『真田太平記』12巻『紀州九度山』まで読んでしまった。12巻では、関ヶ原以後、紀州の九度山に閉じ込められた昌幸、幸村親子と、その間の徳川、豊臣のやり取り替えががれていく。加藤清正は熊本に城を築く。幸村は草の物に命じ、熊本城がどのような意図でつくられたか探る。そこにはいざとなったら関東と一戦を交えてもという構えがあると知り、昌幸らは戦いが再び起こることに期待するが、清正らの考えは豊臣が徳川と羽を結んで存続できるようにすることであることを知り落胆する。信幸改め信之は父と弟を赦免してもらうべく努力をするが、秀忠の上田城での怒りがそれを妨げる。そして、ついに昌幸は病を得て配所で没してしまう。九度山の配所にいる幸村はこの後どう動くのか?もちろん、有名な話なのでおよそはわかっているのだが、やはり池波の筆でどう書かれていたのか、残りの7巻の展開が楽しみだ。
『真田太平記』が面白いので読み進んでいる。11巻も読み終えた。11巻の中心は関ヶ原の合戦だる。真田昌幸、幸村親子は上田城で秀忠率いる徳川の第2軍をひきつけ、ついに関ヶ原の合戦に間に合わない事態を作り出した。その結果、西軍が勝利するだろうというのが真田親子の観測だったが、西軍は石田三成の指揮のまずさと、小早川秀秋勢などの裏切りによって、東軍が勝利する結果に終わる。『真田太平記』では、そのたたかいのさ中に、真田の草の物が徳川家康の首を狙って三度にわたって襲撃を企てる場面を描く。事実はどうだったのかは知らないが、小説としてはまことに面白いと言わなければならない。