怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

学びの根幹

2012-07-21 23:15:15 | 教育
「どのように指導したら……」中学校ダンス必修化で8割の教師が「困惑」(マイナビニュース) - goo ニュース

学びの根幹=「何を学ばせるか」「それを学ぶのに適切か」「なぜそれを学ばせるのか」

それを考えると、この論点のよりどころがあやふやな点をもつことに気づく。

この話は「指導論」的な話としてとらえるべきでないところが大きくある。

「ダンス」の学習を否定するつもりはないし。教材としての将来性はないとも思わないけれども、現場を困惑させて余りある恣意性もある。

「教育」の問題は、いつもその教育の不自由から始まる。

(以下、引用)

「どのように指導したら……」中学校ダンス必修化で8割の教師が「困惑」
マイナビニュース2012年7月20日(金)20:30

「どのように指導したら……」中学校ダンス必修化で8割の教師が「困惑」
(マイナビニュース)
メニコンは7月13日から15日にかけて、中学校で必修となったダンス授業に関するアンケートをインターネットで実施した。対象となったのは、20~50代の教師200名。

まず、「ダンスの指導について、困ったことはありますか?」と質問したところ、「困ったことがある(59.5%)」「いつも困っている(21%)」と約8割が困っていると回答。その理由として、「自分自身がダンスをした経験がない」、「自分自身の経験不足」「どのように指導してよいか分からない」など自身のダンス経験の不足さや指導方法の不明点などが多いことが分かった。

さらに「ダンスの学習、特にヒップホップの学習について、児童・生徒はうまく学習することができていると感じますか?」と尋ねたところ、「うまく学習できていない児童・生徒はいる(72.5%)」、「多くの児童・生徒がうまく学習できていない(19%)」と9割以上の教師が回答。その理由として「指導力不足や、思春期ならではの恥ずかしさ」「教師自身があまり得意としていない」「リズム感に乏しい子供もいる」などが上げられた。

また、ダンス学習において望ましい教材は「動画で学ぶことができるもの(72.0%)」「楽しみながら学ぶことができるもの(53.0%)」に支持が集まった。教師は見るだけで簡単に楽しくダンスを学ぶことができる教材を求めているようだ。

官邸前だけじゃない

2012-07-14 16:33:12 | 教育
名古屋でも再稼働に抗議 関電支社前に若者や主婦ら(朝日新聞) - goo ニュース

大阪では数百人とか、こちらは400人とか、数は問題ではないが、確実に増えている感触があるのは心強い限りだ。
こういった動きが拡散しつつ膨らんでいっているのがスゴいことだと思う。
某産經新聞が、首相官邸前のデモに中核派や革マルなどが入っていたことを報じていたけれど、その数(200人だとか)と比べても、そういった報道でデモの危険性を印象づけるような犬報道を行うのってどうよと思う。

この空前の規模や毎週の継続活動などに、安保闘争時代を想起する人もいるようだが、時代が、空気が違う。
それこそ、今更破壊行為に及ぶようなデモ活動は想像できない。
それは、すでに両手に余るほどの大規模な反対デモ、集会などが、そういった空気をもっていない(というよりも否定的)ことで証明済みだと思う。

安心して7.16の集会へ集まろう。
私は新宿方面から入ろうと思う。

友人が池袋、渋谷の各方面から合流するようだ。
昨年のことを考えると、身近な交通から、会場に接近するのがいいだろう。

なあに、会場に届かなくてもいい。
それほどの規模になるだろうし、その空気を感じることこそ大切だと思う。
何かデモに似合ったものを持って行こう。

この日に

2012-07-08 07:15:32 | 教育
今までも私はそうしてきた。
自分の意思の表現は、ゆれながらも表出してきた。
間違ったこともある。
でも、言えなかった、伝えることを許されなかったことはある。

「デモ行進」というのは久しぶりになる。

ある行進の時に、ふと右翼の街宣車が横からがなっていたので立ち止まってみて見た。
(彼らはいくらもらってやっているんだろう。かわいそうに。)
それでも、立ち止まった私に対して諭すように、でも汚い言葉で、マイク越しでも大きな声で、話し(がなり)かけて来る人がいた。

私は、そのあんまりな姿に落胆の笑みを浮かべて立ち去ろうとすると、おそらく敏感な彼はそのことを感じ取り、うっかり車のステップを降りてしまった。

突撃する警察。
「あいつに訊きたいだけなんだ!」と叫ぶ、もみくちゃの彼。
かわいそうに。

ことの顛末を側で見ていたパートナーの手を握ったら、激しく震えていた。
ごめん。そう思った。
彼には悪いことをした。

そのとき以来の行進になるだろう。
例えばデモに参加しよう。
時流に対して、自分の意思を示そう。
やり方はいくらもあるハズだ。
署名をしよう。
ツイットしよう。
日記に書き込もう。
親しい人と手をつなごう。
報道や国やそれらに否定的な人々に対して、思いっきり懐疑の視線を送ってやろう。
直接行動に対してシニカルになることはだれでもできるが、その現場に立ち会うことは誰にでもできることではない。


「自分の感受性くらい」茨木のり子

 
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

デモはつづく

2012-07-06 22:25:49 | 教育
首相官邸前で反原発デモ、大飯再稼働に抗議(読売新聞) - goo ニュース

警察側が1万人と言っているデモがいかに大きいものか。
(しかも毎週で、さらに雨天だぞ!)

過去に数千人規模の集会やデモを行っても、大きなマスメディアほど報じずが今までの常だった。
また、その裏で、どうでもいい百人規模のデモを報道していたのが国営放送のNHKだった。
(まるでどこかの独裁政権の国営放送と変わりがないじゃないか!!と当時思ったものだ。)

公称が1万人程度であって、前回はその5~10倍の人がいたわけで、東京新聞が報道しなかったことを詫びるということも影響してだろうか、無視を決め込んでいた御用報道新聞社さえ、報道しなければならなくなった。
このことは歴史的に見て大きいわけで、シラケきっている世代の人たちは、時代の波に乗り遅れないでほしいと切に願うばかりだ。

7月16日(月、海の日)の「さよなら原発10万人集会」は空前の人が行動を起こすことが予想される。
盛り上がりのピークをここに結集したいものだ。

そしてその後も!
もう原発稼働を許してはならない。
そういう時代なんだ。

当事者は誰なのか

2012-07-06 21:12:40 | 教育
担任「やりすぎんなよ」 大津自殺、暴力見た生徒が証言(朝日新聞) - goo ニュース

この事件に対して、
「直らない隠蔽体質」
という手の批難の文を、そのいくつかをネット上に見かけて読んだ。

私自身もこの経緯は新聞報道でしか知らないし、まったくの非当事者だ。
現場はまさに上位組織の管理下にあるだろうし、そうそう情報をリークするような体制にはないだろう。
それ以上に、必要以上に過敏な対応で、モノを言わぬ、あるいは威圧的あ態度で教委や管理職などが対応することも想像に難くない。
そこを「隠蔽体質だ」とつつくことがコトの何かの解決につながるならば、それはどしどしやってしかるべきだし、そういう体質に対して、私もそれなりの首肯の意思を示したい気持ちはある。

でも、この記事だけを読むと、少々違和感がある。

この「暴力を見た生徒」はいったい誰なのか?
どういった立場でものをいっているのか?
誰を批判しようとしているのか?
それがとても気になる。

単なる現場の一教師を批難して止まない、自分自身もいじめ社会からの脱出を願っていて、なんらかのアクションを起こしている当事者であれば、この手の証言は信憑性を増すだろう。

でも、この生徒もいじめを放置しているとしたら、それは同じ場を醸成していた当事者に他ならないだろう。

この件について、そうだという決めつけを行いたいのではない。
そうではなくて、この報道の文章を字面で捉えると、どうもうさんくさくないか?ということだ。

「隠蔽体質」をもとに、現場の責任のみを問うていくと、実際上の「いじめ」の構造を見落として、亡くなったお子さんやそのお子さんの保護者や関係の近い方々に対して、実は不遜なことになりはしないかと危惧するばかりである。

私自身、ひどい中学時代を過ごした経験者として、確かに学校生活の中における先生の存在は大きかったし、当時はそういう理解に想像も及ばなかったこともあったけれども、結局のところ、先生の問題だけに閉じ込めるのもへんだということは次第に見えてくる様になってきた。

実は当事者性は、この悲惨な出来事やその経過に対して読み取ろうとする人々それぞれに立ち上がって来る可能性があるし、ましてや現場の近くにいたものなどは、外からの価値観で読み取ろうなどというのは、それこそ当事者性を欠くこと甚だしい可能性もあるだろう。

何にせよ、いじめの被害者であるこのあまりにもかわいそうな子どもに対して、どう私たちが応えていくのだろうか?
それは「繰り返すな!」といっていたにも関わらず、再び起こっている事件に対してだ。
批難もいいが、自分自身の課題の発見にも必要なことはある気がする。

(以下、引用)

担任「やりすぎんなよ」 大津自殺、暴力見た生徒が証言
朝日新聞2012年7月6日(金)17:36

 大津市立中学2年の男子生徒(当時13)が昨年10月に自殺した問題で、同じ学年だった複数の生徒が、教師がいじめたとされる生徒の暴力行為を見ても、「あんまりやんなよ」と言いながら、ほとんど止めようとしなかった、という趣旨の証言を生徒の家族にしていたことがわかった。

 生徒らは昨年12月、家族に直接証言した。それによると、担任教師の名前を挙げ、いじめたとされる生徒2人が亡くなった生徒に暴力をふるっているのに、「隣にいたが止めなかった。笑ってた。『やりすぎんなよ』って」と話した。ほかの生徒も同様の証言をし、「周りにほかの教師もいた」と話す生徒もいた。

 生徒の両親が市と3人の同級生らを相手取った訴訟では、こうした教師らの一連の行為について、原告・被告双方が異なる主張をしている。原告側は訴状で担任教師が「プロレス技を仕掛けられ、半泣きになっている生徒を見かけ、『あまりやりすぎるなよ』と声をかけた」と指摘し、「いじめを何度も目撃しながら、漫然と見逃してきた」と主張。市は答弁書で、教師が「あまりやりすぎるなよ」と声をかけた部分を認め、行為をやめさせる趣旨だと主張している。