怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

YMO

2007-09-29 21:48:59 | 音楽
MTV系のネタなのだが、細野や高橋のインタビューを中心にHASYMOの特集をやっていた。

いつものことで計画的に観ていないので、ザッピング最中に発見し、途中から。

YMOはリアルタイムなのだけれど、正直、スタイルが前衛的でついていけなかったクチだ。

ファッション的に捉える輩についていくのも嫌だった。

でもライディーンやテクノポリスなどの有名な楽曲は耳にしていたし、かっこいいと感じていた。
一方、アコースティックな音が好きだった私としては、無機質なビートの反復は決して気持ちのいいものではなく、そういった意味でもハマれなかった。
テクノミュージック全般に、ハマりきれないのはそこいらへんであるのは今でも変わらない。

番組を観ていて、当時のとんがった三人の雰囲気がどこに由来していたのかを感じる事ができ、親しみを覚えた。
また、今の耳で聴く楽曲が違って聞こえたり、PVの仕方の無い粗悪感というものも時代がかって見えたりして、そういった理解のもとで聴くならば受け止めようがあると感じた。

ちょっと聴き直してみようかなというカンジ。

昔のライブ映像に矢野顕子が出ていたのだが、彼女も昔からヒップで力量のあるアーティストであったことを再認識したのも収穫だった。

今やどうなっても評価の変わりようの無い巨星だけれど、力を抜いて新しいプロジェクトを前向きに存続させようとしていることは好感をもった。

80年代というのは、電子楽器の発展とともにシーンが形成されたという意味ではとてもエネルギッシュだけれど、その品質は現在振り返るとちょっとというモノが多いと感じる。
聞く側にもそれなりの理解が必要だと思う。

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「団結がんばろう」という虚しさ

2007-09-29 20:47:40 | ニュースから
都教組ニュースを読んだ。

都内の各教組が集結した集会があったのだそうだ。

その内容というよりも、アピールの中身のクライマックスがコピーされていたと思う。

最後の言葉が「団結がんばろう。」。

私はなんのアジテーションも感じないが、私だけでなく、どう斜めに見ても職員に配る内容としては要点も盛り上がりも伝えていないと思う。
きっと、内実がそうなのだろう。

ちなみに中身は、都教組HPに書かれている「再雇用廃止」反対!「主任教諭」の給料表を許すな!なのだが、都教組が都教委に無視されている状況があるという主張ものっていた。

都教委の異常性はこのブログでもさんざん書いてきたが、こういった点について、諦観つのる職員にではなく、世間に効果的に訴えて行かなければ労組としての役割はもはや果たせないだろう。

読みながら、眺めながら、そんなことをつらつら考えていた。

「団結がんばろう。」
日本語的にもどうかと思うのだが、むなしい響きだ。
スト権の発動をせずにずるずるきた弱腰もそうだが、闘争の仕方自体、経過自体に、
「そういわれてもなぁ。」
という気持ちは拭えない。

ま、投げやりにならない程度に・・・。

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長井さんの冥福を祈ります

2007-09-29 07:18:31 | ニュースから
打たれる瞬間の映像がすでに流れているが、紛争地域専門の手練の記者であった長井氏でも至近距離で凶弾を受けてしまうことがあるのだという事実が驚きだった。

こういう現場で生き抜き、使命を果たす人がいるということにも目を見張るが、こうした不幸がそういった人たちにとって身近なのだということも同時に思い知らされる。

重要な現実を伝えようと頑張っておられたであろう長井氏には、冥福を祈るばかりだ。

長井さん死亡事件、ミャンマー政府に真相究明要求へ(読売新聞) - goo ニュース

こうした悲しい事実も経過において、ミャンマーはどこへ向かうのか、注目を続けたい。

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恐怖新聞

2007-09-29 06:59:05 | ニュースから
つのだじろうの「恐怖新聞」という漫画があった。
それは近い未来の出来事がわかる予知的新聞なのだが、その対価として寿命が縮むのだ。

読売新聞を見ると寿命が縮むかもしれない。
でも、未来が分かるのではなく、世間にいらない印象をまき散らしているためにそうなるのだ。

> 安倍前首相が政権発足時に掲げたのは、教育基本法の改正と、「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障する」ことだった。

この安倍の引用は、すなわち読売新聞社の御用性の高さを物語っている。
阿倍の言う「高い学力」とは何だったのか?
阿倍お言う「規範意識」とは何だったのか?
すでに教育再生会議などで浮かび上がってきているものを見るにつけ、偏見と圧迫に満ちたものであることは明白だ。
読売新聞は、それを是としているのだ。

>制度面で、教育改革は大きく前進している。

「前進」しているという判断。これは読売の論調なのだろう。
教育改革を是とするのでなく、「現与党の教育改革」に双手を上げて賛成という最悪の思考停止状態がはっきりわかる。
「教育改革」というものを自己評価しようとしないダメ新聞社「読売」は御用新聞でしかないということだ。
それとも「前進」というのは自己評価してそう考えるのか?
それならばたいへん実態調査を行っていない取材なき新聞社「読売」ということになる。
管理職が増えて、子どものために何かが変わったのだろうか?
免許更新制度導入に当たっての起こっている喧噪は、何かの予兆と感じられないのだろうか?

> 心配なのは、道徳の教科化をめぐり、混乱が見られることだ。
>教員組合などは、「検定教科書導入で国の価値観が子どもに押しつけられる」「戦争する国づくりにつながる」などと、いたずらに危機感をあおり、教育再生路線まで全否定しようとしている。


この記述もひどいイメージ操作だ。
どこに混乱が見られるのか?
教員組合などが教育再生路線を全否定しているというのが道徳教科化とどう結びついているのか?

逆に読売の考えは、道徳は教科化の是非を述べていない点は非常にアンフェアである。
また、その混乱は中教審の中にあり、提議自体に問題があり、その混乱の責任がある事を審議結果は示している。
教育再生路線を全否定している流れがどれほどの影響力があり、その内実が道徳的な内容のみで集約されているのかどうかは隠蔽しようかという文章になっている。
読売新聞はたいへんひどい新聞だ。

> だが、「教科」格上げの主眼は、道徳教育の「充実」にある。この方向性では、再生会議も中教審も一致している。「教科化」の言葉に振り回されて、議論を迷走させては元も子もない。
ここまでくると結局、読売は道徳を教科化させたいのだ。
道徳教育を知らない読売は、自分たちが非道徳的であるということがわからないのだろう。

> 実のある充実策を追究してほしい。

読売新聞はその名の通り売り物だが、買ってまで読む新聞ではない。

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学習指導要領 「学力」「規範」の重視が基本だ(読売新聞) - goo ニュース2007年9月28日(金)01:20
 「教育再生」は、どんな内閣でも、取り組まねばならない基本的な課題だ。

 福田内閣の下でも、文部科学省、中央教育審議会は、小中学校、高校の学習指導要領の改定作業などを着実に進める必要がある。

 安倍前首相が政権発足時に掲げたのは、教育基本法の改正と、「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障する」ことだった。

 新しい日本の教育理念を示した改正基本法が昨年12月に成立した後、学校教育法、教員免許法などの改正で、学校の組織力強化のための「副校長」「主幹教諭」職の新設、教員の質向上のための免許更新制導入などが決まった。制度面で、教育改革は大きく前進している。

 一方、「教育再生会議」は、「学力向上」策として「授業時数10%増」「基礎・基本の反復」「薄すぎる教科書の改善」などを打ち出した。「ゆとり教育」からの脱却の宣言である。

 「規範意識」に関しては、道徳の「教科」格上げを提言した。点数評価はせず、「多様な教科書と副教材」を使って指導を充実させる、というものだ。

 これら一連の動きが、指導要領の改定作業に大きな影響を与えている。

 小中学校の授業時数は主要教科と体育で10%増える。中身の充実も図り、現行の指導要領(2002年度実施)で3割削られた学習内容の復活も相次ぐ。

 小学校社会で、47都道府県の名前と位置を覚えさせる。弥生時代から教えていた日本の歴史は縄文時代からになる。算数に台形の面積の求め方が復活する。

 中学理科にも、現行指導要領から高校に移された「イオン」「進化」などが復活する。地理でも現在2~3か国に限定されている学ぶべき海外の国の数が、世界の各地域に広げられる。

 そこまで子どもの学びを“制限”していたのか、とあきれる保護者も多いのではないか。基礎知識なしには、「もっと知りたい」という意欲や、学力向上のきっかけすら生まれて来ないだろう。

 心配なのは、道徳の教科化をめぐり、混乱が見られることだ。教員組合などは、「検定教科書導入で国の価値観が子どもに押しつけられる」「戦争する国づくりにつながる」などと、いたずらに危機感をあおり、教育再生路線まで全否定しようとしている。

 だが、「教科」格上げの主眼は、道徳教育の「充実」にある。この方向性では、再生会議も中教審も一致している。「教科化」の言葉に振り回されて、議論を迷走させては元も子もない。

 実のある充実策を追究してほしい。

国立大学の統合

2007-09-29 00:03:35 | ニュースから
国立大学にとって歴史的に大きな分岐点のような話の一つになりそうだ。

四年制国立の単科大学は、その個性に価値があったと思う。

私自身も教育系単科大学出身だから、これが総合大学だったら、自分の学びもまた違っていたことは想像に難くない。

もちろん大学であるから、どういう形態であっても、その個人の責任において豊かな学びは保障されていただろう。
けれど大学自体がもつ個性というものは、そこに所属する学生が規定したものでない伝統的なものに左右されもする。
だから私は、良きにつけ悪きにつけ、尊重されるべきものがあっただろうし、学生の所属感や愛着(無論その逆の場合も)などはそこから出発しているものだっただろうと思っている。

こういった話(統合)は、これからも出て来ることが予想される。

そういったとき、いったいどこに力点をおいて語られることが大切なのだろうか?
「統合」というのは本当に必要なことなのだろうか?

個人的には、少なくとも経済的な側面ばかりで語ってほしくはない。

大阪外大も、
>大阪外大は大正10年、大阪の実業家、林蝶子女史が「大阪に国際人を育てる学校を」との理念のもと、学校設置資金として100万円を国家に寄付、政府がこの寄金をもとに前身の大阪外国語学校を創設した。
とあるように、建学の精神が前提にあり、個性づけられた経過があるのだから。

自ら本文である「学び」を通して、どのように大学に関わってきたのかは多様だろうけれど、有形無形の所属感という部分では各大学に確かに自分が居たということがアイデンティティにも関わっていると考えるから。

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大阪外大、阪大と来月統合 懐深い学風惜しむ (産経新聞) - goo ニュース

私もやっていた仕事

2007-09-28 23:41:23 | ニュースから
そうそう。請け負いなんだよね。
だからバイク便屋からは「緑ナンバーつけろ」とか、「青色申告しろ」とかの指導は多かったね。

携帯を耳につけて、精一杯道を走り抜ける。
元気よく配達業務を行い、道路の粉塵だらけで帰宅する。

私がやっていたときは、既にバイク便も過当競争に入り、命をはるだけの身入りはなかった。

現業チックな感覚と、バイクで走るのが好きでないとやってられない仕事ではあった。
そこいら辺は結構向いていたと思う。
運転はそれほど上手ではなかったと思うけれど・・・。

結構つらいと感じるのが、実質的な拘束時間の長さだったと思う。

朝は8時くらいには連絡を入れて仕事を送ってもらうようにして、夜も8時終了だった。
しかも、その時間は個人に任されているので、オールでやる連中もいたと記憶している。

バイクだったけれど、時に集中力が途切れる瞬間があると恐怖だった。
昼に忙しさの波が来ると、パンを齧りながら走った。

やってよかったのは、自由業的だったから、長男の出産に関してはいろいろ融通がきいたことだろう。

冬の仕事待ちがは寒さが身にしみた。
冷たい雨はまだいい方で、路面が凍ったときには死ぬ思いもした。

いろいろ思い出してしまった。

業者に指導をするのは勝手だが、ドライバーの身入りが増えないのであれば、あまり意味がないかもしれない。
お役所的、あるいは労働者の味方のフリが好きな連合的発想だと思う。
無為ではないけれど、それは出所の話で、結果は有為でもない気がする。

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請負契約のバイク便ドライバーも労働者 厚労省通達(朝日新聞) - goo ニュース

自民党なんてこんなもん

2007-09-28 23:27:03 | ニュースから
「けじめ」ねぇ。

聞こえはいいけれど、親子2代で癒着している会社があるってことじゃない。
私的には政治家の企業献金なんて認められないから、なんてセンスだと思う。

ま、自民党なんてこんなもんでしょう。
こんな輩を上に立てなきゃいけないなんて、非民主的だこと。

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渡海文科相、寄付金を返却「疑義は不本意」(朝日新聞) - goo ニュース2007年9月27日(木)13:34
 渡海文部科学相が代表を務める「自民党兵庫県第10選挙区支部」が03年と05年の衆院選公示日の当日と前日に、国の公共事業を施工中の建設会社からそれぞれ100万円の寄付を受けていた問題で、渡海氏は27日、両年にこの会社から受け取った計290万円の寄付金を返却した、と明らかにした。渡海氏は理由について「公選法違反ではないとの認識だが、疑義が生じるのは不本意。けじめとして、当該年の寄付を返却するように指示した」と述べた。

 文科省で記者団の質問に応じた渡海氏は会社について「親子2代、親しくつきあっており、以前から定期的に支援を受けている」と説明。会社から選挙区支部には衆院選時以外も含め03年に計130万円、05年に計160万円の寄付があったという。

 公職選挙法は、国と契約関係にある企業などが国政選挙に関連した寄付をしたり、候補者が寄付を受けたりすることを禁じている。

言うじゃない

2007-09-26 22:11:34 | ニュースから
山崎派というのはそういう連中だったのかな?

まあ、とりあえずは安心材料。
その後はどうかだな。

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文科相「バウチャー無用」 安倍教育改革に一定の距離(共同通信) - goo ニュース2007年9月26日(水)19:54
 渡海紀三朗文部科学相は初閣議後の記者会見で26日、政府の教育再生会議が導入を検討中の教育バウチャー(利用券)制度について「いらないと思う」と述べた。その後のインタビューで「市場原理の導入は教育にはなじまない」とも話し、競争原理を鮮明にしていた安倍晋三前首相の教育改革とは一定の距離を置く考えを示した。教育バウチャー制度は、行政が発行した利用券で児童・生徒が学校を選択できる。

新文部科学省大臣

2007-09-25 23:10:15 | 教育
安倍が自分の悪事の重圧に(?)やっていけなくなり、福田が自民党のイメージを刷新する予定で組閣をしなおした。
しょうもない人事なので、早々に解散総選挙をしてほしいものだと思うが、一応、伊吹にかわる文部科学省大臣が決定しているので調べてみた。

渡海紀三朗という男だ。
山崎派に所しており、その派閥中にはありがちの「さきがけ」からの出戻りらしい。
その昔は安倍の秘書を務めていたそうだ。
おそらく、党の政調会長代理までになった(つまらない)実績が契機となって、過去に文部科学省副大臣を努めていた経歴を買われたのではないだろうか?

座右の銘は「最善を尽くす」だそうだが、「最善」という言葉を理解できない自民党に所属する身なので、いい加減ではないかと疑われるのは必至か(笑)。
まずは教育再生会議の継続の是非を踏み絵にしたい。

どう考えても同会議の継続をやめなければ、ただでさえ動きがとまっていた中教審の進行の足を引っ張りかねない。

福田の言動、伊吹からの引き継ぎなども気になるが、この人の第一声には懐疑心をもって注目したい。

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安倍から福田

2007-09-24 22:48:26 | ニュースから
「体調が悪かった」はわかるが、言動に不明瞭な点が多い。

去る者は追わずなのだが、辞める前の発言の説明が精確になされたわけではないと思う。
(小沢会見申込み、病名、今後の進退に触れた発言の根拠などなど)

結局は福田による自民党再生ムードを打ち消さないようにしていただけのような気がする。

まあ、アメリカあたりに辞めろと言われて寝込んだのか?と邪推したくもなるのだが、戻ってきたところでの発言は、いかに元首相とはいえそちらこそやめて欲しいと思う。
いいときだけ寝込まないで欲しいと思う。

さて、福田はすでに安倍継承観を緩急をつけて述べている。
麻生はいい噛ませ犬だったわけだけれども、そういった意味で、外向きに牙をむく姿勢からの転向はあっても本質は変わらない自民党政治は解散総選挙までは続きそうだ。
予算委員会が年末に立ち、きっと消費税なんかはあがるだろう。

民衆の暮らしはつらいものが続く。

金利問題なども世界規模で火がつきそうだから、きっと不景気が長引く。

新人採用は、阿呆な人材カットのつけとして増大傾向として回って来るだろうから、そんな中での新自由主義的な格差感や閉塞感は変質しつつ増大し続けるだろう。

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安倍首相、国政混乱を陳謝 体調悪化が「最大要因」(共同通信) - goo ニュース

大きなかぶ

2007-09-24 22:30:47 | 教育書
サンニ先生の「らぶれたあ」を感謝しつつ読んでいる。

1年生の代表的といってもよい教材「大きなかぶ」は、いろいろ調べたけれど音読に関してはサンニ先生のアイデアである○を連ねるイメージを用いてみた。

音読指導については、個人的にいろいろやってきているのだけれども、そのイメージ化という意味では、とてもすんなりとしたものになったと思う。
子ども達へのこれからの指導へのヒントになりそうな感触だ。

サンニ先生は、「実は、授業を中心にした話題で通信をつくっている」というようなことを言っていた。

私も通信の形がほぼ毎日になり、生活というより実践が中心にシフトしつつある。
加えて私の通信は、比較的情報量が少なく、メッセージ性も乏しいのだけれど、子ども達の様子を伝え、何を教室で伝え、安心と信頼、そして家庭教育力向上のきっかけを提供していけるかが落としどころになってきている。

この年度を貫徹する自信は五分五分なのだけれど、とりあえずひと月できたのだから2学期は継続したい。

たまって、親からのフィードバックももっともっと出て来るようになったら、事後報告で管理職にこのことについて相談したい。

ちょっと長めのカリキュラム設定にしてある「大きなかぶ」は、少しずつ力が連なっていくのだから。

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追:
「大きなかぶ」が内田と西郷で訳が違うことは、今年初めて知った。
なんともはやな私だ。

TVドラマ嫌い

2007-09-24 20:39:35 | 教育
医者に対する「ブラックジャック」に当たるのが、おそらくTVドラマ「熱中時代」と「金八先生」だろう。

10月11日より金八先生シリーズ8なのだそうだ。

ちょっと観念的な部分も多かった熱中先生に対して、現実の現場をドラマ化したかのような金八先生は、ドラマとしてよりも、そのリアリティに注目が集まった気がする。
実際に語られる両者を比べると、前者がその先生のキャラクターや言動に注目されるのに、後者の金八シリーズは、同時代性、生徒の言動、社会性にまで言及されることが多いと思う。

ドラマにおいてリアリティと言った場合、タイミングの問題や背景の一般化と共有化、テーマの選択、重層化による複雑さの回避などに加え、あまりにリアルすぎて現実に影響を与えかねない事例の一致してしまうことに対する一般的な教育的配慮が必要になるであろうから、なかなか客観的に批評してどうこうという話にならないと思う。

よく「金八先生は現実にいるか?」などという問題は、その設定自体が解釈の多様化が避けられないだけでなく、リアリティの壁の前で観念性を抜け出れない。
一昨年くらい(?)に「女王の教室」がネット上で語られることが多かったが、それなどは「金八シリーズ」のようなリアルな設定自体が抜け落ちており、現実との比較などはナンセンスの極みだったのだが、そういった観念性をもとに言動が広がるに至っては、デマゴークと同じ狂騒を呈していたと思う。

ここにきて「金八シリーズ」というTBSには、どこまで武田鉄矢というキャラを使い続けるのか?という、エンタメに対する創造性の欠如、シリーズに対するリアリティへの潜在的な欲求に対する無視という部分で、諦念のようなものを私は持ってしまうのだが、それでも「教育」というテーマでTBSはやっていこうという部分があるのだろう。
「それだけのこと」と言い切りたくはないのだけれど、出涸らし感で語られてほしくない回顧心があるのは、自分自身も影響を受けている部分があるのだなというところ。

よいドラマだったらだれか教えて欲しい。
私は元来のTVドラマ嫌いだから見ないけれど。

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註:
私がTVドラマを嫌いな一番の理由は、照明がとっても変だから。(気になってしょうがない。)
物語の展開にリアリティを感じないから。(だいたいぶつ切りで、あんなに長い展開ではねぇ。)
時間設定が無理だから。(仕事上、見る時間にない。)
俳優に関して語られるとき、ミーハーではないので名前もろくに覚えないから。(コミュニケートのツールとしては不足。)
他にもあるけれど、主なものは以上。