怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

組閣(落ちなし!)

2005-10-31 23:01:09 | 戯言
ひとーつ!
文科省大臣がかわったようだ。
どんな奴なんだろうってHPも見てみた。
小坂けんじオフィシャルサイト
自由民主党国会対策筆頭副委員長、国家基本政策委員会委員、環境委員会委員、災害対策特別委員会委員
はぁ?
プロフィールをさらりと見る限りは教育関係とは関係ないね。
小泉の腹心って感じだな。また、あとでゆっくり見てやるよ。
前任みたいに、いいかげんなことを言ったらただじゃおかねぇぞ!(ガン!)

ひとーつ!
ちょい気になるのは少子化対策。
なんだいありゃ。
マスコミ「なんで選ばれたと思いますか?」
猪口大臣「・・・わかりません。」
はぁ?
プロフ参照。
上智大学法学部教授、前軍縮会議日本政府代表部特命全権大使
って、おい!
畑違いじゃねえか!(ガン!)

ひとーつ!
やい、マスコミ!
つまんねぇオバちゃんつかまえて、「小泉シスターズ」?
はぁ?
物事の本質を報道せずに、つまんねえこと持ち上げていんじゃねぇぞ!
お前らまとめてこの手のことに無責任なんだよ!(カンカンカンカンカン!)

小泉!子育て教育を軽視するな!

パズル

2005-10-30 23:28:42 | 戯言
大学時代からの友人Y氏と久しぶりに話をした。
彼とは長い付き合いになる。私の子どももよくなついている。
実のところは身体がしんどくて、子守りがつらくて家に呼び出したのだ。
元気のでない姿で迎えたので、彼には悪かったが、(さらに一方的で悪い友だが)話ができてよかった。

彼は教員ではない。
また、非常に社会的な話でバランス感覚がとれた意見を言ってくれる人である。
そういったことで、いきおい色々な話を聞いてもらっている。
彼もそんな私の癖を知っていてつき合ってくれるのだからありがたいことだ。

さて、感謝しながら本題にうつろう。
彼と話をしていて稀にパズルがそろうときがある。
今回はチェックまではいってもメイトまではいかなかったが、自分がなぜ教育のシステムにこだわるのかが分かった気がする。
昨今の教育施策に対する将来の見通しへの不安、恐怖は拭えない。
そして、周りで不要に疲れている人々、志半ばで倒れていく人々。
ewoman(イーウーマン)の陰山氏の対談でも、彼の動機の一つにも、そんな声を失った人々のことがあります。
(彼の著書でも繰り返し出てくる話ですね)
Y氏に残してしまったであろう疑問の答えの一つはここにもあるなと思う。

ときに、教育実践や教師の生活から離れて、なぜこんなに教育施策について思い悩まなければならないのか、自問自答していることがある。

今ひとつ、最近の報道に関して、教育ニュース観察日記ブログのカラさんのお話。
ここまでいくとレベルが違う話になるなぁというのが所感。
でも、気をつけたい所だ。

給与問題で、自分なりに結論をつけていることを書いて今日は終わろう。
私自身は給与が高い低いの論議は、どれもこれも相対論を出ていないし、歴史的な経過も正確に追い切れていないものが多いので、くみしない。
それよりも給与を下げることはかまわないが、同時に教職員の仕事の実際を改善する努力を怠ってきた文科省役人、教育委員会の犯罪行為は同時に処罰してほしい。
そして、多分、私の場合、給与以上の努力は断固拒否する立場に立つだろう。
なぜなら、仕事の評価を給与に転化してくれとは全然思わないが、評価以前で無用に給与を引き下げるのであれば、それよりも以前に立ち返り、給与の意味を問うてもいいと考えるからだ。
正当に評価され(これは実はそれほどいらないが)、教育活動がストレスなく行える実情が必要だと思う。
そのためであれば給与が引き下げられようと全然教職員のモチベーションは下がらないと思う。
労働組合が文句をいわないか?
人事院勧告を無視しているのに、すでに組織率が満たない団体の戯言を聞くようなたまか?
そう思う。
「不要な仕事を減らせないか?」と問えば、「手当は出ているだろう!」という暴論で締めくくる管理職もいなくなるしね。

英語教育の話(噂程度だが)

2005-10-29 00:30:06 | 教育
飲み会で話題の一つになった。
それはTHE義務教育(小学校編)ブログさんなどでは当然の話題になっている小学校段階の英語教育の話だ。

話の発端は、英会話を習っているF先生が、来年度に英語教育導入に関する検討などへの学校対応担当のようなものになってほしいとの要請があるということだった。(と思う。正式な分掌名などが不詳。)
そこで前任校などでやってきた実践や済美小学校などの研究指定校の実践例、そしてその他の昨今のキーワードを混ぜ込みながらS先生がF先生への資料提供や協力の意志、これからの見通しの持ち方を説明していた。

私はだまって聞いていたのだが、あまりの見通しに対する楽観性や閉鎖的な行動方針を聞くに及んで、思わず口を挟んだ。
一つには、実現のための英語教育自体のハードルはさておいても、現状の英語教育導入にやっきになっている学校の多くは、その他の事情で立ち行かない現状を抱えている。
だから、それほど楽観的に事を進めることはできない。
今一つには、総合的な学習の時間に端を発する教育界の混乱などのこと。
混乱の例としては、学校の安全性を確保するための配慮のことや、カリキュラム的な例では大きくは情報教育など。
その様に常に新たな負担に耐えてきたことと、管理の強化の割には下からの声を聞くシステムのなさは教師側に冷静な判断をさせない要因になっている。
一方、我々教員は末端公務員なだけに、お上のいう事を「ハイハイ。」と聞かなければならないし、極端にそういう状況に追い込まれてきている。
例えば、残業しようが何しようが、手当もないし、教師側の提案でシステムが改善されるわけではない。
すぐに管理職(や、その上層)の思うように引き込まれる。

そんな状況で、「英語教育」を効果的に達成することを現場におろしても実現性は低いだけでなく、実践や理念がいい形で拡大するわけがない。

私の主張は、別に「新しいこと」を「するな!」といっているのではない。
現状のその他の教科・教科外項目についての正当な評価と、英語なら英語の研究をしっかり実現性、再現性の高い教科・単元に完成させてからでも、英語教育導入は遅くないということだ。

この点をS先生に説明していたら、「志が低い」といわれたが、S先生は大きな勘違いをしていると思った。
なんでも末端の教諭が研究を重ねたり、丸投げを請け負ったりしているうちに、子ども達の教育が立ち行かない状況になっているのは自明のハズ。
S先生と話していても、その点はなんとなく共感してもらえそうなのだが、この手の話になると、出世の話とからんで身を乗り出してくる。
それが「志」なのだろうか?
本末転倒ではだめだし、教師の心身をだれが守ってくれるかも問題だと思う。
ましてや教員同士の競争に持ち込んで、この手の具体的な実践についてどうこうしたいという話は、あまり動機不純でつき合えない。
しかも、このての「英語教育!」を叫んでいるのは本来一部の外野であるはずの輩。
そんな場所からもってくる、「これが実践例!これが見通し!これがキーワード!」はあまりにも怪しい。
先のTHE義務教育(小学校編)ブログさんの想像するものとは大きくズレたものだと思う。
すでに教員の人事考課制度は毒を生み出していると感じる。

今日、飲まない飲み会でした

2005-10-28 23:59:05 | 戯言
飲まない飲み会というとヘンな言い回しだが、私はゆえあって断酒している。
いろいろノミニケーションを大事にしてきた私には痛手だが、仕方のないことだ。
飲まない飲み会を経験している最中だが、今日はそんな機会だったということだ。

ハッキリいって、飲める人間だから、飲めないのは盛り上がれない。
だから、そんな場では結構おしゃべりな人間なのだが、飲まないと話さない自分を確認した。
飲み屋の食事の味も、こんな味だったのかと確認してしまった。
(はっきりいって今日のところのは不味く、あまり食べずに帰宅後食事をしてしまった。)

飲まない人、飲めない人の気持ちが少しわかったような気がした。
こりゃ、飲み会なんて来ないのも分かるわ。
飲み会の後のカラオケは理解できるが、喫茶店は理解できない私だったが、それもいいなというカンジだ。
でも、その場合は、最初っから喫茶店がいいな。

っていうか、喫茶店もリラックスできないけどね。
(隔壁付き、狭くないソファ付きならいいが、それって家かホテルだな。)

M教員

2005-10-28 00:46:41 | 戯言
マゾの教員ではない!(笑)

問題教員のこと。

今日(もう昨日か)、口げんかになった。
前からわかっていたが、こういう人もいるんだなぁ。
もう、一緒に仕事したくはないな。
気を遣うのもいやになった。
こういうことがあると、へんに責任を背負い込む位置に立つのはほとほと嫌だ。
M教員は気楽でいいなと思う。(ふうっ)

阪神残念

2005-10-27 23:40:49 | 戯言
教室の虎マークを下ろした。

テレビで見れた試合は3試合目の藤川が投げていたところ。
2点とられて降板したのだが、彼の気迫ある投球は素晴らしかった。
4試合目は1点差。
だが、粘りが今一歩だったようだ。
残念。

岡田監督!夢をありがとう!
来期に期待!
がんばれ阪神タイガース!

声を!

2005-10-26 07:16:53 | 戯言
教師、保護者のブログを中心に、今回の給与批判問題についてTBなどをつけまくろうと考えています。
手がかりはブログの検索ページなど。
暇だなぁと思われて結構。
でも、「声をあげていかなければ乗り越えられないのではないか」という確信はあるから、「ふっかけ」に終わるかもしれないけれど、簡単にできることなのでやってみようと思う。
縁あってブロガーになったのだから、楽しく、緊張感をもってね。

教員給与批判と一般認識vol.3

2005-10-25 00:56:10 | 教育
THE義務教育ブログのワタナベさんの頑張りにはいつも頭がさがります。
「教員給与引下げ報道に関して」のTBセンターを立ち上げてくださっています。

私はブログランキングには参加しない態度をとっています。
これはアクセス数アップで不特定多数の人に自分の意見を見てもらうことで、自分の意見が「らしくなくなる」かもしれないという気がするからです。
また、自意識過剰ですが、目立つことで自分の素性がバレてしまうことを怖れるからです。

けれども、今回はいいかな。ワタナベさんの企画にも協力したいし・・・。
そう思って参加しました。

教員給与批判と一般認識vol.2

2005-10-24 00:43:46 | 教育
教育ニュース観察日記のカラさんの文章は、その適切さ、深さにうなるばかりです。
コメントをおくと同時にとっておきたくて、リンクさせていただきます。
(ダメならいってくださいね)

ブログなんてものができた昨今、教師は素直に声をあげていくことが大切だなぁと思います。

蛇足。
「先生の給料 高くない」・文科相が財務省に反論(Nikkei Net)
ブログの意見を読んでみた後で読めば、「問題解決にはならないよなー」と思うが、一般の人はこれで納得するのだろうか?

教員給与批判と一般認識

2005-10-23 06:28:50 | 教育
前エントリーのコメント&TBでカラさんの「教育ニュース観察日記」で紹介いただいたブログ俺の職場は大学キャンパスのマイスターさんのエントリーを読みました。
カラさんのエライなと思うところは、ちゃんと教員でない人にも分かるように説明するべきだという主張をもっているところです。
今回のマイスターさんの主張は一般認識に近いのでは?とのカラさんからの指摘に、それもそうだなぁと感じたのです。
長ーーくなるけれども、マイスターさんのエントリーにこたえる形で自分の意見をまとめてみました。
(マイスターさんのブログにコメントするにはちょっと長ーーすぎるので、失礼だと思ったのです。)
もちろん、この形式ではまずいとなれば、このエントリーを削除するつもりです。

以下、引用(>)はマイスターさんのものです。
まず主な疑問をまとめられていたので、
>○なんで校務を全部、教員がやっているの?
>○校務のせいで残業できないくらい忙しいのなら、教育力、指導力を上げるための努力は、いつしているの?
>○校務の合理化はしているの?
>○残業代が出ないなら、成果を出した人に対して、どういう形で報いているの?
>○「自分たちにそれを決める権限がない」んだとしたら、決められるようになりたいと思う?


では各論をみながらコメントしてみます。
なんで校務を教員が全部やっているのか?
>事務員に頼むか、そうでなければ、地域のボランティアはいないのでしょうか?
>いなければ、学校が主体となって、NPOを組織すればいいと思うのですが、そうした試みはしているのでしょうか?

まず事務職への移管問題。
これはカラさんのブログによれば、制度的に難しい部分があるそうです。(すいません。知りませんでした。)
私も私学中学高校の講師をやっていたことがあるので、公立のこの職についたとき、事務内容を事務職になぜ移管できないのか疑問でした。
せめて転出入手続き、集金、名簿作り、諸経費の事務手続きなどをやって欲しいものだと今でも思います。
この点では制度がじゃまならば、なんとかしてほしい気持ちはマイスターさんと同じようです。

NPOについてですが、三鷹市の某小学校の学習支援NPOなどが例にあがりそうですが、これも保護者・地域ボランティアでは問題があってNPOになったと聞きます。
(自分の子どもしかみない。他の子どもへの干渉がある。管理、折衝などの手続きが煩雑すぎるか一部教諭や保護者などへの負担が大きいなど、想像するだけでNPO化する方がハードルは少ないでしょう。)
そして、これについてはマイスターさんもお認めになっていますが、やはり最初は業務が増え、たいへんなようです。
よほど管理職や自治体にリードしてもらい、それなりの(人的、金銭的などの)配慮をしないと、どこでもできるわけではないようです。
また、そのノウハウの理解・拡大もこれからというところでしょう。
これは外国をモデルとしているNPOの多くが理想とするものを達成を未だにできていないことをいくつか見れば明らかです。(ものによりけりであるし、環境によっては時間も必要という意味です。)
ここいらへんに関しては、マイスターさんは実現可能性、達成への道のりを楽観視して見誤っている気がします。(もちろん、そういう努力をしないといっているのではないです)
また、職員室にそうした気概を持った人は
1人もいないと断じるのは誤解であると同時に、いらぬ批判を引き継ぐ可能性があるのでやめてほしいと思います。

どちらかというと、この点は、教員のというより学校のアピールが不足しているのかもしれませんが、例えば、学校のHPなどを作っても、旧来の事務的、役所的な姿が浮き彫りになっているように思います。
(具体的に記述するのはやめておきます)


>ポスターを数枚貼って、「ボランティア、来ませんなぁ」とつぶやきあうだけの人、それが日本の公立学校教員の姿です。厳しいことですが、本当にそうです。

これはある程度認めますが、つぶやきあうだけの人であるのはそういう人だけでしょう。
つまらないと感じているけれど、それをやめることができるリーダーはいません。
それだけのことです。いずれ変わることです。これを問題視して突っ込んでも何にもよくは変わりません。
若手は充分疑問を持っているし、変えようという気概はあります。


>残業代が出ないのは気の毒ですが(中略)残業を減らす工夫をしてみることをオススメします。

減らす工夫はだれがするのでしょう?(挑発的な言い回しに聞こえたら、そうではないです。すいません。)
残業代を減らして残業が減るものならば楽勝ですね。
なんだか「にわとり卵」の議論ですが、異常性はどちらにあるのかを考える方が使われている方は分かりやすいと思います。
責任転嫁に聞こえるかもしれませんが、これは以後の記述を読んでいただきたいと思います。


>なお欧米の教員達は、(中略)経営に関わることまで自分たちでやっているわけですから△修遼擦靴気篭丹枦?任后

やはり、この道を選んでも同じということではないでしょうか。(ちょっと議論全体に矛盾を感じます)

>日本の教員達は、校務におぼれて、本来の担当業務である「教育力」を伸ばす自己研鑽を怠っているのですから、なんだかもったいないと思います。

そうです。もったいない。
教務主任になった元同僚が言っていました。
「自分の教育的な実践なんて、教務主任になる前の過去に培ったもの。余力でやっているようなものだ。」と。
内情に触れるので、誤解を生むこともありそうで、「教諭のブログ」的には危険な事実暴露ですが、こういったことも含めて、連携の中でやっているのが現実です。
そして、もったいない話です。
これは教員側の更なる努力もしていく必要はありますが、学校の校務について、行政側の理解、改善も必要なところはあると思います。
(こっちの影響の方が大だと思いますよ。はっきりいってやっていないといってよい。現に増えているもの。無駄な報告書とかね。)
私学の時はそういった激務の主任は輪番でやっているところもありました。
もちろん、公立のそれと比べると、少ないなと感じると思います。(なんせ上に役所はないですからね)

でも、私学との単純比較でそれが公立で私立のそれが可能かというと、そうではない点をあげることができると思います。
では、私学は優れているかと言えば、そういった意味、側面では優位であると私は思います。
すると、公立は私学的に独自性、独立性を持てばいいかというと、それはその時点で公教育とは言えない下地を持つことを意味するので、別な議論が立ち上がってきます。


校務をちゃんと合理化しているの? という疑問も、以前から持っていました。
>学校内で行われる校務、とってもムダが多い(中略)手始めに様々なプリントをテンプレート化してみてはいかがでしょうか?

ご提案の件ですが、これはすでにやっています。
が、ボトルネックは「学校教員のITスキルがいまひとつ低い」「無駄な報告書が多く、統一されていないし、変更もあるし、新規もある」につきるかなと思います。
前者は、もうこれは時間を待つしかないです。
(若い人のたいていは、ワープロ打ちくらいはできますよ。)
これについての研修も適切に実施されていないことも大きいです。
(私自身、この手の講師を経験して思います。役所側はちゃんとやっていません。バカかと思います。)
後者は、教諭側のできる改善ではないです。お役所の問題でしょう。

あと、東京都なんかは未だパソコン配備が少ない学校が多すぎます。(その手の予算を地方移譲しているからですよー、これはっ!)
それからサーバ、ルーターの管理まで教員まかせ。ウィルスに対するワクチンデータの手作業アップなんて過酷な手間から早く解放して欲しいものです。
(利益優先の企業だったら考えられないのでは?しかも、普通、大企業なら3日から1週間ごとのデータ更新ですよ。自治体ごとにSEかネットワーク管理者を雇って学校を巡回させるくらいの知恵と金がないのか!ただでさえもWindowsMeなんて不安定なOS!)


残業代がないのなら、どう笋辰洞軌?寮?未吠鵑い討い襪痢 というのも、不思議です。(中略)給与で差がつかないなら、より大きな権限や裁量権を与えるのが、普通の発想です。

これは同意義ではないにしろ、行われていることなので誤解だと思います。

>でも、マイスターが伝聞で知る限り、学校の職員室は年功序列で閉鎖的な村社会ですから、こんな「若手を重用する」なんて発想は皆無でしょう。

たしかに「重用」というと感触としての違いを感じます。
(だいたい、組織がナベブタですしね)
具体例をあげましょう。
研究などは例になるのではないでしょうか。
年功序列では研究などは進みません。参加者の状況、実態は様々ですが、経験年数を問われるようなレベルは(ヒモつきの初任者でもない限り)ないです。

そういった意味で、校務は若手にとってはいろいろ経験することで自分の力になります。
熟達にとっては若手を育てる中で学ぶことも多いのです。
これは教諭の仕事の特殊性でもあると思います。

同じ校務でも、ものによっては、学校や時代によって大きく変わるし、私学のように膠着状態でつまらないものでないことにも起因しています。
村社会を叫ぶなら、私立学校の方だと思います。
(ましてや、話題の先取りになりますが、公立の私立化を目指せば、同様の問題は発生します。)

だって、本当に、日本中の学校でこんな会話が行われていそうなんですもん。

少なくとも私の知る限り、現在(多分、この10年くらいは)、そんな会話は行われていません。


>でも、給与に関係なく、 はなっから責任ある業務をやりたくない、プロジェクトリーダーなんかに興味がない人には、残念ながら効果がない のがつらいところです。

これはどこでも同じですね。

>学校のセンセイは、「こつこつ真面目にやっていればいつかいいことがありそう」タイプが多そうですから、こうした野心や起業家マインドを満たす試みには、興味をもたれないかも知れませんね。

どういうタイプが多いかはわかりませんが、野心的な人は学校経営を目指せばいいことだと思います。
少なくとも、私の現状は子どもの変化に飽きていませんから、今あるものから多いに学び、実践を繰り返し、研鑽に励むだけです。
それが教諭として志望し、あるべき姿の基本だと思います。
今のように、5年たてば出世のための研修コースをすすめられ、10年たてば主幹コースをすすめられる馬鹿な感覚につきあえません。
マイスターさんには、それを野心、企業家マインドと呼ぶのではないことを祈ります。


「自分たちにそれを決める権限がないんだとしたら、決められるようになりたいと思うか?」 です。
>マイスター、これまで好き勝手に「もっと工夫しろ、努力しろ」ということを書きましたが、(中略)ここで、ようやく昨日の本題に戻るのです。
だからこそ、教育に関する予算を、地方で握らなきゃいけないんじゃないか! ってことでしょ?
>予算と、あらゆる人事の決定権を地方に、ひいては学校それぞれに引きずりおろすことで、教育支援職員を雇用したり、ボランティアを組織したり、NPOを作ったりということは、より容易になると思うんです。
>それが、普通の論理展開だと思います。

普通ではないと思います。
ただ、先に少し記述しましたが、確かに、予算とその運用の権利を地域と学校の手に与えたならばそういうことも可能かなと思います。

が、実際に今心配されていることは「不公平(感)」「企業かマインドで教育ベンチャー」より、公教育をどういうレベルで維持するかの問題に直結しているので、そういう程度の認識で見通しをたてるのは危険だと思います。
つまり、これは「センセイはどうして欲しいかという問題」とは異なるということです。
もっと言えば、この地方移譲の問題は、国家予算の問題と抱き合わせになっているのであるから、百歩譲ってそれがなったとして、5年程度の短期的な見通しを想像してみても(合併が噂され、自治体からの予算を削られた学校が寂れていき、子どもが転出続出した例がありますが)、その時点で教育の地域、地方淘汰(倒産)が起こることは想像に難くないと思います。
教育を自由競争的な視点で見た時、公教育はそれを支えるだけの人材も金銭的余裕もないのは明らかです。

では「この記事の内容が本当なら、現場教師やPTAは、文科省におカネを握っていて欲しいのですねー。」と考えるのかといえば、そういう二項対立では考えないという答えしか私にはないです。
やはり、私には、この議論は教育将来を占う視点でなく、国家予算の頸城の中でご都合的に語られているようにしか受け取れません。


>結局、学校のセンセイ方がどうして欲しいのか、どうすればもっと理想の教育を実現できると思っているのか、よくわかりません。

これこそ今後も議論していく内容ではないでしょうか。
このブログもその一助になればいいですね。


>学校の合理化をしない、オープンな組織にしない背景にはたぶん(中略)閉鎖的なムラ意識です。

なぜ、そのように思うのか、根拠が示されていないのでよく分かりません。
私は教育施策に振り回されている教員の実情を知ってほしいとは思うし、その中で生まれた対保護者のような、本来教育の当事者に属する人との無用な対立に悩まされて自閉したことはあっても、そういう組織であるとか、ムラ的であるといわれると、「ちがうなぁー。」という感触しか持ち得ません。
もちろん、そういったことも含めてオープンにしていかなければならないのかもしれませんが、それってどの仕事も極めてオープンであるってことではないと思うので、異様な感じがします。


>こうしたものを無くして、(中略)給与をどうこうというのは、ちょっと社会の反感を買いそうですよ、センセイ方。

私の主張としては、もっと教諭の研究のアピールや指導技術の共有化を成し遂げていくことは大切だと思っていますし、そういう努力はしなければならないという声をあげてもいます。
(校務の)合理化という点では、前述に譲ります。


>以前から書いているとおり、(中略)なんていっている会社は、 消費者の支持を失い、軒並みつぶれた ということをお忘れなく。

こういう比較はあまりに単純で、問題を矮小化するきっかけになると思います。
そして、「忙しいから」を理由に「考える余裕」を失う前に、「考えさせない」外的圧力もあることを忘れないでほしいと思います。
そして、なんでも民間並ならば、公営である意味はないのです。(これは極論か・・・失礼)

最後にマイスターさんがわりと冒頭の方に書いていた記述を引用します。


>マイスターの感覚からすれば、現状の忙しさにかまけているだけの教員が特殊で、具体的な解決策を実行しようとするのが、普通なんです。

教員の全てを一つの方向に、しかも改革改革と追い込んでいこうという発想には、私は従えません。
それに見合う収入も教育的効果もなくできる仕事ではないと思っています。
私は、保守的、腰が重いといわれようが、現在ある教育的活動の遺産を霧散する可能性さえあるものに、好んで全精力は注げません。
答えになっていない部分は重々承知で言いますが、公教育は議論の端についてはいるけれども、議論の見通しや道筋はついていないと思います。
今なされている議論は、誤解と嘲笑が入り交じった様相で、冷静でないと思います。
教員側に対案を示せ!とかね。本来無茶な話だけれど、実際には組合によらなくても、こうしてブログに書いている人もいるわけで、問題はそういった声なき声が届かないシステムなんじゃないかなと思います。
現状をちゃんと分析し、当事者の声を議論にのせる作業はこれからなのではないかと思います。

残業手当

2005-10-23 00:04:22 | 教育
教員の給料高すぎ? 年金額にも反映、財政審でやり玉に(asahi.com)などの記事内容がいろいろなブログで反論を書かれているので、私の主張もそちらに譲りたい。
私もこの人材確保法の廃止議論やら給与が高いなどの思考を停止した主張にはバーカと思っている。
というか、こういう主張する人は早く社会的な意味で死んでほしい。
はっきり言って、これから先、毒にしかならない資質をもっているのでいらない。

私が書き留めておきたいのは、教員の残業とその手当のこと。
小学校限定だが、中学校はその実態から同様のことがあることを先に記しておく。

私の在籍した学校では朝8時前半に始業が設定されている。終業は5時。
笑ってしまうのが中休みは15分。休憩が4時から4時45分。
アホな設定だと思う。
(4時45分から5時までの15分は5時までで縛るための苦肉の作か?)


会議が3時半からあったとして、もし長引けば4時にはいったん切れる。再開は4時45分から。
わけのわからない人は5時になると、どうしても後にひけない会議でも、ブーイングをだして会議停止を求める。
結局、その人は無視して(帰らせて)、後に残った有志でなんとか仕事を動かそうとする。

せいぜい気になるのはそんな不良教諭。
労働組合の主張なんて今は風前のともしび。相手にしないしない。
残業?
当たり前すぎて話にならない。
たまに電話で親と話をしていて、
「まだ、学校なんですか?ご自宅から電話だと思いました。」
なんてことを言われることがある。
管理職は、「すでに手当はついてる」を前提に話してくる。

とにかく若い(そう感じるものも含めて)連中の仕事は多い多い。
時間も人も足らない。
公僕なんだから(・・・そんなアホな意識の切れっ端があるから)、それから仕事に誇りがあり、子ども達の笑顔が支えてくれるから・・・。
バカ正直を装うためのリフレイン。

方法は二つ。
残業手当の代わりと呼ばれる手当を削り、さらにバカ正直なヤツをお利口さんに切り替えるか。
(いや、出世バカを増やすのかな?)
ちょっとはまともに手当の代わりに人を当てるか。金がどこからでるか・・・。
(これは望み薄だな)
どちらも公教育の崩壊が待っていそうだ。
よくて現状維持か。
(それも別の方向からの崩れを防ぐことにはならない。)


以下に関連・続きアリ
教員給与批判と一般認識
教員給与批判と一般認識vol2

2005-10-21 23:49:40 | 戯言
あったまくるー!
っと昨日はイライラがとれなかった。

でも、一晩寝ればスッキリ。
われながらいい性格してるよ。
というか夢うつつで考えた(これもヤバイ状況だなぁ)。
わからん年寄りと対立してもダメだね。
(ミエ張り社長と、資質ないアホ同僚=よく今までやってきたよこの人。あきらかなM教員。存在が犯罪だねありゃ。)
早く死んでくれるのを待とう。(^^)
そう思ってスッキリした。

いや、不健康、不健全な状況じゃなく、ホントスッキリ。
「何かしよう」とか「何かしてもらおう」とか考えたり、自分の力が、タイミングがと考えるのでは結局「壁」にぶつかってしまう。
唯幻論ではないが、まあ、見えない精神的な「壁」はストレスにしかならない。
そんなものを自分で設定してもつまらない人生が待っている。
こう考えたらスッキリした。
つまりは、そういうこと。
(だから、そのストレスの原因なんて無視して考えられればいいわけだ。)
楽しくやっていきたいな。(笑)

総合的な学習の時間の崩壊

2005-10-20 07:01:29 | 教育
子どもとつくる対話の教育(山吹書店)鈴木和夫著を読んでいる。
第1部を読了。

素晴らしいこの実践だが、自分がやったとしたら・・・と考えた時に気になったことがある。
この実践はどのような時間設定でできるのか考えた。
その学習形態や内容、その綿密さから「総合的な学習の時間」以外の設定は考えられない。
この学級は単級だろうか。学年での取り組みはどうなっているのだろうか。

そう考えてきて、自分が「総合的な学習の時間の消化」にとらわれていることに気がついた。

「子どもとつくる対話の教育」という題の通りの実践である。
時間設定の立ち上がりが違う。
実は自分の総合的な学習の時間のイメージは教師側から児童へ落とし込むものになっていたのではないか。
そう感じた。
前任校も今の学校も、はたまた講師として経験した学校もそうだったが、スタート時点はそうでもなかったのかもしれないが、年を経るごとに学習の活動の設定が教師主導へと変質していっているように思う。
1学期当初に役所(教育委員会)へ提出する指導計画を、児童の実態を基調とせずに報告してしまい、意外に気にもせずにその通りやろうとしてしまう。
もちろん各学年の学習体験のバランスを考慮しているつもりにもなっている。
「義務教育を問いなおす(ちくま新書)藤田英典」でも述べられていて、「その通り!」とひざを叩いたのだが、4年生で行う「総合的な学習時間」よりも5年生で行う「総合的な学習時間」がレベル的に劣っているなんてことは当たり前にありうる。

いろいろ考えているうちに、エントリーのタイトルのようなことを感じるのである。

キャリアアップ

2005-10-18 22:35:56 | 戯言
「キャリアアップがしたいか?」と問われれば、「したい」と答えるだろう。
だけれども、その「キャリア」なるものの中身は問題だ。

ある人には「出世」ということだろうし、ある人には「技量・能力」ということだろうし、またある人には「自分の力」という抽象的なことかもしれない。

私は幸い初任の学校で出会った教諭達の統合したイメージが目指す自分のキャリアモデルなので、「人間である教師としての自分なりの技量・能力」がイメージとしてある。
もっと上手に授業がしたい。
そして、そのために自分に合った学級経営ができるようになりたい。
学校教育全体に寄与したい。
そんなイメージがある。
そして、これはきっと平教諭でないとできないだろうなと思っている。

子どもを育てたいが、何か意識的に後続を育てたいとは全然思わない。
組織を動かしたいとも思わないし、対大人の細かいマネージメントは面倒くさいし、向いていない。

「教諭は一匹狼で困る」という言葉を聞いたことがある。
なるほどなと思う。
でも、それじゃないと動かない仕事なのは自明だ。
そういった意味では「何でも屋」なんだもの。
結局、無個性の歯車にはならないしね。

あー久々に戯言が続いている。
きーもち、いーい!p(^o^)q

言行一致

2005-10-18 22:23:29 | 戯言
難しいことだとは思うけれど、政治家などは是非こうであってほしい。

一方で平和願うといい、一方で平和でなかった過去は仕方がなかったかのようにして肯定さえしようとする。
ましてや、その行動場所は平和を目指して建てられた歴史を有していないし、現在もその主張の根幹は不変だ。

なんだ今日の後追いは。
あの連中の後ろには国民の半分もいない。
でも大きな顔をしている。
恐ろしい限りだ。

例の教科書問題もそうだが、「どこに書いてある!」という割には、自分達が今まで言ってきたこととは食い違わないとでもいう顔でいる。
その顔にかいてある!

バレバレなのは明らかなのだが、マスは象のように無関心と小回りのなさを露呈する。
そういった意味で、とんがったアホな連中は相手にしないように、なんとか象の向きが変わるのを祈るのみである。