怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

学級崩壊いづこに?

2007-05-20 22:51:12 | 教育
最近、具体例を聞かない。
「いじめ」などよりも認知が下がったのかもしれない。

学級崩壊wikiなどを読むとちょっと幻滅してしまう。
教育を役割分担のように捉え、教師の指導技術と結びつけた解決策が主流のように見せるのはいただけない。

ここいら辺の恣意的な認識の普及が見えなくしてしまったのかな?
枠組みに入らないと情報は下火になるものなのかもしれない。

先日、
「1年生の崩壊って、少し前はよく言われていましたよね。」
と隣の席に座っていた同僚に話しかけたら、
「?」
と、如実に怪訝な顔をされてしまった。

そんなものだったのだろうか?
私には切実な問題に見えたのだけれど・・・。
(そういうこともあるか・・・うん。元気出していこう。)

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おつきあい

2007-05-20 22:39:07 | 戯言
おつきあいで某政党の後援会に顔を出した。

話題として出て驚いたのがK議員。
3年ほど前に強制わいせつ罪で御用になっているにもかかわらず、未だに当選してしまう。
議会内でも隣席に座ることも嫌がられている始末。
そんな輩に票を入れてしまう市民。
でも、私も知らなかった。この人。(だいたい顔を出す選挙活動をしていない。)

それからお隣の首長選挙の話。
こちらの当選も奇跡的。
こちらはこちらで市民が継続の方針で運動を展開したようだとのこと。
特に、ネットを使ったことが短期決戦を逆手にとる効果につなげがったようだとのこと。

時代はネットか・・・。

某政党(バレバレやな・・・)後援会の今後として、市民団体と大同団結していかなければならないといいう方針が示されていた。

これは教育に関してつぶやいている私にも身につまされる話だと感じた。
広く理解されるようにならないと、何の力にもならない。
そういうこと。

別にその某政党に私が明日から具体的にどう関わるかなんて考えてはいない。

保育園の建て替え問題もOBになってしまったし、
(もちろん、現在も大問題で、ちゃんと出るところに出たら突っ込みたい気持ちはある。)
そういった意味では関係づくりはこれからというところだ。
気長に地域暮らしをしたい。

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音楽回顧録「James」その1

2007-05-20 22:05:01 | 音楽
前々作がボリュームを下げた歌ものの名作Laid('93)、前作がLaidの裏版にして実験的なWah Wah('94)。
それからオリジナルメンバーであるラリー・ゴッドの脱退という紆余曲折を経ながら再起作ともいえる雰囲気をたたえたWhiplash('97)。

新生James節たっぷり。

Jamesは4作目(数え方では5作目)のSevenまでが声量と技能とパースペクティブを広げてきた完成型であったけれど、本作はスケールでも実験性でもポップさでも全て乗り越えていると思う。
(もちろん私にとって、Sevenもちょくちょく聴いている名作なのだけれど。)
なんといってもメロディのうまさ。
しかもコード展開の簡素な事。

その昔、Say Something(Laid)を耳コピーしたとき、
「え?3コード?」
と驚かされた。
なんでドラマティックな展開をもっていて、メロディも起伏に富んで豊かなのに簡素なの?
そう思った。

U2やHot House Flowersと比較される嫌いがあるが、全然違う。
大らかで繊細でそれでいて若々しい反骨精神をもっている清涼感のあるロックミュージック。
日本では人気がないUKのスタジアムクラスのバンドというのも気に入っている。

デビューから20年余り。
2002年に解散してしまったなんて・・・。(もったいない)

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いかん、語ってしまった。
ともかく、この土日に、車の中でヘヴィ・ローテーションだった。
思わず白昼夢を見た。

教室の悪魔(ポプラ社 )山脇由貴子2006.12その2

2007-05-20 18:09:32 | 教育書
今、自分の状況から、この本の第一章にあるエピソードを思い出している。

主導権を握っているのは教育相談員である筆者だ。
これは自分の視点から眺めているのでいいのだが、ここでの課題は2点。

1点目は親への対応。

「いじめ」解決には事態解決へ向けての親のイメージが大事である。

親に自分の子どもが緊急事態であることを認識することは大切だが、同時に冷静なイメージが必要だ。
それを「親力」だなんていうつもりはない。(それ以前に「親力」ってなんだ?アホ臭い表現だこと。)

だれしも見えない状況に混乱するものだ。
けれども感情にまかせて見失ってはいけないのが相手意識だと思う。

すぐに「いじめ」を行う鬼探しやそれを「見過ごした」として責任探しをするのでは逃げているのと変わりはない。
そこで生き抜くのか、逃げるのか、そういったイメージを目的に人間関係を想像することが大事だと思う。

一番困るのは、当事者意識が半分で、誰かに事態の解決を押し付けてしまうことだろう。
(任せる部分は任せるべきだという判断も必要だと言う認識に立つことも含んでの話。)

2点目は学校

「いじめ」の解決の現場は学校である。

どのような対応をとればいいのかは学校側の現実への視点を変えなければならないのだが、それは構造的に生み出されたものであれば、鬼探しをしてもなんにもならない。

「学校は謝罪する」だけの対応では何にも変わらないとも指摘しているようだ。
「学校には責任をとってもらいます」というのは受け手と受け手の状況によって如何様にも解釈できる。

どこをむいても、逃げるのでなければ、「信頼」という鍵を誰もが持たないとうまくいかない。
そういうことを思い出した。

私の場合、児童相談員は間にない。
もちろん「いじめ」という現実が目の前にあるわけではない。
それ以前に、子ども達をまとめあげて、よりよい人間関係作りを味わわせていきたいと狙っているだけだ。

さて、一方的に不安を抱えた親とどうやって信頼関係を築こうか・・・。

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音楽回顧録「Kramer」その1

2007-05-20 08:17:52 | 音楽
写真はライブ版:STILL ALIVE IN '95 (Kramer Live in Tokyo, 1995):Kramer

Kramer。
90年代の米国インディで異彩を放っていたレーベル:Shimmy Discのオーナーにしてプロデューサー兼アーティスト(BALLやBongwater、ソロなども)。

90年代は大学時代に重なった事もあり、好きな音楽をよく物色した。
マニアックな趣味にハマるというのは独自性を好んだと言えば聞こえがいいが、結局は青春の蹉跌の一種なのかもしれない。

でも、そんな時期に吉祥寺や三軒茶屋にKramerが来ていたなんて、とっても誇らしい。

カンタベリー系人脈との付き合いも興味深いが、やはり彼もShimmy Discでやんちゃしていたところが好きだ。

Bongwaterの一連の作品は特に好きだけれど、それを解消して継続していく彼を愛おしくも応援したくなったのはこの作品だ。

Jealous Guy(John Lenon)が、In Dreams(Roy Orbison)がいい。
Bongwater時代の曲もいい。

Live盤をほめるのってキケンなのだけれど、これはイイ。

彼の怪しさや妖しさ、如何わしさ抜きの真摯でアングラだけれど良質なエンターテイメントを味わえる。
(それら入りは当然Bongwaterの各作品やBALLやShockabilyの各作品に当たるしかない。)
たまに引っ張りだして聴いてしまうし、頭をリフレインする。

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