怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

やさしいソーシャルスキル教育(ほんの森出版)小林正幸2005.12.12その1

2007-05-28 03:48:27 | 教育書
本当の書名は「先生のための やさしいソーシャルスキル教育」と冠がつきます。

昨年度、生活指導上の校内研修で前任校に来校して講習会で講師をやってくれた小林先生の本。
講習会でも自著ながら是非にと紹介していた。
売り歩いているようには見えなかったので購入。

自分のクラスにいる子どもを講習会後に相談にのってもらった。
「私は子どもの状況に対して個別に細かくアドバイスできる専門家ではないけれど、そういった専門家への橋渡しはできる立場です。」
と、おっしゃっていて、当該の子どもに対応する先生の名前を伺えたのは、後にその子のためには活きたと思う。
講習会も短い時間を要点をしぼっていい情報を与えてくれた。
特別支援教育などに関わって、小林先生の話を(しかも講演会でなく、あんな距離感で)聞けたのは非常にラッキーだったと言わざるをえない。
メールでの相談もしていただけるとの約束も得た。

前フリが長くなった。

私は、正直、「ソーシャルスキル」というのは疑ってかかっていた。

○○スキルというのに、誤解の生じないものは出会ったことがなかったからだ。
単に(文字通り)技術的な信仰が先行していて、内実が軽薄になっているものが多いものも多いように思っている。

ましてや、本来「ソーシャルスキル」は精神科などの心理治療の分野で、子どもに適応するにはそれなりの注意点があるものだと思っていたからだ。

本書をここでメモリしようと思ったのは、前半でそういった注意点を無視しない経緯を説明しようとしていると感じたからだ。

前にやったことがあるけれど、ここから先は章立てに対してコメントを記述する形式にしようと思う。

まず「はじめに」の部分。

ソーシャルスキルが以前は「自然に身に付けられてきたもの」という指摘から始まる。
それは人間関係の基本技能であり、社会生活を営む人の生き方にとって必然性があることを印象づけしていると思った。

また、そこには、心理学を齧ったことがあるものならば必ず耳にしたことがある「モデリング」や「オペラント条件付け」などの理論から始まって説明されている。

小林氏の捉えとして、「近年の子ども達のソーシャルスキルが稚拙化した」というものがある。
その背景の説明は傾聴に値するべき部分があるし、この捉えは、社会科学的な理論の構築が待たれるが、本書の主張を下支えする理念がある。

「情報交換遊び」の指摘は、今時の子どもを見る視点の一つになるだろう。

ただ、1960年代に兄弟姉妹の数が減ったのは数値として分かるのだろうが、70年代の終わりには異年齢集団で遊ぶことは無くなったというを玩具との関連と考えるのはどうだろうか・・・。
私の実感としては、一面で正しいようで、それはそういう面で捉えただけに過ぎない気もする。

一方で、確かに「情報交換遊び」という見方は、後付け的な理解としては正当性をもっているようにも思える。

何にしても、そこからどれだけのものが引き出されるかが次ステップへのポイントになるだろう。

さて、本格的にはまた次回。

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