怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

ブログのプロフィール

2005-01-20 23:41:38 | 戯言
東京都小学校教職員のyoです。

このブログへの解説をここに書きとめて置きます。(たまに修正・加筆します)

まず、このブログはyoの精神安定剤的な役割を担っています。

今の「公立小学校」という現場は、私にとって、日々「?」の連続なのです。

しかも、精神的にも体力的にも、上(文科省&教委)からの「右向け左!」の繰り返しに疲れているのです。
そして、そのことに世間があまりに無理解であることにも憤りを感じています。
私がブログを始めた想いの第一です。

私の教員としてのライフヒストリカルなスタンスは「適切な教育活動をする教員でありたい」ということにあるので、目の前の子どもが豊かな「学び」を創造するという「基本的な教育活動」に直結しない仕事にはあまり意欲的ではありません。そういった意味ではかなりの不良教員です。

しかし一方で私の人生の一番は、自分の命に等しく大事な「家族」と過ごす「時間」でもあります。
これを仕事における使命と引き換えにする気持ちはさらさらありません。
そういった意味でも、私は不良教員ないしは、不良公務員なのでしょう。

ただ、矛盾するような言い方に聞こえるかもしれませんが、私の公務は先に述べた教育活動だと信じているので、その全てが決して不遜なことだとは思っておりません。
人間は直線的な人格をもたず、多面的、複合的な存在だと思いますので、あしからず。
それよりも、その教育活動に対して、ベストを尽くし、内容を向上させる気持ちも努力もそれなりにしているつもりです。

私が比較してほしいと感じるのは、私などよりも滅私奉公に近い教員たちです。
彼らにはかなわないと思っていますし、私がこのブログのエントリ(記事)などで浮かび上がらせ、勝手ながら支えたいと真に願う存在は、彼らです。

そんな想いもブログににじんでいると思います。

教育活動においてイデオロギー的な意味を云々される方もいらっしゃいますが、私の育ちがもたらしたイデオロギー的な基盤は、そんじょそこらの日教組なんかじゃ歯が立たないくらい強烈であります。
そしてその自覚も自負もあります。
教育論議において、「日教組が悪い」という頭の悪い思考停止をいいふらしてはばからない人がいますが、いいかげん、そういった非建設的な話はやめてほしいと思います。

つまり、主義主張論という意味では、よく有り体の付け焼き刃の世間的な考えを聞いても、直接受け入れるような素養はもっていません。
薄っぺらな話をもってこられても、足蹴にすることがあります。
その点は頑固です。
でも、きちんと言葉を尽くすのであれば、そういった低レベルの話にもつき合う覚悟はありますので、どうぞ。

通り一遍等の教育談義はするつもりはないです。
極めてパーソナルな視点でも語りますが、普遍的な視点に関して無視をしようということではありません。
逆に、そういった視点からも、到達できる相当なものはあるのではないかと考えています。

ですから、そういった議論をなさる方は、相当の覚悟をもって行なってほしいと思います。
そして、私にそれなりの共感なり理解なりをもたないと読めない文を書くつもりです。
最初から「敵対アリ」という態度では、実のある話は成り立たないでしょう。

これは個人のブログという性格上、そうするより方針が立たないということなのだと感じています。

あえて言い換えますが、私にイデオロジックな議論を持ち込もうとする人は、私は聞くだけの耳を持っていますから、とことん話してください。けれど、節目のある議論としてやっていこうという意思のある人以外は受け付けません。
脅すわけではないですが、そうでない人は個人攻撃の対象にさえなると思ってください。

蛇足ですが、はっきりいって組合活動としてなっていない(=下手糞な)日教組は大嫌いです。
全教のクールな活動の方がまだ好感をもっています。
もちろん、それ以前に、現状として労働組合が足腰立たない状況にあるのは教育公務員に限ったことではないので、組合運動に関しては、それこそもっと世間的によく用いられるようになった言葉である「グローバルな」議論が必要だと考えています。

長々と書いてきましたが、このようなぐちゃぐちゃしたことをベースにブログを書いています。
そして、できるなら、このつぶやき(戯れ言)が大きな声になることを望んでいるのです。

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ネット王子とケータイ姫(中公新書ラクレ)香山リカ+森健

2005-01-08 14:51:09 | 教育書
正直期待はしていなかった。タイトルのセンスを疑って、買うのに躊躇した。
佐世保事件に関しては前出の「「個性」を煽られる子どもたち(岩波ブックレット)」の方が、
より真理をついた視点を示している気がするし、
この書の第2章のテーマであり、私の主張でもあるが、
「書物を含めたマスコミを通じた情報は疑わなければ真理は見えない」でもあって、
ナンパそうな(というより、いやらしい)タイトルや帯を冷めた目で見ていた。
実際、第1章2章の香山さんの文には御意見番的な印象を受け、
さほど感心する(というか当然過ぎる意見なので)ものも無かった。
この書物はどちらかというと森さんの方の文章が気になった。
あとでブログに記述する予定だが、「教育再生」(同社刊)の情報を補足したような、
電脳世界とそれに対応する教育界の詳細な実状を知らせることで、問題点を浮き彫りにしたような、
そんなジャーナルエッセイになっている。
「王子」「姫」と揶揄したかのような取り上げ方はバカにした印象を最後まで拭えなかったが、
個人的な第一の所感は、システムとしての学校教育の貧相な有り様であり、
そこに関わる人たちの無理解と思い込みによる無法な言動である。
日本の教育の縮図はここ実もあったかと改めて確認した。
この本の第4章はその点への解消方法を示唆しているようだが、
提言と題された章におけるドメスティックというか、
少なくとも社会再生的でない対応は対処療法的であり、
正直、失望した。
我々は抗えない流れに身を置くドリフターズではない。
少なくとも現場はそんな気はさらさらない。
やはり、人の汗を感じないタイトルは醜悪だ。

いい学校の選び方(中公新書)の感想追記

2005-01-04 21:40:27 | 教育書
この書物の大きな特性を記述しそこねた気がする。
国際理解教育センターの主たる人物である筆者は、
そこに至るまでの経歴は驚くほど教育とはかけ離れている。
が、カリキュラムや学校教育の機能を分析的かつ実際的に説明しているところは、
特筆し追記したい。
そして、子どもの立場から学校教育を見直すユニークな視線は新鮮である。
果たして、どのような人がこれを読み取るのだろう。
私としては、やはりP&Tに読んでもらいたいし、
草の根ではないが、下層から教育委員会や自治体、文科省を突き動かす武器にしたいものだ。
個人的には、もし、自分が学校を新規にデザインしようとする時(立場にいたとしたら)、
分かりやすい手引きになるとは思う。

自分の読書について

2005-01-04 00:39:47 | 教育書
子ども自分は科学者にあこがれ、SF小説や推理小説を大量に読んでいた。
思春期、青年期には更に科学雑誌や専門系の入門書、そして、不安定な気持ちを心理学の本で理解しようとしていた。
大学時代は理系専門書が中心だが、英文にも積極的に当たったが、何かを得られた感触は少ない。
この仕事について(4年の講師時代を含め)、自分のペースがつかめるまでは本らしい本は読んでいなかった。
教育系と呼べる書物は10年くらい読んでいなかったといってよい。
これではいけないと一念発起したが、教育の専門書は実はたすきに長いものばかり。
結局、古い書物は使えないことに気付くのに時間はかからなかった。
(少々、現場に引用できる書物はあったが、古いものばかりでは当たるまでに時間がかかる)
いきおい新刊本、そして新書シリーズにいきついた。
私のここ2年の書物購入の基本は「1998年以前はダメ。」である。
なぜなら、指導要領改訂にからんでいないからである。
また、教育界において、小学校でも6年たてば子どもは入れ替わり、
教師も多くは入れ替わり、各所で一昔前になってしまうからである。
(別に学校独自の伝統を無視しているわけではない)

今、書評めいたものを立て続けに書いているが、
気をつけたいのは、自分がマスメディアや書物に影響を受け、
自分の科学的な観点を見失ってしまうことだろう。
例えば、眠りを奪われた子どもたちの感想では、個人的な子どもへの所感をのべているが、
決して一般化した話ではないと思う。
現在、目の前にいる子どもや親、地域を攻めようとしているわけではない。
私は私なりにどの位置に立脚しているかを記述することで試行錯誤しているのだ。
「読書とは、旧知と語らう事である」とは何かの書物の言葉だが、
こうして自分の気持ちを吐露する場を、挑戦の場と捉えてもいるし、
自分を見つめる場とも捉えている。

いい学校の選び方(中公新書)の感想

2005-01-04 00:17:16 | 教育書
この書物は「いい学校の選び方」を通し、
教師と保護者の視点のずれを具体的に明確にし、
社会の教育の嗜好(というか、個人的にはくだらない短絡思考)と子どもへの対応のずれや、
筆者の言葉を借りれば、教育の直面する課題に対する「ビジョン」の持ち方・実例を
示しているのではないかと思う。
教員研修の講師をしている経験などからなる話には、非常に共感を覚え、
そして、世間に、行政による教員の用い方・鍛え方の誤りを幾ばくか明らかにした最初の文章のようで、胸がすく思いでもある。
この本がPTAの共有前提知識となると、P&Tの関係も少しはよくなるような気もする。
ある意味、タイトルがタイトルなので、これからの学校評価のバイブルとなる感もあるが、
現時点では、考え方の一つを提示していると捉え、これから多くの議論の端としてみていきたい。

現代詩作マニュアル(思潮社)について

2005-01-03 22:32:05 | 教育書
詩について、少し見聞を広めるつもりで購入した本。
特に隠喩、換喩やアナロジー、イロニー、エクリチュールなど、
理解しておかなければいけない用語(意外に辞書からではわからない)
や原理、
近代の詩の歴史を俯瞰することができそうだった。
できれば子どもへの詩の指導に厚みをもたせるきっかけがあればと思ったのだ。
はたして、以上の所期の目的は達する事ができたと満足を得られた。
帯宣伝通り、よき入門書に属するのではないかと思った。
指導にいかせるかどうかは、後は私の技量か?!
ううむ。修行あるのみ・・・。

これとは別に、最近、大岡信等の編集による「おーいぽぽんた」(声に出して読みたい詩)
を手に入れた。
前から欲しかったのだが、カミさんが自分の子どもに手に入れたものだ。
子どもに読み聴かせながら、使える!と再確認した。

上記の本は専門書チックなのだが、新たな視点を得て、楽しませてもらっている。