つのだじろうの「恐怖新聞」という漫画があった。
それは近い未来の出来事がわかる予知的新聞なのだが、その対価として寿命が縮むのだ。
読売新聞を見ると寿命が縮むかもしれない。
でも、未来が分かるのではなく、世間にいらない印象をまき散らしているためにそうなるのだ。
> 安倍前首相が政権発足時に掲げたのは、教育基本法の改正と、「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障する」ことだった。
この安倍の引用は、すなわち読売新聞社の御用性の高さを物語っている。
阿倍の言う「高い学力」とは何だったのか?
阿倍お言う「規範意識」とは何だったのか?
すでに教育再生会議などで浮かび上がってきているものを見るにつけ、偏見と圧迫に満ちたものであることは明白だ。
読売新聞は、それを是としているのだ。
>制度面で、教育改革は大きく前進している。
「前進」しているという判断。これは読売の論調なのだろう。
教育改革を是とするのでなく、「現与党の教育改革」に双手を上げて賛成という最悪の思考停止状態がはっきりわかる。
「教育改革」というものを自己評価しようとしないダメ新聞社「読売」は御用新聞でしかないということだ。
それとも「前進」というのは自己評価してそう考えるのか?
それならばたいへん実態調査を行っていない取材なき新聞社「読売」ということになる。
管理職が増えて、子どものために何かが変わったのだろうか?
免許更新制度導入に当たっての起こっている喧噪は、何かの予兆と感じられないのだろうか?
> 心配なのは、道徳の教科化をめぐり、混乱が見られることだ。
>教員組合などは、「検定教科書導入で国の価値観が子どもに押しつけられる」「戦争する国づくりにつながる」などと、いたずらに危機感をあおり、教育再生路線まで全否定しようとしている。
この記述もひどいイメージ操作だ。
どこに混乱が見られるのか?
教員組合などが教育再生路線を全否定しているというのが道徳教科化とどう結びついているのか?
逆に読売の考えは、道徳は教科化の是非を述べていない点は非常にアンフェアである。
また、その混乱は中教審の中にあり、提議自体に問題があり、その混乱の責任がある事を審議結果は示している。
教育再生路線を全否定している流れがどれほどの影響力があり、その内実が道徳的な内容のみで集約されているのかどうかは隠蔽しようかという文章になっている。
読売新聞はたいへんひどい新聞だ。
> だが、「教科」格上げの主眼は、道徳教育の「充実」にある。この方向性では、再生会議も中教審も一致している。「教科化」の言葉に振り回されて、議論を迷走させては元も子もない。
ここまでくると結局、読売は道徳を教科化させたいのだ。
道徳教育を知らない読売は、自分たちが非道徳的であるということがわからないのだろう。
> 実のある充実策を追究してほしい。
読売新聞はその名の通り売り物だが、買ってまで読む新聞ではない。
学習指導要領 「学力」「規範」の重視が基本だ(読売新聞) - goo ニュース2007年9月28日(金)01:20
「教育再生」は、どんな内閣でも、取り組まねばならない基本的な課題だ。
福田内閣の下でも、文部科学省、中央教育審議会は、小中学校、高校の学習指導要領の改定作業などを着実に進める必要がある。
安倍前首相が政権発足時に掲げたのは、教育基本法の改正と、「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障する」ことだった。
新しい日本の教育理念を示した改正基本法が昨年12月に成立した後、学校教育法、教員免許法などの改正で、学校の組織力強化のための「副校長」「主幹教諭」職の新設、教員の質向上のための免許更新制導入などが決まった。制度面で、教育改革は大きく前進している。
一方、「教育再生会議」は、「学力向上」策として「授業時数10%増」「基礎・基本の反復」「薄すぎる教科書の改善」などを打ち出した。「ゆとり教育」からの脱却の宣言である。
「規範意識」に関しては、道徳の「教科」格上げを提言した。点数評価はせず、「多様な教科書と副教材」を使って指導を充実させる、というものだ。
これら一連の動きが、指導要領の改定作業に大きな影響を与えている。
小中学校の授業時数は主要教科と体育で10%増える。中身の充実も図り、現行の指導要領(2002年度実施)で3割削られた学習内容の復活も相次ぐ。
小学校社会で、47都道府県の名前と位置を覚えさせる。弥生時代から教えていた日本の歴史は縄文時代からになる。算数に台形の面積の求め方が復活する。
中学理科にも、現行指導要領から高校に移された「イオン」「進化」などが復活する。地理でも現在2~3か国に限定されている学ぶべき海外の国の数が、世界の各地域に広げられる。
そこまで子どもの学びを“制限”していたのか、とあきれる保護者も多いのではないか。基礎知識なしには、「もっと知りたい」という意欲や、学力向上のきっかけすら生まれて来ないだろう。
心配なのは、道徳の教科化をめぐり、混乱が見られることだ。教員組合などは、「検定教科書導入で国の価値観が子どもに押しつけられる」「戦争する国づくりにつながる」などと、いたずらに危機感をあおり、教育再生路線まで全否定しようとしている。
だが、「教科」格上げの主眼は、道徳教育の「充実」にある。この方向性では、再生会議も中教審も一致している。「教科化」の言葉に振り回されて、議論を迷走させては元も子もない。
実のある充実策を追究してほしい。