怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

「学級崩壊」(荒れる子どもは何を求めているの)高文研2011.06

2011-06-15 23:28:47 | 教育書
学級崩壊 荒れる子どもは何を求めているの

http://boox.jp/index.php?t=%E5%AD%A6%E7%B4%9A%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%80%80%E8%8D%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE&module=ecitemdtl&action=pdetail&it=BK&cd=4874984592

著者の一人である山崎さんからいただいた本。

学級崩壊を教師側の視点で捉えた、ある意味、今までにあまりなかった画期的な書籍。

教師である私が読むと、やはり胸が苦しくなる。

上意下達による管理・強制の強化が進められる中、同僚性の確保が難しい職場が多く出現する中で、新規採用者やベテランが、子どもに保護者に地域に翻弄される。

学級崩壊というのは、「子どもだけ」という捉え方で見てはならないのは当然なのだけれども、その渦中にある悩める教師の救いはなんなのだろうか。

決してお気楽な答えはない。
でも、光明を見いだすことはできないことはないのではないだろうか。
そういった希望を見いだすことができるかも知れないのが本書の素敵な特徴だろう。

読み終えてみて、教員の意識改革というのが、あまりにも上からの歪んだ管理の中で異常の再生産を果たしているという観念に囚われて、頭から離れない。

今、せめて困難にある教師を支えるのは、その苦しみを知る教師:同僚:仲間:別に同じ学校にいなくてもよい、なのだと思わずにいられない。

終わりのない問いかけがそこにあるような気がしてしまうのは、私がまだまだだということなのかも知れない。

やさしいライオン(フレーベル館)やなせたかし1975.01

2008-05-25 19:27:02 | 教育書
カミさんがクラスの読み聞かせにどうか?と聞いてきた。

うーん。死んじゃうのはねぇ。
と答えたのだけれど、いろいろ考え込んでしまった。

この作品がとても心に残っているからだ。
そういう作品って、いいのじゃないだろうか?

最近ランキングが下がっているので、お情けくださいませ。(笑)
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「学校」が教えてくれたこと(PHP研究所)山田洋次著2000.04.27

2008-05-14 22:45:04 | 教育書
ちょっと古い本を読んだ。

「隣の芝は青く見える」のだろう。
子ども一人一人と向き合うことについて、ちょっとうらやましいと感じていた学校の話を聞いて、夜間学校のことも思い出していたときに手に取ったのだ。

タイトル通り、映画「学校」のシリーズの構想を組み上げるのに、山田は現場を歩いている。
そして、そこで見たり聞いたり考えたりしたことを自分の「学び」として整理しなおしている。
とても読み易い。

以前から感じていたのだけれど、住井すえとの対談をテレビで垣間見たときが決定的だったか、山田洋次という人はとても観察眼があり、よく聞く人なのだという所感をもった。
(このテレビ対談のわきでスチールのまねごとをしていたのは私の友人なので、テレビの映像がどれほどのカットをもっているのかは後で聞いた覚えがある。)

この本からもそれは分かる。

特に、夜間学校へは授業参観だけでなく、着席して観察していたようだ。

先生の一挙手一投足から、その教師の内面の様子を想像しているところは圧巻に感じた。
生徒にそこまで分析的に見られるとしたら、嫌だろうなというカンジである。

後半部分は山田洋次らしい教師論になっている。
理想論なのだけれども、それなりに説得力をもっている。

映画「学校」を見たくなったけれど、読み終えるとこの本だけでいいかなという気分になった。
それほど肝に当たる部分を表現している気がする。

映画人、特に監督たるもの、自分の見聞きした物を確かにフィルムに焼き付ける創造力といっ点では、山田洋次もそういう人種であろう事がよくわかった。
だから教育について語っても映画人らしい発想が伺える。

全教員へという内容でないのはそういった点が見え隠れしているからだと思う。

それでも楽しくていい本だった。

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生活指導2月号

2008-03-09 00:24:37 | 教育書
とっくに3月号を書いたあとに2月号ってのは理由がある。

たいしたことではないけれど、2月号は届いた次の日に紛失していた。
なんてことはない。
我が子の遊び道具箱にしまわれてしまっていた。

子安さんの論文が読みたかったのでブルーになっていると、うちの大蔵省から買い直してもイイヨと嬉しい言葉があった。

でも、いつか出て来るだろうとのんきに構えていたら今頃になってしまった。

ウチの子も、ほんとにもう!
ま、幼いから仕方がない・・・。

で、一言だけ。

やっぱり読んでよかった。

憲法に関するものだったのだけれども、憲法議論を具体的に捉え直すいいきっかけをもらった。
憲法教育においても、改憲論議というのは、積極的に憲法を捉え直し、学び、深めるきっかけなのだという「切り返し」ともいえる発想は、私の感じていた違和感にぴったりきた。

最近、子ども達のもめ事に、平和を見通して、そこへいく段階をどう踏んでいこうかという話をよくする。
そのときしみじみと日本ってのは憲法があるというのは大きいなぁと。
それからどのように憲法を引き受けていける人に育ってもらうのかと。
そんなことを考えることがある。

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生活指導誌3月号

2008-02-24 02:19:07 | 教育書
卒業式の事が前半。
式を2部に分けてしまう方法論とその実践例が「学校作り」という視点で、とてもストレートな好例として伝わってきた。

でも、東京都では、そうはいかないだろうなぁ。

そんな想いと、

それでも、そういった事が同じ指導要領ベースでできそう、主張が可能であるという点に希望をもらえた。

当事者不在の行事というのが特別活動でOKになってしまうと、未履修問題と同じになってしまうハズだと感じる。

mixiか何かで、教委は間接の多い民主主義制度なのではないか?と問われたことがあるけれど、それはよくわからない部分を含む質問だとおもった。
即答も、明瞭な答えもできなかったが、首長は多数派として立っているだけで、少数派を無視したり、排除したりしては民主的ではない。
だから、犬山市のようなことというのは、首長に教委が従わないことは異常ではなくて、教委が独立性を発揮する形を保てる事が珍しがられるという異常事態なのだろうということ。

卒業式の件は、逆の踏み絵として管理統制の手段に用いられていると私はみているのだけれど、それとは別に、個々の想いというのは発現する可能性があるので、自己主張ばかりでやっていくは限界があるだろう。

いろいろ考えが拡散した気がする。
そうだったら、いい号だったなぁ。

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白川静さんに学ぶ漢字は怖い(共同通信社)小山鉄郎2007.12

2008-01-26 23:35:02 | 教育書
「白川静さんに学ぶ漢字は楽しい」の続編が書店に並んでいた。

白川静が書いたかのような題名はなんだかよくわからないが、字源カルタの解説書のようで、まあ見やすい。

漢字検定が流行っているが、私が入るならこういう本からだなぁ。
そう思って人にすすめたことがある。

基本的に私のネタ本であるから、その考えが広く普及していくのは個人的に有利なことかもしれない。

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最近ブックオフオンライン

2008-01-22 00:34:04 | 教育書
あんまり好きな本屋じゃないからリンクはしない。

でも、古本屋というのも縁遠くなった。
昔は神田や馬場はもちろん、その町の古書店を巡るということをよくやった。
今はそんな余暇がない。

それとは別に、自分の書籍代が馬鹿にならない状況。
古本ならば少なくともトータルで半額にはなる。

でもって、また別問題で、読む本が増えすぎて「積ん読(ツンドク)」がたくさん・・・。

これには副作用が・・・。
家がせまいので置いておけない。
で、教室の棚におく。
学校のロッカーにおく。

でも、そのうち・・・。(ああ、こわい)

ちなみに私には「捨てるモード」が発動するには、相当の負荷が必要。

で、今日も帰宅すると、紙包みが。
すいません。また、やってもーた。ポチッと。

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どうみる15歳国際学力調査(しんぶん赤旗日曜版)2007.12.16

2008-01-06 00:00:41 | 教育書
リスペクトする子安先生の文章が載っていたので、身近な党員に頼んで、年末に当該の日曜版をもらった。

「どうみる15歳国際学力調査」と銘打っているけれど、学力調査を大きな切り口に、日本の教育の現状を大きく語っていると受け止めた。

とても響くキーワードが、「放任とドリルという奇妙な組み合わせ」、「現実に触れ、現実をとらえ直す学習を進めること」という二点。

前者にも大きく共感を寄せたいのだけれど、記事の内容を引用するだけになりそうなのでやめておく。
でも、少しだけ。
「放任」とは「責任の押しつけ」ということ。
身勝手な自己責任の発生。
そこは時に見えなくなることも含めて子ども達には伝えなければいけないことなのではないだろうか?
そう思った。
それから「ドリル」は「学びへの意欲」を結局は引き出さない。
「ドリル」をしたいという気持ちは作れても、それは「学び」とは別物。
「自分で何をしているのか」、「ドリルが結果になっていないか」に注意させたい。

後者に関しては、ここに書かれる「現実」というのは「子どもの生活現実」なのだと私は捉えている。
だから、そういった現実を引き出し、受け止める環境整備や余力をもった教師になりたいと思う。
子ども達にとっては絵本一冊、ゴムまり一つ、抜けた歯一つが現実になるし、そこからたくさんのイメージが広がり、次への現実理解へと繋がっていくのだから。
そう思って、大事だな・・・と。

ときにぼやく理科教育(科学教育)について、私がしたかったことというのは、そういったときの、帰納し演繹する科学的な行為そのものだったのではないのかなということが脳裏をよぎった。
でも、それもイメージ。
共に学ぶことは子どもも大人も同じ。
そこが肝になるのだろうなと思った。

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させられる教育(岩波書店)野田正彰2002.06.12

2008-01-05 23:24:31 | 教育書
少し前に書いたけれども、ある場所で「卒業式などにおける君が代、日の丸の強制」で議論をしている。

私はこの本の発刊されたときには、どちらかというとイデオロギッシュな書籍からは一歩引いていた。
ある意味、個人的にはいろいろな想いがあるのだけれど、その点を発動してしまうと、教育公務員をやっていくにあたって、私の信念めいたものが言動にでやすくなって、それはそれでまずい時期かなと、その時は思っていた。
でも、やっぱりこういった問題はついてまわるのだなと、ちょっと古めだけれども手に取った。

なによりも、「いわゆる国旗国歌法」のきっかけになった広島の校長自殺という痛ましい事件の検証がのっていたからだ。

一般的には「君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する公務員である教職員と文部省の通達との板挟み」という図式が背景として語られるのだが、こう書くと痛み分けのように見える。

でも、もうもの言わぬ校長の心の内はどうだったのだろうか?

また、本来は文科省の通達というのが、直接的に校長へ影響するものではない。
間には必ず教委の存在があるからだ。
事件の真相を見る視点を増やす意味でも読もうと思った。

読み進め、私の国旗国歌法成立時に想像していたことよりも、深刻な事実を想像せざるを得なくなった。

現時点の目で見ると、この様々な教委の言動は、全て信用失墜行為であり、国会等における文科省側の意見を法規的な縛りとするならば、明らかに法律違反であり、犯罪行為に限りなく近い。

特に、教育長として文科省側から天下って来た者に関しては、文科省側の政治的な真意というものが透けて見えるようで非常に怖い。

当時の国旗国歌法を制定に関わった自民党、公明党、自由党、民主党の一部などは、こういった事実を把握してなお制定に努力したのだから、そうとうに日本という国は人権や自由が抑圧されているといってもいいのではないだろうか。

サブタイトル「思考途絶する教師たち」は、その後の侵攻を予期した言葉で、「教育をおりる」と私が表現した部分にリンクすると思う。

7&Yというネット書店における書評で、「先生に教育をまかせっぱなしではいけない」という内容が書かれていたものを読んだが、教員という立場でいうのも何だが、こと「君が代、日の丸」に関していえば、「当事者、地域、学校で充分な審議がなされる必要」をいわれているのに、都教委の通達一本でそれが保古になっているという事実を考えれば、それだけで保護者や地域の人達が何をしなければいけないのかがわかる。

要は教育は政治的であるということだと思う。
学力問題だとか、出前授業だとかだけで学校に関わっていると思うのは本当は勘違いということだ。
(もちろん、そういった関わりを否定するつもりはない。推奨したい。)
PTAでさえ、学校の出先機関でしかないかもしれないということだ。

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日本という国(理論社)小熊英二2006.03.30

2007-12-30 23:33:51 | 教育書
また積ん読書からのエントリ。(しかもこれも1日読みでいけた。反省。)

割とざっくり語られ難い近現代の日本を、「明治」と「第二次大戦前後」の特に教育と外交状況を絡めた視点で平易に書き切っている。

ローティーンからOKということを狙いにしているようで、ふりがな付き、語りかけ口調なのは、このシリーズ「よりみちパン!セ」の基調なのだろうか。
(他のものを読んでいないので・・・)

小熊氏は若い。
私の年代からいうと、兄貴世代。
でも、ここまで書き切るには相当の文献に当たっているのだろう。

リベラルな視点から右派の強行な最近の風潮に逆行できるだけの耐性をもっているという意味で、大人にも充分読み応えある書だと思う。

特に、後段の最近の日本の状況を読み解いた部分は共感できる点が多かった。

下馬評的には根拠が示されていないとか、右派の論調丸飲みという批判に対しては無防備だが、それは紙幅や読者層の設定などの理由でまずは一次的には回避できそうだ。
でも、そういった批判も、実は論拠がなかったり、建設的でなかったり、自縛的な部分を多々抱えているのが見えているので、そういった批判になっていない批判の声も本書を通して聞いてみると、意外に大して有効でないことが分かるだろう。

歴史を現実問題として捉えて読み解いていくという指針めいたものが感じられるという意味でもティーン向け。
古びた若者の大人はどうするか。
それはここから入っていけばいいということ。

まず読者誰であろうとも話者と対話することから始めるのみ。

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おいしいハンバーガーのこわい話(草思社)

2007-12-30 20:59:29 | 教育書
おいしいハンバーガーのこわい話(草思社)Eric Schlosser & Charles Wilson(宇丹貴代実/訳)2007.05.01をようやく読んだ。
読んでみると1日でほとんど読めたので、さっさと読んでおけばよかったと、我ながら時間の使い方にちょっと後悔した。
けれど、普段から読む本が積ん読(つんどく)状態なのでしょうがない。

中身は予想通りというか、いい質のものだった。

何がいいたいかというと、現実問題を直視し、きちんと調査に基づいて掘り下げて主張をまとめてある。
もちろん、提言めいた文なのだけれど、主張したいことは明瞭だと感じる。
ティーン向けに書き起こされて話ということで、マクドナルドの戦略にある意味対抗している。
子ども達に、ここからいろいろなものを読み取らせる事も可能かも知れない。
また、テーマを換えて、別なものを直視させる教材化、学びの構築へ向けた参考書化も可能かも知れない。

うん。なかなかよい。

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年末恒例:今年の一冊

2007-12-15 17:49:34 | 教育書
昨年は12月にきて反教育入門という問題作的良書が締めてくれたので、何にもいうことはなかったのだけれど、どうやら今年は散漫なカンジで終わりそう。

ま、その中でと言われたら・・・この一冊。

「子どもの力は学び合って育つ(角川oneテーマ21)金森俊朗2007.10.10」
をあげることになるかな。

啓蒙書的であり、実践報告的であり、私事哲学的であり、エッセイにも読める。
それでも教育に関わる人、当事者に向けている書物かと思う。

「生活教育」の世界ものぞきたくなるが、今のところ身体が空かない。

ま、ぼちぼちである。
魅力的な著書を読みつつ、おあずけで過ごそう。今は。

実践書としては、

大好きになる体育の授業(日本標準)山内基広2007.05
が優れていた。

同じ実践系という意味をもっている
困った子は困っている子(クリエイツかもがわ)大和久勝編著2006.08.31
もよかったのだが、多分に生活指導誌的で、実践記録を読みといていくという書籍は、そっち方面に多数あると思われるのでパスする。
鈴木和夫さんの著書を読み返しているのだけれど、せっかくだからこのくらい踏み込んでというか、切り込んで話があれば一押しできるものだったと思う。

さて、今日的な教育業界を考える上での一冊。

「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか(太郎次郎社)4.7集会実行委員会2007.11
は、時事的な内容に収まらないものを感じた。
そういった意味で「今年」の一冊には選ばざるを得ない。

なんか他にもたくさん読んだようで、今年は記録していないものや雑誌、その他のテキストも多かった。
でも、ずっと心に残り続けるものが少なかった。
来年はどんな本に巡り会えるのだろう。

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再読

2007-12-10 23:01:56 | 教育書
鈴木和夫さんの「子どもとつくる対話の教育」を読み直している。

先日、鈴木先生と会ってからというもの、ずっと考えている。

たぶん、今年は私にとっても2007年度問題なのだと。

私が関わるであろう某システムへの最後のチケットが配られている。

私は乗り込む前に、今一度注意書きを読んでいる。

これは絶対に間違っていないという確認ではなく、自分を信じてやっていこうという決意のために。

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しばらく、この本を読む足跡を少しずつ綴っていく予定。

「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか(太郎次郎社)4.7集会実行委員会2007.11

2007-11-30 21:18:52 | 教育書
「「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか 4・7緊急集会の記録」が書名。

書名通り、2007.04.07に東大で行われた緊急集会の提議や質疑の内容がまとめられている。

と、これだけであれば、単なる時間の輪切りで、その継続の流れの一瞬となり、情報は古くなり、時代の即応には不要ということになる。

でも、そういうことではない。
やはり今日的な見方や改定教基法に対する生き抜き方という点で示唆に富み、一方で、理論的な支柱を再認識する啓蒙書になっている。
そういった点で、あと何年かは十二分に賞味期限がある。

だから、教育基本法改訂(改悪)が成った今でも、自律的、自律的に生き抜きたい教員にとっては
「重要なので、読め。」
といいたい。

どの人の提言も、新たな示唆を得るきっかけになりうる機智に富んでいる。
学者の側からの動きというのも大事だと思える。

来年度に本格議論の結果が出るであろう指導要領改訂。
そこにも充分関わるし、教育再生会議という最悪な会議への対向を充分考えるネタにもなる。

子どもとつくる対話の教育(山吹書房)鈴木和夫2005

2007-11-30 21:10:46 | 教育書
全生研の実践に感化されつつあるのだが、実践レベルも様々で、善し悪しを見る一歩引いた目線を保持している。
でも、鈴木和夫先生のことになるとちょっと違う。

本書とは関係ないが、この人は全生研の活動をいい意味で批判的に見てもいるようだ。
だから深化し、前進している。
全生研が静的な状況に陥らないのは、常に刷新をしようと理論を鍛え、実践に照らす活動をしているからだろう。

で、この本のことをこのブログで書いているものだと思っていたら、書いていなかった。
いや、触れたエントリはあるのだけれど、どんと正面にしたことは書いていないかった。

この本はいい。

先日鈴木和夫先生と出会うきっかけがあり、今、もう一度読み直している。

生活指導の実践概要を俯瞰した今、もう一度、自分で批判的に読もうと思ったのだ。

だけどダメだ。
この本に本当にやられてしまっている自分を感じる。

やはり私には鈴木和夫先生は未だ別格のようだ。

以前にmixiの書評に載せた私の文を以下に転載してみる。
(以下、転載)
子どもとつくる「対話」とは?
教育の根幹にあるモデルを実践事例とともに提示している一教師の世界。
ここには教育の政治的、社会構造的な垣根は存在していない。
(否、そこここにそこへの配慮が伺えるが、本質的な意味で)
教師が真摯に子ども(たち)との対話を追求していく。そこに教育の真価が見いだせるのではないだろうか。
外圧あって、目指すべき教育の在処が見えにくい今だからこそ、勇気をもって同僚に薦めたい。
(以上、転載)

鈴木先生は、もうすぐ定年だ。

もっと早くアクションすればよかったが、最後の最後でも出会えてよかったと思う。
そして厚かましくも、まだまだいろいろ話を聞いたり、揺さぶってみたりしてみたいものだと思う。
3学期、なんとか授業を見に行きたいと考えている。

実は、彼のいる学校は、私の自宅から歩いていける距離にある。
これは偶然ではなくて必然だと私は考えたい。(ああ、関係症候群)
私は意外に運がいい。そういう星のもとに生まれたのだ。そう信じている。(ああ、関係症候群)

先日、現任校の若い連中と話す機会があったのだが、彼らと教育に対する想いが共有できないのは、厳しい現実に出会っていないからだと感じた。
これは経験差だから仕方がないのかも知れない。
結局、私は自分と同レベルの経験を持つ者を探さなければ安住できないらしい。
残念だ。
彼らに本書をすすめても、たぶん響かないだろう。

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