中日(なかび)が二日間挟まる連休。
4月に相当がんばった子ども達は骨休めになっただろうか?
意外に五月病というか、この連休が生活のリズムを崩してしまってないだろうか?
この連休中や前後に消防写生会だとか、演劇鑑賞教室だとか、遠足だとか、行事を挟んで子ども達の気分高揚と集中力を繋ぐパタンがよくあるが、心子知らずで乗り越えて行ってほしいものだ。
今夜、たまたまテレビをつけたら見城先生が映った。
夜間中学の話の再放送だった。
先生を夜間中学の語り部とだれかが言っていたのを思い出した。
そうあろうとしたのではなく、そういう自分であったのではないかなと思った。
ふと、浮ついた自分の気持ちを振り返った。
そう。人からどうこうではない。
全て自分なんだ。
そう思った。
これからも人を悲しませたり怒らせたり心配させたりするかもしれない。
でも、それも引き受けて自分なのだから、自分の今の方針を曲げてはいけない。
変える事は実はいつでもできるという意味では楽なことなのだから。
さて、明日を思う。
1年生はまだ午前授業。
カリキュラムも薄い。
凝縮した時間を楽しく過ごす工夫をしたい。
4月に相当がんばった子ども達は骨休めになっただろうか?
意外に五月病というか、この連休が生活のリズムを崩してしまってないだろうか?
この連休中や前後に消防写生会だとか、演劇鑑賞教室だとか、遠足だとか、行事を挟んで子ども達の気分高揚と集中力を繋ぐパタンがよくあるが、心子知らずで乗り越えて行ってほしいものだ。
今夜、たまたまテレビをつけたら見城先生が映った。
夜間中学の話の再放送だった。
先生を夜間中学の語り部とだれかが言っていたのを思い出した。
そうあろうとしたのではなく、そういう自分であったのではないかなと思った。
ふと、浮ついた自分の気持ちを振り返った。
そう。人からどうこうではない。
全て自分なんだ。
そう思った。
これからも人を悲しませたり怒らせたり心配させたりするかもしれない。
でも、それも引き受けて自分なのだから、自分の今の方針を曲げてはいけない。
変える事は実はいつでもできるという意味では楽なことなのだから。
さて、明日を思う。
1年生はまだ午前授業。
カリキュラムも薄い。
凝縮した時間を楽しく過ごす工夫をしたい。