怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

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2011-04-30 06:53:21 | ニュースから
ちょっと批判めいたメモを残したくて書く。

デンマークであれフィンランドであれ、教育のシステムのみを比較して社会のありようを批判しようとするのはおそらくたいして建設的な意見をもたないという意味で無意味だ。
せいぜい茶飲み話程度。

もちろん、日本の教育システムやそこにある社会状況や主義/思想が非の打ち所もないなんて話は、このブログではしてきていないのであって、そういった意味でのシンパや参考としては、この記事の話題、千葉氏の体験談や主張というのは価値がある。

でも、塾も予備校もないのは、社会要請として、単に日本型社会でなかったからだからであり、純粋に教育のありかたの問題としてとらえてはならないだろう。
また、単純に税の違いや価格感覚の違いを例に語るのは、なにか齟齬を生みそうな話だ。
どういう社会を改善し生み出していけるのか、は、日本の現時点を基盤に考えるしかないからだ。

ただ、ただである。
日本型の教育がどのような社会状況で、歴史的に形成され、何が問題として放り出されてきたのかを無視しないために、真の改善を図るために、(いわんや憲法や47教育基本法の精神をや)こういった話題も一つの契機になればとは思う。
それだけ。

(以下引用)

塾も予備校もない教育―在デンマーク在住44年の千葉忠夫氏

Record China 4月29日(金)16時47分配信
塾も予備校もない教育―在デンマーク在住44年の千葉忠夫氏
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「デンマークには予備校はないし、塾もない。教育を通して国民は競争のための競争ではなしに、しっかりした職業意識、強者が弱者を助ける共生社会について学ぶ」と語るのは、福祉国家・デンマーク在住44年の千葉忠夫・日欧文化交流学院学院長。
「デンマークには予備校はないし、塾もない。教育を通して国民は競争のための競争ではなしに、しっかりした職業意識、強者が弱者を助ける共生社会について学ぶ」と語るのは、福祉国家・デンマーク在住44年の千葉忠夫・日欧文化交流学院学院長。

「何で北欧の国が幸福で強いのか、この目で見てみたい」と1967年に単身渡欧した千葉氏。デンマークでの社会福祉の実践を通して生涯の師バンクミッケルセン氏(ノーマリゼーション実践提唱者)と出会い、「格差と貧困のないデンマーク」(PHP新書)を書いた。

一時帰国中の同氏は日本記者クラブで講演、「経済大国」のはずが貧困率の上昇、貧富の格差拡大、高い自殺率、少子高齢化に苦しむ日本の在りように疑問を呈した。千葉氏の分析によれば、日本の一番の問題点は教育。デンマークは資源がないのは日本と同じだが、教育が違うという。

日本の高校進学率は、99%だが、デンマークは30~40%。日本では高学歴を目指して当然のこととして高校に進学するが、デンマークでは国民学校での義務教育期間(10年)を終えた子供たちは、その多くが職業別専門学校に進学する。「高校の無償化など無意味。第2次大戦後デンマークは農地改革をやり、そして職業意識を持った女性が社会に進出。女性も税金を払い、福祉社会を支える。一歩一歩着実に福祉社会をつくってきた」と、長い社会・意識改革の歴史を振り返る。

日本の消費税率が5%なのに対し、デンマークは25%。しかし「日本の物価が安いとは感じない。牛乳などはデンマークの方が安い」と指摘した上で、「デンマークではさすがに国会議員には歳費が出るが、市・州議会議員などは無給。二世議員などはあり得ない」と指摘。「日本は経済大国。皆さん、答えは分かっているのにできないでいる。わたしは歯がゆくてしょうがない」と、東日本大震災に揺れる故国にもどかしそうだった。(原稿/日本語教師・中村隆二)

無くすより引き戻す方が難しいということ

2011-04-23 17:40:31 | 教育
「沖縄ノート」訴訟 集団自決の軍関与を認めた判決確定(朝日新聞) - goo ニュース

この記事の末尾において、以下の記述がある。

> この訴訟は、06年度の教科書検定で、集団自決について高校の日本史教科書から「軍の強制」を示す表現が削除されるきっかけともなり、議論を呼んだ。

この訴訟は、そういった意味で、目的のいくつかを達成しているのだろう。

戦争の悲惨さを直視するという、そういった公正さ、道徳的な思考や判断の自律性を奪おうという力から逃れるための幾ばくかの前進があった。
でも、このために失われたものも大きいと思う。

この訴訟の顛末をもって、高校教科書から失われた表現が復活するという点については、私は悲観的にみている。
戦争というタームを、単に読み流す生き方はしてはならないと、あらためて思う。

がっくりな発言

2011-04-11 22:40:30 | ニュースから
「パチンコ我慢、自販機なくても」石原氏が持論(読売新聞) - goo ニュース

持論というほどのものではなくて、嘘、またはデマの類いといってよく、悪い冗談といって捨て置けるものでもない。

東電の発電量は、1時間あたり約4000万キロ・ワット。
そういう数字が見えていると、1000万キロ・ワットというのは、一見とても魅力的かもしれない。

だって、単純には(1000万/4000万)×100=25%だもの。
ああ、ずいぶん節電になるのねって誤解を生じかねない。

この1000万キロ・ワットって数字は1時間あたりではなくて1日の総量でしょう。
1時間あたりでいえば42万キロ・ワット。
(24/4000)×100=0.6%

ということは、実質、自販機とパチンコを全て止めても1%に満たない節電ということになる。
パチをやらずに、暇な人が自宅で使う家庭内電源、パチ屋の経済波及効果などを考えれば、本当に効果的な節電といえるのか?と問いつめたくなるレベルだ。

また、この石原の放言を、「生活の見直しをしよう」という話にすり替えたとして、だ。
それにしてもパチンコをやり玉にあげるのはどうなんだろうと思ってしまう。

ま、これもいつもの石原センスなんだろうと、マジョリティには確認をとるまでもないのだろうけれど、マイナーな私としては、がっくりな発言といわざるを得ない。

(以下、引用)
「パチンコ我慢、自販機なくても」石原氏が持論
読売新聞2011年4月10日(日)21:17

「パチンコ我慢、自販機なくても」石原氏が持論
(読売新聞)

 東京都知事選で4選を確実にした石原慎太郎氏は10日夜、都内の事務所で報道各社のインタビューに応じ、東京電力福島第一原子力発電所の事故による電力不足について、「パチンコと自動販売機で合わせて1000万キロ・ワット近い電力が消費されている国は日本以外にない。こういう生活様式は改めたほうがいい。(節電のために)国は政令を出せばいい。パチンコする人は我慢なさい、自販機がなくても生きていける」などと持論を展開した。

残念:石原当確

2011-04-10 11:59:53 | 戯言
石原の当選確実が出て残念。

ま、政治的にはマイノリティを自認しているので心理的ダメージは少ないのですが、これほどメジャーが迷いがないという事実は想定の外でした。

元々石原の出馬はぎりぎりになって突然だったので、ワタミやらヒガシやらは喰われる可能性があったのですが、個人的には、大阪レベルのポピュリズムで二匹目のドジョウを狙ったとしか思えなかったので、どれほど荒廃した福祉や教育に関わって都民が動くのかと思ってみていました。

まだ、最終票数が出ていないので、どれほどがんばれたのかなという目で評価したいと思っています。

今回の災害のこと

2011-04-10 02:39:36 | ニュースから
児童の7割が死亡・不明の大川小で保護者説明会(読売新聞) - goo ニュース

当事者の方々の悲しみと苦しみと様々な決意とを想像するに、言葉がない。
私事と比較してしまうだに、自分の小ささを感じるのみだ。
私も人の親であり、教員であるから、もし自分がこの立場であればと思うと涙さえ出てくるが、それさえ書く事もはばかられて仕方がない。
でも、今まで、こうしたことへの言及をそうして避けてきただけに、一つだけでもという思いで書いてみている。

あの日、子どもと夜の学校で過ごす時間があり、子どものおびえた表情、不安げな表情、こわばった面持ちで向かえにこられた保護者の方々、その後のことも含めて、都内でさえ、私の身にさえ様々なことがふりかかった。

でも、このような悲しみに押し流され、心身を冷やされたことを聞くにつけて、もう言葉がでない。

他方、
この悲劇的な災害を、まるで時代の契機のようにいう言論があるが、どうかしているとしか思えない。
天罰石原などは何をかいわんやであるが、それ以外の人たちにも、ときに、神経が通っているのかと思うばかりだ。
他者を非難していても始まらないが。

我田引水のための尻馬論議には辟易するけれど、他方、様々な支援を具体的に送ったり、実際にボランティアをしたりという活動が支えているものに、何らかの形で参加し、関わりたいのは、そこに希望を寄せたいからだ。

現地では火事場泥棒も出ているという。

そういった困難なども含めて、助け合ったり、生き抜いたりする力を出すにはどうしたらいいのだろうか。

そのまた一方で、
東電の情報の問題というのは、様々な既成の課題を含んでいると思うのだけれども、緊急時でもこういった課題を克服できないということは、今後の糧にしていかないとならないのではないかなとは思っている。

まったく感情的でまとまらないが、一言だけでもということで、以上。

(以下、引用)

児童の7割が死亡・不明の大川小で保護者説明会
読売新聞2011年4月10日(日)01:44

 東日本大震災で全校児童108人の約7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の保護者説明会が9日、同校近くの市立飯野川第一小で行われた。

 児童の保護者らが「被災状況を詳しく知りたい」と要望していた。

 説明会は午後6時半から開始。同市教育委員会によると、死亡・行方不明になった児童の保護者や教職員の家族計97人が出席し、学校側は、柏葉照幸校長と、津波に襲われた際、同校にいた教職員11人のうち唯一無事だった男性教諭が説明にあたった。

 当初は、柏葉校長が教諭から聞き取った内容を説明する予定だったが、教諭が「自ら保護者の方に説明したい」と申し出たという。

 会の冒頭には出席者全員による黙とうが行われ、市教委の今野慶正事務局長が「安全であるはずの学校で、多くの尊い命が失われ大変残念。遺族の方への説明、対応が不十分であったことを深くおわびする」と述べた。

学校は生活の場、安心の場でありたい(その2)

2011-04-09 14:43:50 | ニュースから
その1はいつ書いたかわからないけれど、それに関連してということで、以下に記事を紹介したいと思った。

よくまとまった記事なのに、gooニュースではコメント記事をつけられない上、リンクのベネッセサイトでは記事がどこにあるのかさえわからない仕様だった。
しかたなく引用してみた。

学校って、つくづくすごいなと思う。

(以下引用)
震災では避難所に、「学校」の重要性

* 4月7日 (木) 15時00分

このたびの東日本大震災で被災された方々に、重ねてお見舞い申し上げます。避難者は31万人を超え、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)での兵庫県に匹敵する数になりました。改めてクローズアップされたのが、緊急時には避難所ともなる「学校」の重要性ではなかったでしょうか。
文部科学省のまとめによると、避難所となった学校施設は一時、600校を超えました。阪神・淡路大震災の約390校を、優に上回ります。とりわけ震源地に最も近い宮城県では、県内小・中学校の実に約4割が避難所となっています。今回の大震災は、被災地域が広いことも大きな特色ですが、逆に、一定数の子どもがいるところ、津々浦々に学校があることも、また強みだったと言えるでしょう。

学校施設を災害時の避難所として指定することは、法令によって定めがあります。実際、総務省消防庁の調べによると、災害時に防災拠点となる公共施設のうち、約6割を学校施設が占めています。その学校の先生たちが被災者のお世話をしている様子を、報道などでご覧になったかたも多いと思います。やはり学校という存在は、子どもたちへの教育という本来の意義をも超えた、不可欠なインフラ(社会基盤)だと言ってよいでしょう。
ただ、ここで注意しなければならないのは、避難所としての使用は、あくまで「目的外使用」であるということです。その使用も、7日以内というのが法令上の原則です。責任者はあくまで自治体の担当者ですし、長期間にわたるときの運営は、避難住民で自治組織などを立ち上げて行うことになっています。

学校の教職員にも、災害時には極力、学校に駆けつける義務があるのですが、本来は児童・生徒の安否確認など、教育活動のためです。ただし、阪神・淡路大震災を教訓に、ほとんどの自治体では、避難所の立ち上げや運営に関しても、教職員が「支援」や「協力」を行うことを定めています。そのため、避難所に指定されている各学校では、防災計画に避難所支援を盛り込んでいたり、避難所開設・運営マニュアルを定めたりするなどの対応を、あらかじめ行っています。被災者のお世話をしながら、一方で、児童・生徒のケアをはじめ、終業式や入学式、新年度の授業などの準備など、本務である教育活動にも、寝る間も惜しんで取り組んでいる先生方には、心から敬意を表したいと思います。くれぐれも、お体に気を付けてと願わずにはいられません。

自然災害の多い日本では、いつ、どこでも、被災する可能性は捨て切れません。震災当日は東京でも交通機関が全面ストップし、学校施設などが帰宅困難者の休憩所になりました。ちょうど新年度のスタートに当たって、先生方と保護者、あるいは地域ぐるみで、そうした学校の重要性と、災害が起こった場合の具体的な対応について話し合っておくのも、大切なことではないでしょうか。

* [Benesse教育情報サイト:教育ニュース 4月7日 (木) 15時00分 ]

教科書がひどくないか?

2011-04-04 02:03:46 | 教育
まだ全部を見切ってはいない。

が、例えば国語。(一番シェアがあるときく光村図書のモノ)
物語文の配列をとりあげると、
昨年度までの4年生は「三つのお願い」「白いぼうし」「一つの花」「ごんぎつね」だ。

乱暴に言えば「物語文の文学としての味わいを指導から極力切り捨てる」方向で動いている国語教育なのだけれども、これまでの経緯から言えば、削りに削られて残った作品群の一部だ。

これが最初に「白いぼうし」で最後が「三つのお願い」になっている。

これは4年生に限ったことではない。
すごいことだと思う。

もちろん、ごんぎつねを2月にやるという事自体、本来はおかしかったのだけれども、そういった季節感云々をとっぱらっても、今までの指導の流れを大きく換えざるを得ない点で、教科書教材というものを信頼するのは、実は教育の死につながるのではないかとさえ、ちょっと身構えて思ってしまった。

もうちょっと自分の専門性を鍛えたい。
そう思っている新学期直前。

あつい部分

2011-04-04 01:42:51 | 教育
孫正義社長、100億円寄付 引退までの役員報酬も(朝日新聞) - goo ニュース

スポーツ選手、芸能人、経済人などなど、現時点でそれなりの所得を得ている人の寄付報道の一つ。

コンビニなどの募金をした人などと気持ちは同等なのかもしれない。
そう信じられるような、なんとなく仮想シンクロニシティ。

経団連会長が「法人税減税よりも復興を」という言葉もある。

国という頸城がどういうものかという形而上的な命題に答えずとも、同じ世界にいるのだろうという自分の感触で、ボランティアリズムとして応える部分があってもいいじゃないか。
熱さであり厚さであれば、それはそれでいいのじゃないか。
政治的とか経済的だとかを度外視する流れに全体としてなっていれば、額面やネームなんかはそのうち平たくなってしまうと思う。

他方、孫氏というのが、こういった意味でもスタンダードを見せる人なのだなという点は、スカッとする。

毎日じくじくたる思いが残っているだろう現地に思いを馳せるしかないのだけれども、できるだけ、自分ができるだけ、だと思う。
つながれないかもしれないから。