怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

ウソつくなよ(道徳的じゃないなぁ)

2017-09-08 19:31:37 | 教育
現場教師の代弁者でもなんでもないのに、こういった、さもわかったような表現の記事でいいのか?
以前の「領域 道徳」と「特別の教科 道徳」は似て非なる部分があるのであって、「変わった」という表現部分には、もっと適切な説明があっていいだろうに・・・。

(1)変わった点について
>これまでも学校で道徳の時間はありましたが、正式な教科ではなく、ほかの教科の補習に充てられるなど、教師によって取り組みに差がありました。

この表現は、今までの道徳は「正式」でないという誤解を生まないか?
さらに、教師によっての取り組みの差は、教科で「ある、なし」とは無関係だろう。
ましてや、そのことが導入の理由や経緯であるようなことを言っていいのか?
そうではないだろう。誤解を生む表現として問題だと思う。
(それ以前に、領域の道徳の時間は、現場では、強大に増える仕事の割には、着実に増えつつあったはずである。)
「領域 道徳」の尊重していた「道徳的価値観」というものの評価をせずに、「内容項目」にしたのはなぜか?
それ以前に、今までの「道徳屋」が、「『道徳』は教科には馴染まない」としてきた定説はどこにいったのか?

(2)教科書について
>これまで道徳の時間で使われていた「副読本」は、国の検定を受けていませんでした。新たに、(以下略)

教科体育には教科書はないが、なぜ道徳では必要とされているのだろうか?
ましてや、副読本で行われていた道徳が問題だったのだろうか?
オリンピック協会から提訴されるようなものや、人権的におかしい表記がある教科書を検定・採択した責任をどう考えるのか?

(3)評価について
>しかし、それはいったいどのようにして評価し、記述すればいいのか。参加した教師の1人は、明確にはわからなかったとしたうえで、「実際にやってみないとわからない部分がある。そうした考え方をもとに、学校に持ち帰って具体化できればいいのではないか」と話していました。

こういう馬鹿な意見を現場の意見として取り上げるのはどうか?
文科省側からは「評価」に関わる有効な手立てがとれないことが明らかになり、現場に忖度・丸投げされていると、なぜ言わないのか?
(2)とも関係するが、実際のところ、教科書を見たのか?と言いたい。子どもが議論する前に、教科書には内容項目がタイトルのように書いてあるものさえある。評価を受ける子どもがどのように忖度して動くかが示されている中での教師側からの評価なんて、ちゃんちゃらおかしい。

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「道徳教育」は、覇権の道を歩むことになるとは、誰かが言っていた気がする。

すでに、「価値項目」から「内容項目」への変化で、
>「家族愛」「誠実」「国や郷土を愛する態度」
などのように、内容が規定され、それらが評価されていく。

心の教育といいながら、心に踏み込む教育をしていくことが、いかにひどいことか。
導入の理由として、「いじめ対策」という名目があるようだが、まったくお門違いも甚だしい。
言い出しっぺも、一度死んだはずの悪名高き「教育再生会議」のゾンビである「教育再生実行会議」だ。
いずれもABE@教育基本法改悪が絡んでいる。

戦争動員の精神を支えた「教科 修身」は目前な気もする。(怖い怖い)


(以下、引用)
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0907.html

09月07日 21時02分
「節度 節制」「個性の伸長」「礼儀」「友情 信頼」。こうした内容について「考え、議論する」道徳の授業が、来年度・平成30年度から正式な教科として小学校で始まります。道徳の「教科化」まであと半年余り、いったい何が変わるのか、また現場の教師はどう受け止めているのかを取材しました。
(おはよう日本ディレクター 神津善之)
新しい道徳の授業とは

新しい道徳の授業とは、いったいどういう授業なのでしょうか。「節度 節制」「個性の伸長」「礼儀」「友情 信頼」そして「勤労 公共の精神」「国や郷土を愛する態度」など全部で22項目。こうした項目について「考え、議論する」というものです。

これまでも学校で道徳の時間はありましたが、正式な教科ではなく、ほかの教科の補習に充てられるなど、教師によって取り組みに差がありました。それが来年度以降、格上げされて教科となり、年間35時間、週1回程度の授業を確実に行っていくことになるのです。

こうした内容をどのように教えるのか、教科化によって大きく2つのことが変わります。

国が検定した教科書が使われる

まず、国が検定した教科書が使われることです。

これまで道徳の時間で使われていた「副読本」は、国の検定を受けていませんでした。新たに、国が検定した教科書に変わります。民間の出版社8社が国の検定を受け、一部の記述を修正したうえですべて合格しました。

教科書には、細かく定められた内容の項目に応じて、「家族愛」「誠実」「国や郷土を愛する態度」などを考えるための教材が掲載されています。自治体ごとに、どの教科書を使うかが8月までに採択され、こうした教科書を主な教材として来年4月から授業が行われます。

新たに「評価」を導入

もう1つ大きく変わるのが、これまで行われてこなかった「評価」が導入されることです。
ただし、国語や算数のように「よくできる」「できる」「もう少し」といった、段階ごとの評価ではなく、外国語や総合的な学習などと同様に、記述式で教師が評価を書くことになります。

またこの評価は、入試には使わないとされています。

道徳ならではの難しい課題が

道徳の授業で「考え、議論する」22項目について、教師たちはどのように授業を行い、子どもたちを評価するのか。道徳ならではの難しい課題が見えてきました。

道徳の教科化まで半年余りとなる中、各地で教師向けの研修会が開かれています。その1つ、8月に長野県で行われた研修会を取材しました。参加したのは130人の教師たち。教材を軸にしてどのように授業を組み立てていけばよいのかを学びました。

授業で扱う例として、外国からの転校生が登場する物語が題材として配られました。ベトナムから来たリャンちゃんという転校生がさみしそうにしている一方で、主人公の女の子が、リャンちゃんを気遣いながらも言葉の壁を感じ、なかなか声をかけられないという場面設定です。

教師たちは、子どもたちにこの話をとおして人に公正公平に接するとは何かを考えてもらうには、どうすればいいかを検討しましたが、教師からはこの読み物に対し違和感があるという声が上がりました。

外国にルーツのある子どもたちが増える中、クラスによっては、この物語が適さないのではないかという指摘です。クラスにいる外国籍の子どもたちが、自分たちのことを言っているのかと意識してしまい、道徳の授業を行うことによって子どもを傷つけてしまうことになるのではないか、心配だというのです。

また、子どもを取り巻く環境が大きく変わる中で、例えば、家族愛という項目を母子家庭や父子家庭の子どももいる中でどう教えられるか、配慮が必要だという声も聞かれました。

教科書ができても、内容がクラスの実情にふさわしいのかどうか、慎重に吟味する必要があると教師たちは実感しました。

どう「評価」すればよいのか

さらに教師たちを悩ませたのは「評価」についてでした。研修会では、文部科学省の担当者から評価の考え方が説明されました。

担当者が強調したのは、「誠実さ」や「思いやり」などの項目ごとに評価するのではなく、道徳の学習状況から本人がいかに成長したかを認め、励ます評価をすべきだということでした。

具体的にはどういうことでしょうか?

道徳の授業を通じてどれだけ「誠実になった」かや、どれだけ「思いやりが芽生えた」かは、そもそも他人から見てわかるものではありません。それを評価すれば、教師の価値観によって子どもの人格が評価されることにつながってしまうからです。

あくまで授業への取り組みの様子を丁寧に見て、子どもたちがどのように道徳性を学ぼうとしていたかを評価するというのです。

しかし、それはいったいどのようにして評価し、記述すればいいのか。参加した教師の1人は、明確にはわからなかったとしたうえで、「実際にやってみないとわからない部分がある。そうした考え方をもとに、学校に持ち帰って具体化できればいいのではないか」と話していました。

今も模索が続く

道徳の教科化については、戦後、議論が続く中で一貫して見送られてきましたが、国はいじめの問題が相次いだことなどをきっかけに、全国の学校で道徳教育を充実させたいと、今回正式な教科にしました。小学校では来年度から、また中学校では、再来年度の平成31年度から道徳の「教科化」が始まります。

しかし一方で、子どもに特定の価値観を押しつけることはあってはなりません。「学んでほしいが、正解はない」。そうした中で道徳をどのように教え評価するのか、教科化まで半年余りとなった今も模索が続いている状況だと感じました。