東京都小学校教職員のyoです。
このブログへの解説をここに書きとめて置きます。(たまに修正・加筆します)
まず、このブログはyoの精神安定剤的な役割を担っています。
今の「公立小学校」という現場は、私にとって、日々「?」の連続なのです。
しかも、精神的にも体力的にも、上(文科省&教委)からの「右向け左!」の繰り返しに疲れているのです。
そして、そのことに世間があまりに無理解であることにも憤りを感じています。
私がブログを始めた想いの第一です。
私の教員としてのライフヒストリカルなスタンスは「適切な教育活動をする教員でありたい」ということにあるので、目の前の子どもが豊かな「学び」を創造するという「基本的な教育活動」に直結しない仕事にはあまり意欲的ではありません。そういった意味ではかなりの不良教員です。
しかし一方で私の人生の一番は、自分の命に等しく大事な「家族」と過ごす「時間」でもあります。
これを仕事における使命と引き換えにする気持ちはさらさらありません。
そういった意味でも、私は不良教員ないしは、不良公務員なのでしょう。
ただ、矛盾するような言い方に聞こえるかもしれませんが、私の公務は先に述べた教育活動だと信じているので、その全てが決して不遜なことだとは思っておりません。
人間は直線的な人格をもたず、多面的、複合的な存在だと思いますので、あしからず。
それよりも、その教育活動に対して、ベストを尽くし、内容を向上させる気持ちも努力もそれなりにしているつもりです。
私が比較してほしいと感じるのは、私などよりも滅私奉公に近い教員たちです。
彼らにはかなわないと思っていますし、私がこのブログのエントリ(記事)などで浮かび上がらせ、勝手ながら支えたいと真に願う存在は、彼らです。
そんな想いもブログににじんでいると思います。
教育活動においてイデオロギー的な意味を云々される方もいらっしゃいますが、私の育ちがもたらしたイデオロギー的な基盤は、そんじょそこらの日教組なんかじゃ歯が立たないくらい強烈であります。
そしてその自覚も自負もあります。
教育論議において、「日教組が悪い」という頭の悪い思考停止をいいふらしてはばからない人がいますが、いいかげん、そういった非建設的な話はやめてほしいと思います。
つまり、主義主張論という意味では、よく有り体の付け焼き刃の世間的な考えを聞いても、直接受け入れるような素養はもっていません。
薄っぺらな話をもってこられても、足蹴にすることがあります。
その点は頑固です。
でも、きちんと言葉を尽くすのであれば、そういった低レベルの話にもつき合う覚悟はありますので、どうぞ。
通り一遍等の教育談義はするつもりはないです。
極めてパーソナルな視点でも語りますが、普遍的な視点に関して無視をしようということではありません。
逆に、そういった視点からも、到達できる相当なものはあるのではないかと考えています。
ですから、そういった議論をなさる方は、相当の覚悟をもって行なってほしいと思います。
そして、私にそれなりの共感なり理解なりをもたないと読めない文を書くつもりです。
最初から「敵対アリ」という態度では、実のある話は成り立たないでしょう。
これは個人のブログという性格上、そうするより方針が立たないということなのだと感じています。
あえて言い換えますが、私にイデオロジックな議論を持ち込もうとする人は、私は聞くだけの耳を持っていますから、とことん話してください。けれど、節目のある議論としてやっていこうという意思のある人以外は受け付けません。
脅すわけではないですが、そうでない人は個人攻撃の対象にさえなると思ってください。
蛇足ですが、はっきりいって組合活動としてなっていない(=下手糞な)日教組は大嫌いです。
全教のクールな活動の方がまだ好感をもっています。
もちろん、それ以前に、現状として労働組合が足腰立たない状況にあるのは教育公務員に限ったことではないので、組合運動に関しては、それこそもっと世間的によく用いられるようになった言葉である「グローバルな」議論が必要だと考えています。
長々と書いてきましたが、このようなぐちゃぐちゃしたことをベースにブログを書いています。
そして、できるなら、このつぶやき(戯れ言)が大きな声になることを望んでいるのです。
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まず、このブログはyoの精神安定剤的な役割を担っています。
今の「公立小学校」という現場は、私にとって、日々「?」の連続なのです。
しかも、精神的にも体力的にも、上(文科省&教委)からの「右向け左!」の繰り返しに疲れているのです。
そして、そのことに世間があまりに無理解であることにも憤りを感じています。
私がブログを始めた想いの第一です。
私の教員としてのライフヒストリカルなスタンスは「適切な教育活動をする教員でありたい」ということにあるので、目の前の子どもが豊かな「学び」を創造するという「基本的な教育活動」に直結しない仕事にはあまり意欲的ではありません。そういった意味ではかなりの不良教員です。
しかし一方で私の人生の一番は、自分の命に等しく大事な「家族」と過ごす「時間」でもあります。
これを仕事における使命と引き換えにする気持ちはさらさらありません。
そういった意味でも、私は不良教員ないしは、不良公務員なのでしょう。
ただ、矛盾するような言い方に聞こえるかもしれませんが、私の公務は先に述べた教育活動だと信じているので、その全てが決して不遜なことだとは思っておりません。
人間は直線的な人格をもたず、多面的、複合的な存在だと思いますので、あしからず。
それよりも、その教育活動に対して、ベストを尽くし、内容を向上させる気持ちも努力もそれなりにしているつもりです。
私が比較してほしいと感じるのは、私などよりも滅私奉公に近い教員たちです。
彼らにはかなわないと思っていますし、私がこのブログのエントリ(記事)などで浮かび上がらせ、勝手ながら支えたいと真に願う存在は、彼らです。
そんな想いもブログににじんでいると思います。
教育活動においてイデオロギー的な意味を云々される方もいらっしゃいますが、私の育ちがもたらしたイデオロギー的な基盤は、そんじょそこらの日教組なんかじゃ歯が立たないくらい強烈であります。
そしてその自覚も自負もあります。
教育論議において、「日教組が悪い」という頭の悪い思考停止をいいふらしてはばからない人がいますが、いいかげん、そういった非建設的な話はやめてほしいと思います。
つまり、主義主張論という意味では、よく有り体の付け焼き刃の世間的な考えを聞いても、直接受け入れるような素養はもっていません。
薄っぺらな話をもってこられても、足蹴にすることがあります。
その点は頑固です。
でも、きちんと言葉を尽くすのであれば、そういった低レベルの話にもつき合う覚悟はありますので、どうぞ。
通り一遍等の教育談義はするつもりはないです。
極めてパーソナルな視点でも語りますが、普遍的な視点に関して無視をしようということではありません。
逆に、そういった視点からも、到達できる相当なものはあるのではないかと考えています。
ですから、そういった議論をなさる方は、相当の覚悟をもって行なってほしいと思います。
そして、私にそれなりの共感なり理解なりをもたないと読めない文を書くつもりです。
最初から「敵対アリ」という態度では、実のある話は成り立たないでしょう。
これは個人のブログという性格上、そうするより方針が立たないということなのだと感じています。
あえて言い換えますが、私にイデオロジックな議論を持ち込もうとする人は、私は聞くだけの耳を持っていますから、とことん話してください。けれど、節目のある議論としてやっていこうという意思のある人以外は受け付けません。
脅すわけではないですが、そうでない人は個人攻撃の対象にさえなると思ってください。
蛇足ですが、はっきりいって組合活動としてなっていない(=下手糞な)日教組は大嫌いです。
全教のクールな活動の方がまだ好感をもっています。
もちろん、それ以前に、現状として労働組合が足腰立たない状況にあるのは教育公務員に限ったことではないので、組合運動に関しては、それこそもっと世間的によく用いられるようになった言葉である「グローバルな」議論が必要だと考えています。
長々と書いてきましたが、このようなぐちゃぐちゃしたことをベースにブログを書いています。
そして、できるなら、このつぶやき(戯れ言)が大きな声になることを望んでいるのです。
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