自分の姿にもストレスを覚える。

これも民間並みなのかい?
たまに私にふっかけてくる方々。
MPが問題なのではなくて、構造的な問題。
そして、それは政治的な問題が基盤。

ここばかり見つめていても、何も改善しないけれど、こういった情報は知るべきだろう。
そう思ってエントリした。

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学テの話

2008-02-25 18:06:28 | 教育
ある人と話していて、(あのにっくき)産経新聞を読んでいての話題が出た。

その内容にはホントかよ?と思ったのだけれども、さもありなんが50%くらい、読み違えかもが50%くらいだと思った。

内容は、
「学テ(おそらくB問題)の結果から、私学の方が「ゆとり教育」を活かした「生きる力」を育むことに成功したことがわかった。」
ということ。

おいおいというカンジ。

しかし、素人さんなのだから、それこそさもありなん。
数字を読むときに、母体の実態を考慮に入れれば、そんな数字からそういった結果を導き出すことがいかに詐欺になるかがわかることを説明しておいた。

もし、読み間違いにしても、そういった数字にはきっと触れていた可能性もあるだろうし、そういった印象を与える記事だったのだろうなぁと想像して薄ら寒くなった。

大阪では学テの結果から、国に対して予算をつけろという話が出たと思うが、一方で、大阪独自の学テも導入するそうで、それって予算の無駄?と思った。

犬山市の学テ不参加はがんばれといいたいのだけれど、大して増えない学テ不参加表明は、どうやら私学の方から出てくるようだ。

我が東京都は、あいかわらず国、都、各自治体と、二重、三重の負担で学テという無駄遣いをやっている。
それぞれ目的が違うとかいっていながら、内容に大きな違いがあるとでもいうのだろうか?

時数増がやってくるが、余剰時数でまかなえばぁ?といったカンジ。
これってなんなのよ。マスコミさん。

学テやっている余裕があるなら、時数を確保してくれよ。
もちろん、子どもに負担を増といっているのではないからね。

ああ、つらつら書いた。

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Love

2008-02-25 00:11:24 | 音楽
Love(John Lennon)

Love is real Real is love

Love is feeling Feeling love

Love is wanting to be loved

Love is touch touch is love

Love is reaching reaching love

Love is asking to be loved

Love is you

You and me

Love is knowing We can be

Love is free Free is love

Love is living Living love

Love is needing to be loved

真のアーティストってのは自分の生き様や恥部さえも含めて、全存在がアートになっている者のこと。
Johnはその希有な存在の一人。

彼の作品で最も好きなものの一つ。

最近、「愛」について考えたとき、頭のバックグラウンドに常に鳴り響いていた曲。

ビートルズというのは、語られる「愛」の形を変えたといわれる。
ソロになったJohnは、真の「愛」の語り部だったと思う。

巷には愛国心なんて言葉があるけれど、その愛とは次元に優劣がつきそうなほど貴重な「愛」。

「愛」という言葉は、あまり口にしすぎると汚れるけれど、常に新しく再生する可能性を持っている。
ふと、そう思った。

あくまでも個人的に・・・だ。

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生活指導誌3月号

2008-02-24 02:19:07 | 教育書
卒業式の事が前半。
式を2部に分けてしまう方法論とその実践例が「学校作り」という視点で、とてもストレートな好例として伝わってきた。

でも、東京都では、そうはいかないだろうなぁ。

そんな想いと、

それでも、そういった事が同じ指導要領ベースでできそう、主張が可能であるという点に希望をもらえた。

当事者不在の行事というのが特別活動でOKになってしまうと、未履修問題と同じになってしまうハズだと感じる。

mixiか何かで、教委は間接の多い民主主義制度なのではないか?と問われたことがあるけれど、それはよくわからない部分を含む質問だとおもった。
即答も、明瞭な答えもできなかったが、首長は多数派として立っているだけで、少数派を無視したり、排除したりしては民主的ではない。
だから、犬山市のようなことというのは、首長に教委が従わないことは異常ではなくて、教委が独立性を発揮する形を保てる事が珍しがられるという異常事態なのだろうということ。

卒業式の件は、逆の踏み絵として管理統制の手段に用いられていると私はみているのだけれど、それとは別に、個々の想いというのは発現する可能性があるので、自己主張ばかりでやっていくは限界があるだろう。

いろいろ考えが拡散した気がする。
そうだったら、いい号だったなぁ。

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運動文化論

2008-02-23 02:09:30 | 教育
体育同志会のサークルにおじゃましている。
そのうち、会員になって少しでも支えになれればなんて思っている。

最近の連載で、過去に繰り返された連載「運動文化論」についてが始まっている。
過去のものを読みたいと思っていたら、「運動文化論入門」ということで、つい最近まとめられた。
入手したのでガジガジと読んでいる。

体育同志会の歴史上、全生連とドル平は欠かせないというのを知った。

どちらにも遠からず絡んでいる私としては、体育同志会の実践に関わる縁を感じてしまう。

「中間項理論」を経て、「運動文化論」として、持論を実践研究とタイアップしつつ成熟を目指していくくだりが様々な関係者によって執筆されてリレーしていく。
同志会の本懐に触れるようで、嬉しい読み込みができている。
もう、入門冊子も表紙がすれてよれてきた。

同志会の大衆性や子ども中心の視線を自己批判的に捉えるために、対立項から決して逃げずに、貴重な批判として取り込んでいこうとする力強さに感動する。
まさに民間教育団体の雄だと思う。

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