怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

反・教育入門―教育課程のアンラーン(白澤社)子安潤2006.12.20(5)

2006-12-31 20:54:32 | 教育書
第2章に入った。
ここではあえて「学力論」を学び捨てようとしている。

「学力」という言葉が虚実であることは、実は意識しようにも、教育論議をする上でなかなか抜け出れない部分でもある。
でも、まずその点を指摘し、昨今の学力論の分析に踏み込んで行く。

私は、1項で「リテラシー」の提言が先になされているが、まだ2項の途中なので、どのような結末があるのかは見えていない。

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2項では、「学力低下論」の分類がなされている。
私自身の冬の課題の一つとして、細かい分類の詳細は、別紙にまとめようと思っている。
(できたらどこかに書き留めておきたい)

分類は、
(1)経済団体とのからみのある西村和雄らのグループ
(2)左巻健男に代表される科学主義的グループ((1)のグループに容易に吸収されてしまう可能性がある)
(3)プロ教師の会の河上亮一のグループ(復古主義的でイデオロギッシュ)
(4)学力低下論自体を批判する加藤幸次らのグループ(寺脇派ともいえる)
(5)格差論などマクロな社会学的見地からせまる苅屋剛彦のグループ

の5つ。

ここで自戒をこめて記憶するが、私の「学力低下論」の変遷は全てここに含まれている。
私の論の中心であったのは(2)であり、(5)によって下支えしようとしていたことがわかった。
また、(1)(3)には批判的で、(4)に対しては空想論だと否定的な立場をとってきた。


子安先生はこのような分析に立ち、そこを乗り越えようというのか・・・。

さらに読み進めていきたい。

追伸:これで今年の記事アップが終わる。みなさん。よいお年をお迎えください。

反・教育入門―教育課程のアンラーン(白澤社)子安潤2006.12.20(4)

2006-12-29 22:35:19 | 教育書
教育の内容の決定については、「不当な支配」の及ばない独立性、公正性をどこを基準に納得すればよいのか疑問が残った。

論はたたみ掛けるのである。

キーワード「教養」の登場である。
「教養」が教育の内容を規定していくと捉える。

勝田守一の「国民的教養論」を持ち出し、その能力構造図において、教科の枠組みを照らし合わせるのである。

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続いて、「国民的教養」から「市民的教養」へ上位選択をせまっていくのである。

新しい(国際感覚のある)社会へ向かうための「教育」の創造の提唱と受け取った。
こうなると、ナショナリズムやグローバルリズムを乗り越え、個人がよりよく生き抜く知恵の享受としての教育が創造(想像)されていく。

第一章終了。
子安ブログで読んできた、DeSeCo、シティズンシップなどのキーワードの理解が少し深まった。

さあ、次へ。

NHK紅白歌合戦ぎらい

2006-12-29 19:15:05 | 戯言
明日は実家の父母がやってくる。
長男にとってはとっても楽しみな出来事。

カミさんが連続で身重のため、今年も正月はウチなのだが、そこへ来てもらう形。
(田舎で年越しもいいのだが、個人的にはこの方がグー。)

で、一番嫌なのが
「NHK紅白歌合戦」

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「おじいちゃん、おばあちゃん、つまんないよ。歌ばっかりで。」
と、孫に詰られようが夕方から深夜までテレビはつけっぱなし。

正直、私は、紅白を見せられることには疲れる。

いろいろな音楽を楽しむようになった目や耳にとって、
「これぞステージエンタメ番組!!」
って感じの放送は公害にしか思えない。
(否、好きな人を批難しているのじゃないですよ・・・念のため。)

別に見たいアーティストも出ないし・・・。
(もともと洋楽派なのだが、日本の少ない好きなアーティストの出演は皆無じゃぁね。)
総華的な部分が見所だったハズの紅白も、価値観の多様化、相対化の波には到底勝てない。
エンタメとしての役割は終わっているシーラカンスのようなものだ。


最近思うのだが、こういう石頭のような番組は紅白くらいじゃないかって・・・。
だいたいなんで男女で競い合うの?
紅白って時点でジェンダーバイアスかかりすぎじゃぁない?
なんでCD売り上げの低い、話題性低い演歌歌手でしめなのだろうか?

なぞと疑念はつきないが、悪しき慣習っていうのだね。
安倍晋三とか好きそうだよね。こういうの。
「ウ・ツ・ク・シ・イ・・・」とかのたまったりして。バーカ。

家本芳郎さん

2006-12-28 22:02:41 | 教育書
今年亡くなった方。
先日のジェームス・ブラウンも個人的には印象に残るのですが、やはり教育に関係した方で・・・。

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決して熱心なファンではなかったけれども、
「教育力をみがく」
は、教育実習生にも紹介した好書。

他の本も、現場教員の悩みに対して誠実に応えようとするものが多かったと思う。

ブログ停止の影響で年末になってしまったが、改めて記して冥福を祈りたいので記憶する。

変えよう! 日本の学校システム:教育に競争はいらない:(平凡社)古山明男2006.06.12

2006-12-28 19:58:56 | 教育書
mixiの「おすすめの本」に、7月に書いておいた文をそのまま転載する。
当時、このブログは停止中だった。
で、書かれていないわけだ。

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これはたいへんまずいことをしていたので・・・以下、転記。


この本が優れているのは、(徹底して外部の視点なのだが)内部に関してきちんと考察する中で、そこに関わる人の立場にたった意見を述べている点だろう。
表紙のデザインに比して有機的で熱いものを感じる。

教委や管理職、教員の感じている行き詰まりに理解をしながら批判しているので、多くの教育に関わる当事者が読んで、決してネガティブにならない読み受けやすさ(といったらよいだろうか)がある。

内容だが、日本の教育の硬直した部分を的確に説明、批評しながら、きちんと対抗軸を用意して語っている点が素晴らしい。どれも現実的で有効な提言である。

「いいですよ」「こちらが正しいですよ」「がんばっています」になりがちな、現実にある対抗軸の芽にあたる、例えば「フリースクールなどの実践紹介本」などは、実際には護摩臭いものだ。
それらに対しても、今、何がそこに不足しており、必要なものはこういう順序で、という欠落しやすい部分が小気味よく書かれていると思う。

不登校が制度公害であるというところから始まり、教育制度のアナーキズムを語ると思いきや、最終的に教育の民主化を現実的な理想とおく姿勢は一貫しており、そのステップアップや位相間の飛び越え方など、とても納得がいくものばかりだ。

日本の教育システムはこの書によると30年の軋みを受けているということになる。
経済、法律という不可避の論考をスマートに乗り越え、真の教育改革を望む全ての人への官僚主義という妖怪が霧散するアンセムとなること請け合いである。

ポジティブな教育(改革)批判書とはこういうものをいうのだと思う。
2006年にして、ここ10年近い状況に対し、新たな議論のステージが見えてきそうだ。必読!

転記ここまで。

さて、大雑把な書評めいた文なので、細かいところが分かりにくいが、教育のシステム、特に文科省や地方自治体、教育委員会、そして現場などとの関係性や歴史的な法律の整理などによる考察がとても分かりやすい。
他にはない内容で、独自性を誇っている。

今、子安本を読みながら、平行して読み直しをしている。

小安先生が現状をするどく切り取って、次のステージへ向かう斬新なやり方であれば、古山氏の方は、あるいみ正攻法。

次元が違うのだが、比較すると意外に視点を切り替えて読めそう。

反・教育入門―教育課程のアンラーン(白澤社)子安潤2006.12.20(3)

2006-12-27 21:10:41 | 教育書
今回はホントにメモ程度。

第一章を読み進めている。

教育の内容についてだ。
二つ記憶しておきたい。

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一つ目。
「カルチュラル・スタディーズ(文化研究)」というタームを知り、それが重要なのだとわかった。

知識は選択されて教育に用いられる。
そこに重点がおかれた説明でわかりやすかった。

これについては、私は理科出身なので、これほどすっきりと飲み込めた事は青天の霹靂だった。

角屋重樹の主張などを読んだときも思い出したのだが、子安先生のブログで冥王星の惑星はずしが多数決で決まった話も同時に思い出した。

科学を宗教と例えて、普遍性は疑わしいと述べる輩に対して、「事実の不変」が科学の立証の普遍を支えていると信じて反論していた私としては、「政治的な差異」という視点が明確に認識できていなかったのだなと考察した。

そう考えていくと、角屋の主張ももっともな部分もあるのだと思う。
ただし、彼がそういった指摘をしたかというと、それに対応している実践例が違うので、そんな人ではないのだろう。
でも、これはこれで生きる部分があるのだという認識には立てた。

二つ目。
城丸章夫の論文を引きながら、その決定が政治的な意味合いをもっており、そこに注視しながら決めて行かないと「各階層の参加した合意」による「(教育の)内容」にならない。という読み。

だから今回の教育基本法改定は十分に危険を孕んでいるとも読めるのではないだろうか。

この先の展望が見えるのか?
冒険は続く。

今年の読書結果

2006-12-27 09:22:04 | 教育書
今年もいろいろ刺激を受けた。
でも、贔屓と偏見と勢いでベストは子安先生の本になってしまうだろう。

反・教育入門?教育課程のアンラーン(白澤社)子安潤2006.12.20

で、以上!今年終了!!

でも、それではにべも無いものになってしまう。
ベストはベストとして、心に想起できる印象をもったものを羅列したい。

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まずは今年度の研究テーマ「国語:読み」に関わって、

<対話>のない社会(PHP研究所)中島義道

これはいい勉強をした。とてもいろいろな発想が浮かんだ。

わかったつもり/読解力がつかない本当の原因(光文社新書)西林克彦2005.09.20

もあげておきたい。
読解に関する基礎的な部分が自分に抜けていた事を教わった。
各実践書などを読む際、別な基準を自分に身につける事ができた。

変えよう! 日本の学校システム:教育に競争はいらない:(平凡社)古山明男2006.06.12

これは評判になっているのだろうか?
教育のシステムを本流でない人が分析・考察し、きちっとした展望を見せている。
教育基本法を変えている暇があったら、こういう本のような改革を目指すべき。
今年の夏の大ヒットだった本。(教育を気にする読んでいない者は今すぐ読め!)

らぶれたあ(かもがわ出版)霜村三二2006.06

これは夏の同志会の研修と思い出を重なる。
誠実に実践を積み重ねる事からしか教師はものをいえないことを再認識させられた。
すばらしいし、共感することで勇気がわいた。

「夜間中学校の青春」文:見城慶和、写真:小林チヒロ(大月書店2002.06)

これは今年の本ではないが、今年の大きな出会いの一つ。
見城先生(そして国字研の田村先生)。

教育の基本というか、創始というものがどこに由来すべきかを考えさせられた。

今年のマンガ大賞はなし。

何に付けても、今年は教育基本法改悪の年だった。
我々現場教育界もどんどん居心地の悪いものになっていく。

それに真っ正直に抗うために、まず、どこに待避するか。

そういった意味で、やはり子安本が、年末にその砦になってしまったのは必然かもしれない。

今年はおよそ5、60冊といったところ。
通勤が自転車になり、双子を得て忙しかったこともある。

来年も目標は100冊だが、無理なくいきたい。

PLUTO第四巻(小学館)浦沢直樹

2006-12-26 22:11:48 | 戯言
いやー。1年に何冊も出ないのが困るけれど、楽しみにしていました。

表紙はDrテンマとは!!

しかし、アキレスやゲジヒト破壊の前にゴジ博士登場や、お茶の水博士をいじるなど、原作の展開を巧みに越えて「イイ!」です。

ゲジヒトを狂言回しにしているところが(やはり)この作品のミソか!

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単行本最後の西原理恵子の「あとがき」もオモロイ。

反・教育入門―教育課程のアンラーン(白澤社)子安潤2006.12.20(2)

2006-12-26 08:59:24 | 教育書
まだ読み出したばかり。

でも、これは過激な本だ。
教育書というより思想書かもしれない。

「ナショナリズム」「能力主義」「目標管理」という教育がメインストリームを学び越え、カウンターパンチをどこから呼び起こすのか・・・。

改定された教育基本法06に対応するべく、行政による教育への介入の間接部分となる「指導要領」から取り組む内容は引き込まれる。
(しかし、47基本法は惜しい。)

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自分の思考が錯綜しそうになるのは、情報のスキーマが整理されていないから。
だから自分自身の文脈を熟考し、確認しながら読まなければならない。

子安先生のような批判的な視点で、忘れないように読みすすめたい。

この冬、最初の冒険。

年末はゆっくり

2006-12-26 00:21:48 | 戯言
いつも「ゆっくり」とか言っている割には何だかんだとある毎日。

だけれどリキをいれて「ゆっくり」するぞ!

来年は、また激動の予定が複数入っている。

頭の中が混乱する前に休んでおきたい。

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とりあえず年明け早々に誕生日を迎えるが、それはもう若造ではないという警報ランプ。
心身痛んでいるが、まだ走り続けなければいけない最中の背反した気持ち。

回るな思考。
今は休みたい。

2学期終業

2006-12-25 17:34:03 | 教育
今年は2年生を担任している。

以前に担任した事がある学年だが、この学年は誠実さという意味では馬鹿正直な時期だ。
(馬鹿は余計か。実直と言い換えてもいい)
抽象思考の一歩手前の発達段階だが考える力はあるし、集団としての意識もそこそこある。
1年生よりもよっぽどいろいろできる。(当然か)

力があって、素直だ。
だからマジックにかかりやすい。

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わずか2週間程度の冬休みなのだが、

「3学期は短いのだよ。あっというまに3年生になる。だから、気持ちだけでも3年生へ向けて切り替えよう。
君たちならできるよ。
今年学んだ漢字160字の学習方法や身につけた九九は3年生で全部役に立つものだ。
君たちは、いい3年生になれるよ。
3年生は理科や社会、総合的な学習の時間などの新しい教科などにも挑戦する、すごい学年だよ。
図工や音楽は専科の先生に習えるよ。
3学期は3年生になるための切り替えの時期だよ。
だから、この冬休みは、3年生になったらどう頑張るか、気持ちだけでも作っていこうね。」


そういってわかれた。

実のあるマジックになってほしい。
少ない時間で成長できる小学生だから。
特に2年生ではそこに期待してしまう。そんな素敵な学年だから。

たそがれ清兵衛

2006-12-22 22:07:22 | 映画
今日、テレビでやっているのを観ている。
劇場で観たかったな。

映画が好きだ。
銀映像が好きだ。

大学時代に映画研究会に所属していたが、カメラマンをやらせてもらっていた。
高校時代に写真をかじっていた知識はそのまま生きた。

テレビの連続ドラマは嫌い。
話の展開もだが、映像に拒絶反応を感じる。

照明が不自然なのだ。
銀映像は照明にごまかしがきかない。
そこがとても好きだ。

山田映画の照明はとても自然だ。
作りのいい映画はほんとに安心して観ることができる。

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リーク

2006-12-22 21:56:21 | 教育
また職員会議内の話をリークしようと思う。
あんまりだと感じるからだ。

ただ、首がかかりそうな内容なだけに、日付をそのままに、アップを遅らせて記憶しようと思う。
そう、ひっそりと・・・。

卒業式などが地方自治体の行事と化し、式の形式、その他が教諭の理想や児童の主体性、保護者の想い、地域の伝統が考慮されなくなったことは、現在よく知られる事実だと思う。

具体的には、舞台演壇形式や日の丸拝礼・君が代唄えの強制卒業式だ。

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それでも、昨年度までは、式に、「卒業生への在校生の想い」をということで、会場内の装飾に、在校生手製の飾りなどがあったものだ。

今日、それが排斥される事実がわかった。

校長は「市の意向」ということ、「静粛に行う式」をということ、そんな理由で、その装飾を排除する方針を会議中に発した。
もう卒業式の会場は教育の現場ではなくなった。そう思った。

当事者的な関わり合いを教員ができない世界が学校の「式」であるならば、学校でやる必要性さえ疑わしいものだ。
ましてや、そこに教員が居合わせる必然も、保護者の前で演ずる卒業生も、見守る保護者も、全て「式」の必然であって、当事者である必然ではなく「式」に参加させられているとも考えられる。
強権的な匂いの紛々とする中で行われる卒業式を無条件で飲み込むというのか。校長。
そういう表情をしている。冷たい目。

会議は終わった。

私は卒業式を捨てる。そういう不良になったのだと思う。
学校は首長の思うがままだ。

教育活動は不当な支配に屈するがごとくである。(旧47教育基本法)
主権者は削除されたのである。(改悪06教育基本法)

そこに嬉々として屈服することを選ぶ校長は最低だ。
私はいつまで正気を保って教員を続けられるのか不安だ。

最後に一点、自分の情報のリーク。
実はこの学校の行く末を見とれる立場から(校長に)外された。
わずか3年か。
(愚痴を言えば、我が家は赤子だらけ。遠方だったら責任はだれがとってくれる?)

成績出し終わる

2006-12-21 07:02:12 | 教育
いつも成績処理は胃が痛くなる。
評価自体嫌いだ。
おそらく「評価すること」を無くすると、教育が荒廃でもするとでもだれか考えたのだろうか?

よく考えると、子どもをその場その場で誉めたり、テストしたり、相互評価的活動をしたりするのは全然嫌じゃない。
この期末にある事務的な作業が嫌いなのだろう。
日々、評価、価値付けしてあげていると、今更のようにとどめを刺す評価の気恥ずかしいことよ。

等身大の子どもを通知表に表現する自分の技量不足、資質不足が原因なのだろう。

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所見欄に、学期にやってきたことを羅列しながらコメントする様式がある。
あれが嫌いだ。
言い尽くせないし、事務的で、端的なので程度のごまかしも容易に入れられる。
でも、毎学期に「この子はこうだ!」という評価を下し続ける事は、少ない情報量で子どもを決めつけてかかるので神経がすり減ってしまう。
第一、マイナス評価を書く事は基本的には御法度。
そうなればなんと書きにくいことよ・・・。
(背に腹変えられず、今回は前者の方式で書いてみた。はぁ・・・。)

毎回の愚痴はさておき、2学期分終了。
あとは諸帳簿類だ・・・。(自爆)

反・教育入門―教育課程のアンラーン(白澤社)子安潤2006.12.20(1)

2006-12-18 20:02:08 | 教育書
子安先生の本が届いた。
ブログしか知らない方だが、多くの示唆を(勝手に)受けている。
既に本年度のマイブックスベスト決定と(勝手に)喜んでいる。
とりあえず成績処理が終わってから読むつもり。
でも、手が伸びる伸びる・・・。(仕方が無いので封筒に入れ直してしまった・・・。)

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最近、自分の論調が(ネガティブなのは意識していたが)閉塞感をもっているのだと思い、自力でそのレベルを脱出するべく思考を続けている。
書物はそのための暗闇をたどるための杖だ。
この冬休みに読む本が積まれている。

自分の生活にも仕事にも直接は関係ないのだが、(勝手に)読むつもり。
寂しいが楽しい。