怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

好きでした

2011-10-28 23:26:58 | 音楽
解散が惜しまれる「R.E.M.」、最後のPVにキルスティン・ダンストが出演!(ハリウッドチャンネル) - goo ニュース

R.E.Mは好きなバンドでした。
特に90年代は、独自性、発言力、音楽性、どれも注目すべき部分をもっており、唯一無二の存在だったと思います。

激しいロック、テクニカルなロックというたたずまいではなく、どちらかというとストレートなアメロック、あるいはフォークロックといった雰囲気の中にあり、センシティブな部分に響く歌詞、メロを特徴としていました。

00年代に入り、時代が追いついた感じがしていましたが、それでも毎回のアルバムは注目したものです。

今は、長い間、楽しませてくれてありがとうという気持ちです。

熱心なファンとはいえませんが、好きでした。
R.E.M 睡眠の中で、きっとふとわき出すように思い出すと思います。

教育11月号

2011-10-28 23:22:54 | 教育
特集1は「特別支援教育の現在(いま)」。
特別支援教育の開始から5年目を節目として捉えての特集なのだけれども、教室の教師の実践報告も共感的に読めていいのだけれども、教育誌にありがちな、多様な立場の報告が有機的に絡むように読めて、そこがよかった。

個人的には、浜谷氏が論文で指摘する「インクルージョン」の定義は、とても違和感があったそれが「インクルージョン」と呼ばない可能性があることが理解できたこと、それから、今、一番違和感をもっている心理や医療関係側からの擦り合わせの難しさに対して双方からのシンパが可能なんじゃないかと安心させられる田中氏、河合氏の論文、そして何よりも「当事者研究」という立場からという話題を知って驚かされた綾屋氏の論文がとても印象に残った。

特別支援教育は5年目にして当事者性を確保する方へ向かう流れが大きくなっていると思う。
そういった意味でおそらく図らずも包括的なものが並んだと思う。
他方、多くの教育活動の世間的な理解と同じで、特別支援教育の理解が本当に広がるのはまだまだこれからだと思う。

特集2はいわゆる歴史教科書問題なのだけれども、ある意味波が過ぎた杉並の経過、今、被災中の横浜の報告が中心だけれども、やはり一番の注目は沖縄なんじゃないかと、そういった意味でもうちょっと知りたい部分が現時点で微妙にズレてしまった気がする。
何にせよ、教科書採択を突破口に攻めてくるヤクザな連中に現場、当事者の良心が踏みにじられないでほしいものだと思う。

明日、「小さな学びの場」でお会いする山崎さんの描く(書く)「子どもの風景」はとても物語を感じる。
山崎さんの絵は子どものカットが多いのだけれども、そのどれにも山崎さんらしい子どもへの視点と、自然に捉えた子どもの表情があっていい。

今、音楽の時間に習っているリコーダー曲はパッヘルベルのカノンだ。
なんでも音楽集会で全校で合奏をするのだということ。
私も参加しようと、子どもと一緒にギターで合奏している。
子どもともっとつき合おう。
今よりも、もっと声をかけてみよう。
そう思い直す、11月号。

(注意:カノンロックはやっていません。あれは私にはとてもムリ。)

未だにWindowsXP

2011-10-27 22:13:06 | 戯言
XPが10歳を向かえるとかいう記事を読んだ。

そういえば、ウチの職場はXPかVistaじゃないと仕事ができない部分が存在している。
たしかOfficeを入れるとき、あえて2007にした理由は、インターフェイスがネックになったと伝えられている。

Windowsの特徴は、アプリのウィンドウごとにインターフェイスを切り替えられるという点につきると思う。

私は昔っからAppleなのでホントそう痛感している。

昔からインターフェイスの統一感がなく、操作を覚えるのが煩雑になりがちだった。
マウスボタンが二つという時点で、
「美しさのかけらもない。」
と思っていた。

当時の比較として、よくたとえ話になっていたのが、AppleはオートマのGTカー、Windowsはマニュアルのチューニングカー。

結局、Windows Meで大ゴケしたのちのXPだったものだから、ヒジョーに受けたし、安定感があった。
(ある意味、Windowsは98からデチューンの連続だった気がする。とにかくMeは不良品もいいところだった。)
私自身も、2000をのぞけば一番信頼できたOSだった。
で、VistaやOfficeがインターフェイスを大幅にかえてコケたと思う。
続くWindows 7は、さらに就いて行けない感が増した人が多かったと思っている。

「Windowsはいじくれるところがいい」なんて、その昔、知ったかぶる奴も多かった。
でも、今どき、いじることが目的の人はそれほどいない。
デフォルトでぐちゃぐちゃとした設定がなされているのはいかがなものかと思う。

対して、我がAppleは、新しいOSが全ていいとは思わないけれど、Windowsに比べると、もうね、全然違う。
文化が違うというレベルだから、そういう文化が嫌いという人もいていいけれど、まあ、WindowsはXPで終わっているよなぁ。

中川文科省相

2011-10-26 23:00:19 | 教育
文科省の大臣が竹富町への教科書の「無償供与」はしない、という方針を示したのだそうだ。

文科省大臣としての資質を疑いたくなる話だ。
そういう政治圧力ともいえる表現でしか終結できないとい力量の限度を見る限り、おおよそ文科省大臣なんて不適格だ。

そこらの首長が教委の首をすげ替えて、いいように教科書採択を行ってきた犯罪的行為と近似しそうな話だ。

県教委は独自予算を組んででも、教科書問題としてまっこうから対立することを、私は望む。

教育は国のために、ましてや政治やイデオロギーの競り合いのためにあるのではない。
はっきりいって、こういう問題を引き込む時点で、検定なんて行われている教科書の存在自体を否定的にみたくなる。

苦しいから書く

2011-10-26 00:27:04 | 戯言
たぶん。・・・そう、たぶん。

世の中に一人や二人は、こういうのに出くわして、いや、巡りあって、まだ大丈夫かもしれないって、そう思う人がいるかもしれない。

私自身にとっても、苦しいから書いて、気持ちをここに預ける。

無責任かもしれないけれど、そうやって宙に投げ上げる気持ちで書いているんだ。

そうでないと自分じゃないみたいだから、だ。

無責任に綴る。
無責任に止まる。
無責任に書く。

無責任といったけれど、それは態度であって気持ちではない。
だから苦しいといっている。
それは覚悟の上。

学テやりたい?嘘でしょ?

2011-10-17 21:56:42 | 教育
一斉実施中止の全国学力テスト、76%が利用(読売新聞) - goo ニュース

だ~か~ら~
>全国の小中の学校の76・2%にあたる2万4401校が利用を希望
って、誰よ!!

教委だろ?!

自分の自治体で学テ予算を浮かせるくらいのつもりじゃないの?
と勘ぐってしまう。

愛知や神奈川では、その希望さえ低い率だよね~。
そんなアホなテストにはつき合わないという私学も多いしね。

大体、福島県教委は「学力」ってなんだと思っているのだろう。
教育の理念がわかっていないんじゃないの?!
ま、所詮、トーシロというカンジ。(と詰っておこう)

学テが何かに効果的に活用されると思っている夢想家は「寝ぼけていないで早く起きろ。」といいたい。

(何にせよ、こういうことをやっているから現場は暇だと勘違いされるんだよ。)

(以下、引用)
一斉実施中止の全国学力テスト、76%が利用
読売新聞2011年10月17日(月)21:43

 文部科学省は17日、今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)用に作成した問題を公表した。

 東日本大震災の影響で4月の全国一斉実施は中止されたが、全国の小中の学校の76・2%にあたる2万4401校が利用を希望、同日までに児童生徒がテストを受けた。文科省は結果の全国集計はせず、北海道や福岡県など10道県が独自に集計、分析するとしている。

 同省によると、利用希望校の割合は公立77・5%、私立27・7%。都道府県ごとの希望率(公立校)は、被災県では岩手79・5%、宮城82・0%、福島95・6%などだった。福島県教委は「復興に取り組む今だからこそ各校は学力向上に前向きだ」と話している。14県が100%だったが、愛知は18・9%、神奈川も22・9%と低かった。愛知県教委は「全国集計がない上、実施時期もずれ込み、指導に生かせないと考えた学校が多い」としている。

うそのようなホントの話とはこのこと

2011-10-10 22:37:21 | 戯言
先生目指すなら秋田大へ…子どもの高学力、首都圏でPR(朝日新聞) - goo ニュース

これって抜本的な学テ対策にでもなるつもりなのだろうか?
ばかばかしいにもほどがある。

結局、秋田大学は、子どもや地域なんてものが見えていない連中が多いってことを自らひけらかしたわけだ・・・。
すばらしい大学選びだこと。

ネタだなぁ。

これも・・・

2011-10-10 07:23:02 | 教育
子どもの体力格差広がる 運動習慣の差を反映(朝日新聞) - goo ニュース

いきなり「なでしこジャパン」をモデルにした体力向上ポスターを全クラス数配布したような行為を、またするんだろう。

体力格差が広がったのは、「運動習慣の差」というのは報道の言葉だけではなく、文部科学省側の言葉でもあるんだろう。

いったい「運動習慣」とは、この場合に何を指すのだろう。

はっきりいって、スポーツクラブ的なものの繁栄は増加傾向だ。

この「体力テスト」は、文部科学省側としては、「体力向上」の施策をおろすご都合としてのきっかけに過ぎない。
これは報道機関へのリーク時期を狙っていることからも明らかだ。
(教育系の報道はこの手のパタンが多い)

そもそも論でいえば『「体力」とは何か?』といった問いにさえ答えることができない話なのだけれども、それを今は棚上げにしても、この次の一手は眉唾だらけになるだろう。

子どもの体力が低下したり、格差が広がったりするのは、運動習慣なんていう生活から剥離した感覚ではなくて、端的に「塾通い」「遊び場の現象」「子ども文化の低調」であり、「少子化」が背景にあるのだ。
社会が構造的に子どもの健康を奪っているという視点に立たない限り、抜本的な改革なんてムリだろう。

せいぜい、また(「また」と強調したい)、学校に対してい、時間数も増やさず、金もかけず、人員も確保せずに、「体力向上」をせよ!と圧力がかかるだけである。

そしてその結果は、「学力テスト」と同様、「体力テスト対策」であったり、ヒラメ教諭たちの無為な研究活性による昇進の増加だったりするのだろう。
教育機関は喰いものなのだから、そうやって新しいものがあれば、喰うネタにすり替えられてしまうだろう。
そしてそれは真面目な教師たちを疲弊させるだろう。
地域の不活性は増進され、ストレスと不満が増加し、再び学校が叩かれるだろう。
教委はそれを当事者の責任として知らんぷりを決め込むだろう。

「体力テスト」なんて、何かの実際的に効果のある予算がつくための話ではなくて、文科省の大枠予算にせいぜいからむだけだ。
そこに子どもはいない。

これもそういう程度のもの。
せめて毒舌で気を引いたつもりだ。
経過を見ていてほしい。