怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

「理科離れ」という単語の用い方その2

2007-06-29 18:15:48 | 教育
「理科離れ」という単語の用い方(6/25)に書いていた記述に引用した記事がKOYASU先生のブログで書かれていた内容と少しかぶっていたのだが、KOYASU先生が、実は要望書の内容は違っていたと書いているのをみて、要望書をネットでDLしてみた。

確かに違った。
新聞というのはこういう間違いをするのだと再認識した。
気をつけなければ・・・。

日本学術会議の要望書は、私が危惧していた、
>「実質的な効果のある研修や教員の自主的な研鑽を引き出す機会を与えること。」
に対応しようというものであった。

ただ、心配は、最近決まった十年次の免許更新制度などとからめて矮小化されなければいいなということだ。

一方で、要望の第一に小学校高学年からの理科専科制をかかげている。
これは一面賛成だが、前任校が理科専科であったにもかかわらず、それほど理科の充実が図られていたかというとそうではない現実から、ソフト、ハードとわず、科学教育に関して、手立てを具体的に打っていかなければならないだろうとも思った。

そういった意味で、方針的なものの「よさ」には賛成したいけれど、現場の声を充分に反映したものとはいえないような気もする。
政治的な波を乗り越えて、理念として生き残ってほしいが、どこまでの声量をもちえるかは、現実的なすり合わせの支点の置き方だろうと感じた。

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教育に金を出さないけれど結果を出せとは

2007-06-28 21:06:26 | ニュースから
パンパンにふくれあがった教育施策。
金は出ないのね。
文科省は予算をとれない能無し省庁なのね。
安倍は教育再生だとか言っていた気がするけれど、実質的なことは何もやらないということがここでもわかる。

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教育費支出、9年連続で減少 文科省調査(朝日新聞) - goo ニュース

なんでか聞いておいで

2007-06-28 21:01:07 | 教育
「Aくんに蹴られた!」
憮然とした態度で私のところにやってくる登校時の子ども一人。

そういった場合、まずダイレクトには相手をしない。

「なんで蹴られたか聞いておいで。」

たいてい驚く。
おそらく自分の境遇に共感してくれたり、相手を叱ってくれたりすることを期待していたのだろう。

ちょっと間を置いて、
「私がXX(悪口)って言ったからだって。」

「そう。理由はわかっているんだね。で、どうしてほしい?」
「・・・。あやまってほしい。」
「そう。じゃあ(相手を)呼んでおいで。」

その後、事実確認を二人にさせて(事実関係以外できるだけ口出しをしない。)、あやまりの儀式をすませておしまい。

そのうち私をまねて事後解決したりする子が出て来る。
何か泣いている子がいると、私に言う前に何があったか聞いて来る。
そうやって生活の中でお互いが関わり、コミュニケーションの力も自己解決の力もついてくる。
担任側も余裕をもって子どもをみることができるようになる。

これが成立しないと崩壊しやすいと思う。
(ま、必要条件の一つだけれど。)

こういうのって、親はどう見るのだろう。
たまに思う。

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文脈と視線を合わせないコミュニケーションと

2007-06-28 20:49:19 | 戯言
今日は出張だった。
帰りにバスに乗ったのだが、丁度、地元の養護学校の生徒数人と乗り込んだ。

彼らの話はくったくのない調子で、優しい世界が広がっているように感じられた。

ふと窓の外を見ると、同じような制服の子どもが歩いていた。

B男「あ、A君。歩いているね。」
C男「本当だ。A君はなんで歩いているのだろう。」
B男「そうだね。なんでだろう。」
C男「彼はバスに乗らないで歩くんだよ。駅まで乗らないんだ。」
B男「バスの方が歩くよりも早いのにね。」
C男「そうだよね。場合によっては歩く方が早い。だけどバスは楽だよ。」
B男「バスに乗ればいいんだよ。なんでか聞いてみたいな。」

話はなんだか少し食い違いながらも延々と続いて行くように思えた。
とうに歩いていたA男は見えなくなっているのに・・・。

B男「あ、図書館。ここのカードをもっているからよく借りるんだ。」
C男「そうなんだ。ぼくもカードをもっているよ。授業で調べた本もここで借りた。」
B男「君は家に帰って何をする?」
C男「宿題して、お手伝いして、ゲームする。」
B男「本は読むか?ぼくはよく読むんだ。」
C男「すごいね。ぼくは読まない。・・・いや、ぼくはたまに読むよ。」
B男「文学は読むかい?」
C男「読まない。」
B男「ぼくは太宰治や芥川龍之介を読む。」
C男「すごいね。ぼくは新約聖書を読んでいるよ。」
B男「うん。ぼくは文学が好きなんだ。」

彼らは目を合わさないで会話をする。
でも、お互いを受け止め合って話している優しい声が響く。
相手の言っていることが少々わからなくても相づちを打ち、話を合わせるかのように話題を自分なりにつなげる。

この子たちと一緒にいると楽しいだろうなと思った。

私はどういう文脈で彼らの話を聞いたのだろう。
帰りの電車で考えてしまった。

おそらく私が彼らのような話でコミュニケーションをとった場合、現時点での人間関係は成り立たなくなるだろう。

幼い息子達が、自分のタイミングですり寄ってきたり、勝って放題にふるまったりすることも思い出した。
それでも受け止められるのだ。
そう漠然と考えた。

だれもが信頼し合って過ごすというのは、きっと楽なことなのだと思う。

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彼らの会話で、そばで思わず吹き出しそうになったのは、鳥(キビタキ)の写真をつかったCMポスターを指差して、
「この鳥、何?」
「・・・カワセミだよ!」
「そうか!すごいね君。」
「うん。有名だよ。」

鳥はキビタキと脇に書いてあった。
が、そのすぐ近くにカワセミクラブとも書いてあった。
どこに視線が言って話が成立したのかわかり、なるほどと思った。

もちろん、これも視線を合わせずに話合っていたので、言葉の抑揚が不思議な響きで、ユニークだなと感じた。

空調服

2007-06-28 02:40:50 | 戯言
ネットのニュースで話題になっていて驚いた。
「空調服」

そういう服が既に実用化されているらしい。
着ている人をみたことはないが、Yシャツやブラウス、作業着、ズボン、手術着などがあるらしい。

問題は三点。

まずはデザイン。
ファンがついているのがミソなのだが、外からまるわかり。
しかも着ている時は服がふくらむようだ。
ま、そういう仕様だから、着たいという人にはさして問題にならないかもしれないが・・・。

次に、値段が一着一万数千円もする。
これは強烈だ。
ジャケットを一枚買うような値段でYシャツを買えるのか?

三つ目は電源の問題。
PC作業のときのユニフォームも出ていて、それはUSB供給バージョンもあるそうだ。
消費電力は2.5Wくらいだから、乾電池2本程度は仕込まないとならない。
個人的には太陽電池にならないかなぁ・・・と。

ま、もう少し低価格になったら買ってみたいな。
あ、洗濯はファンを外すのかな?
音はどうだろう?
他にも気になりだしてしまった・・・。

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大好きになる体育の授業(日本標準)山内基広2007.05

2007-06-28 01:31:39 | 教育書
「ねこちゃん体操からはじめる器械運動のトータル学習プラン 」に引き続きの一冊。
小学校体育の内容をほぼ網羅した。
決定打だろう。

もちろん「ねこちゃん体操」もきれいな図版になって載っているが、他の単元もうまく組み入れている。
体育同志会の有力な実践者としての総括ともとれる。
前書を買った人も欲しくなる本だ。

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最近、この手のものはMOOKが多いのだが、これは書籍として出ている。
そういった意味では入手期間が長くていいのだが、いかんせん実践書は絶版になりやすい。
どちらにつけ、売れたものは再販を願いたいものだ。

句読点の指導

2007-06-28 00:37:51 | 教育
句読点の指導というのは一朝一夕ではいかない。

文の形を教えながら、少しずつ(けれど段階的に)やっていかなければならない。

少し類型を押さえながらやっているが、言葉は生き物なので、実際に書いてみると、その理解のハードルは高い。

「書きたい事「書き手の想い)」と「文を整える事(読み手を考える)」は容易に繋がらないし、書式を整えた文を書く事は技術的だ。
二つの想いをいききしながら指導したい。

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水泳

2007-06-28 00:33:08 | 教育
以前の記事で、「yo先生の水泳指導についてのお考えは?」というのがあったが、今年の水泳の様子を書いておく。

水泳は「浮く」が基本。

そのためには「呼吸の仕方」と「力の抜き方」が大事。

前者は口で呼吸するよう矯正が必要。
後者はメンタルと姿勢が大切。
小学生なので、どちらも楽しく自然にやらせることが肝。
理論説明は後づけになる。

「完全に浮ける」ということは、「姿勢を変えられる」ということ。
だから「呼吸体制でもメンタルは大丈夫ということ」。
沈んでも浮くまで「待てる」ということ。

いや、実は浮けると泳げる。

私は25m泳げない子どもが海にいったら40分の遠泳を泳ぎきったのを見ている。
浮ければあとは進むだけである。
スピードを求めなければだれでも浮けば、姿勢を変えられるのだから、泳げる。

「浮く」の次がある。
「浮く」の次は「つかむ」。

これは高度だ。
水をつかめるようになるためには、「フォーム」は大切だが、「感触」がわかってフォームが理解できる。

最終的には「つかむ」に関しては「程度」が効いて来る。
努力で補える以上に才能が効いて来る。

だけれど、そこは目をつぶって「フォーム」と「感触」を行き来しながらいろいろな泳ぎを泳げるようになっていく。

今年の子どもには、まず「呼吸」と「浮く」を教えている。

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今日は日に焼けた。
背中と肩が熱い。

1年生の算数

2007-06-28 00:20:23 | 教育
足し算をやって引き算に至る。
結構大変だなぁ。

数字を使っているのだけれど、具体物や半具体物でないとイメージできないし、操作活動や言葉による理解、語呂合わせ、色塗り、もちろん四肢の指もなんでも総動員だ。

たぶん、試行錯誤を繰り返し、いろいろな場面で考えさせることで貝の口をこじ開けるように少しずつイメージが作られていくのだろうなと、私がイメージしている。

印象的で様々な活動を通して少しでも頭の中で考えられるようになってほしいものだ。

「おいおい、そこの君。話を聞かないと次の操作がわからないだろう。それじゃあいつまでたっても足踏みだぞぉ。」
思わず注意する。
でも、そういったぼーっとした子でも、子ども達同士で声を掛け合う活動などの中や、似たような活動の反復の中で少しずつ追いつき、できるようになっていく。

子どもって不思議な生き物だ。
大きく成長するんだものな。

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大会のチラシ

2007-06-27 20:31:44 | 教育
何人かの職場つながりの人に、今年参加したい夏の大会のチラシを送った。

この手のものは、自分が作っている研究会ではないし、自分の手の内を知らせるようなもので、気恥ずかしい感じがした。

だけど縁をもって少しは自己開示するつもりで・・・。

表現よみ総合法教育研究会国字問題研究会
のチラシが学校に届いた。
教員の机に配られていた。

こうして配られていても、お金のかかる自主研修なので、そうそう手にとって見つめる人はいない。
「おそらく、参加する人はそれなりにニーズをもっている人になるのだろうな」と思った。

だが、ぜひ今年も盛り上がってほしいものだ。

全国生活指導研究協議会の方も、生活指導誌7月号には神奈川大会の予定について詳細がのっている。

分科会の数もすごいが、タイトルからも意気込みが感じられる。
こちらも楽しみだ。
惜しむらくは「表現読み研究会」と日が重なっている点か・・・。

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体育同志会のものとともにそれぞれに送った。
会えたら嬉しい。

いいかげんにしてくれ!教育再生会議!

2007-06-25 18:09:36 | ニュースから
動物園か?
珍しいとか人気があるとかで決めているのじゃないか?

ま、それを受けたのは「宮本延春」という人物の責任だが、後任ということでなんでも継承するのならダメだろう。とりあえず様子見だ。

しかし、それ以前に、自己分析や評価を(彼らの好きなPDCAサイクル)しない教育再生会議はダメダメなので、はやく安倍とともにポシャて欲しい。

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ヤンキー先生の後任は「オール1先生」…教育再生会議(読売新聞) - goo ニュース

結局自民党から掴まされていたの?ヤンキー先生。

2007-06-25 00:55:15 | ニュースから
権力に憧れたのだろうか?
こんな人には教育は変えられないだけでなく、政治屋になっても世の中をよくすることはできない。
そんな大それた資質はない。

この人を拾った横浜市やマスコミなどは責任を感じてもらいたいものだ。

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ヤンキー先生、義家氏が自民から、参院選比例区に出馬へ(朝日新聞) - goo ニュース

「理科離れ」という単語の用い方

2007-06-25 00:22:52 | ニュースから
「理科離れ」について東京情報大学の面白いレポートを読んだ。

また、私自身、「理科離れ」というキーワードは、割と教員のアンケート調査が根拠で、その対応や恣意的な発言が目立つと思っている。

だから、このレポによらずとも、記事が示す「博士」増員は手立てとしては安直だろう。

広大の角屋氏などが給食のように、理科(教材や授業の)センター方式を口にしていたのを思い出すが、科学やその教材化などに優れた人を活かすのはよいかもしれないが、それと子どもの生活や実態を捉えながら教育を成立させていくこととは直結しない。

「博士」増員は施策として可能ではないという部分でも問題だ。
「教員になる」ということはそういうことではないからだ。
少なくとも資質向上にはならないだろう。

私自身、元来理科専門だった。
でも、小学校という校種に入り、愕然としたのは理科の教材・設備と、教育課程の粗末さだった。
最大の問題は時数の減少と知育偏重(特に受験)という点ではあると思う。

前者は週5日制や生活科導入に始まる一連の既存の理科カリキュラムの解体(そう呼びたい)は、後者の現場対応を難しくしている。
一方で、「博士」増員に望まれるであろう「理科の最新知識(体系)」は、既存の劣化(その評価は私なので心もとないが)するカリキュラムや環境などの要因や児童・生徒の生活実態からの乖離から(つまりはつまるところの授業作りの課題)から役に立たないだろう。

教員の資質云々が言われるが、どう考えてもその向上の手立てという点が遅れている。
それは学歴ではない。
「実質的な効果のある研修や教員の自主的な研鑽を引き出す機会を与えること。」
そう考えたい。

ま、これもいつもの話に落ち着いてしまったのだが・・・。

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理科離れ対策に「博士」の先生増員を 学術会議が要望(朝日新聞) - goo ニュース2007年06月24日14時08分
 「学者の国会」と言われる日本学術会議は22日、子どもたちの理科離れを防ぐために大学院で学んだ「博士」や「修士」の教員を増やすとともに、すべての小学校に理科専任の教員を置くことなどを文部科学省や各地の教育委員会などに求める要望をまとめた。

 要望によると、大学院を修了した教員の割合(03年)は、ロシアが89%、米国が59%、英国が24%なのに対し、日本は9%と先進国で「最低レベル」にある。

 さらに「科学的知識は年々高度化しているのに、日本の教員の科学的教養は国際的に劣っているのではないか」などと指摘。教員養成を大学の学部段階から大学院段階に高め、理系の大学院修了者を積極的に採用するよう求めている。

 一方、小学校では、理科の授業に苦手意識をもつ教員が多い(科学技術振興機構の05年調査では62%)のに、理科専任教員が全国で110人(04年度)しかいない現状も問題視。「この数では全国的な改善にはつながらない」として、すべての小学校に専任教員を配置するよう求めている。

 学術会議は昨年5月、教育学者や科学者ら13人からなる「教師の科学的教養と教員養成に関する検討委員会」を設けて議論を重ねてきた。秋田喜代美委員長(東京大教授、学校心理学)は「理科好きの教員を増やさないと、理科離れは止められない。教員の科学的教養を高めるようなシステムづくりが必要だ」と話している。