おお様から私が作成する「錦旗」について、コメントをいただきました。
それに関連して述べさせていただきます。
おっしゃるように、何事も原典をさかのぼって考察することが大切だと思います。
錦旗の駒は、その昔、豊島龍山が大橋家に伝来した、後水尾天皇直筆(と言われていた)駒を元に、複製製品化し「錦旗」という銘を付けて売り出し、当時、これが大ヒットした結果、ほかの駒師たちもこれにあやかって相次いで商品化して、今日に至りました。
一方、ルーツである大橋家の伝来駒は、昭和15年だったか16年だったかに、木村名人が8組ほどの一式を買い受けたその中にあり、木村名人の所蔵となりました。
やがて約半世紀後、木村家では創設された将棋博物館へ寄託するにあたり、「駒の由来を確かめておきたい。後水尾天皇の真筆駒かどうかを見てほしい」と、木村家(名人と義徳八段)から小生に要請があり、茅ケ崎の名人宅にお伺いして、拝見させていただくことになりました。名人ご存命の昭和60年代の頃で、この時、名人ご夫妻と、長女・朝子さんにもお会いしました。
なお、この調査に先立っては、後水尾天皇の筆跡や人となりを調査して駒拝見に臨みました。しかし、史料によれば後水尾天皇は、子供たちに「芸能(遊びごと)は、遠ざけよ」とも言っているそうで、その人が将棋の駒の文字を書くとは考えにくいとも思いました。
果たして、拝見した駒は後水尾天皇の筆跡とは思えないもので、それどころか駒は、まさに水無瀬兼成卿筆跡の水無瀬駒そのものであり、そのことは将棋世界誌「博物館だより」で発表させていただきました。
その駒の映像です。
結果このことは、世間でまことしやかに喧伝されていることでも、盲目的になってはいけないという事例の一つであり、以来、新たに自分なりの「錦旗の駒」の文字は、この木村名人家の錦旗の駒をベースに作成しました。
ということで、小生作の「錦旗」は、世間で作られている錦旗とは、幾分違うところがあると思います。
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