怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

ちょいとつぶやきを

2010-10-13 21:46:51 | 戯言
なんの計画もなくつぶやいてみる。
復活宣言でなく、たぶん、今、利用している発信メディアで、一番適切だと思ったから・・・。

では、以下に。

以前、好意的に読んでくださっていた方へ
お久しぶりです。

まだ都下で教員をやっていますし、あと20年やれといわれたらわからないけれど、もうしばらくはやっていけそうです。

いつも弱音を吐いてばかりですが、そういった点は変わりないです。

ちょっと、気が変わったのでここに記しています。

最近、頑張っていません。
たぶん、ある程度の技量、力量がついたせいもあるとは思いますが、いろいろやってきて少しつかれたのかもしれません。
もちろん、私が名付けた「事務教育」的な部分への「手抜き」も筋金が入って来たと思います。
まあ、何につけ、あんまり意欲的でないのです。
自分の家庭的な事情もありますが、私自身が気力、体力的に集中力が衰えたせいも大きいと思います。
ちょっと身体を鍛えようかとも思うのですが、日々、優先順位が自分を後回しにし続けてしまいます。

今の状況を分析すると、「逃避」なんだと思います。
まず何事も行動原理的に「避ける」というところから始まってしまいます。
もちろん、今の職場が、そこそこ職員の人数がいて、かなりみんな忙しくて、相互のコミュニケーションが薄いから、私はひっそりとしていることができるのだと思います。
それからあまり上司にとやかくいわれる必要(例えば研修しろ!とか、何かれを経験しろ!とかのプレッシャー)がない年齢だということもあるとは思いますが、公的なキャリアアップをしない態度がだれも引き寄せないのだと思います。

独りで黙々と本を読んでいます。
当て所もないのですが、その内、何かの形にするように気をつけて過ごしてはいます。

もっと独りになりたい今日この頃です。

ただ、そういった話ができる相手がいると嬉しいだろうなと、それはそう思います。

教員なんていうのは、結局、一匹狼な点があります。
そこは重々承知の上の話です。

今の興味は「教育行政に相対してしまう実践家の生き抜き方を考察する」「理科教育の歴史経過を参考にしつつ、現状の理科教育を原理的に叩きつつ、真に実践的なあり方を考察する」ことについてです。

労働法やら教育行政史、新しい教育(特にシチズンシップやオルタナティブ、解放教育、開発教育など)、理科教育を中心に自学しています。

一朝一夕にはまとまりませんが、粘り強く興味をもっていきたいです。

私の動機は、やはりネガティブなものです。
「教育」というものについて、あまり明るくは見ていないのです。
私の成育過程や教員になってからの体験がそうさせているのだと思いますが、いろいろさっ引いても、今の日本の教育の一部は悪意に満ちている気がします。
でも、そうではない部分もあるのだなという実感も信じて、そういったものを応援していくことを前向きな行為として捉えていきたいです。
残念ながら、それが職場的には見えないというのが私のスタンスですが、外向きの希望として、そう捉えようということです。

長くなりました。
最近、だれも読んでいないようですから、ひっそりと、また忘れてもらえるように。