乙女の靴音

    
    〜 一歩・二歩・山歩 〜

  
          

不動岩 388.5m

2018-12-31 | 熊本の山
12/31(月)雄々しくそそり立つ奇岩



熊本県山鹿市三玉(みたま)地区の蒲生(かもう)にあるパワースポットへ

畑の中の大きな鳥居を潜り
みかん山をジグザグに上って行く



平安時代に山伏たちがこの山で修行を行い
悟りを開いて、不動明王を本尊として祀ったことが
名前の由来とされる

前不動の直下には
不動明王を祀った拝殿



展望台から山鹿の町を一望



前不動の右横に、中不動・後不動へと続くルート



中不動



「後不動まで30分」分岐



先づは左の第1展望台へ



中不動てっぺんから



眼前に「前不動」



ナイスビュー



先端へ



背後にある「後不動」へ



行ってみよう



途中にある「へげ岩」へ上がって見るも
よくわからない?



後不動すぐそこ分岐



蒲生山の三角点?



その先を一旦下って



手前の岩峰へ
足が竦むほどの



奥の「後不動岩」へ



ジャーン!
岩のピーク



背後に手前の岩峰



「ヤッホー!」
断崖絶壁にヒヤヒヤ




       大迫力のさざれ石に秘められた5億年のパワー

       スリリングな絶景がたまらない


       「挑戦コース」もあるようですよ


           帰路に菊鹿「恵温泉」へ
 
           トロトロの美肌のお湯でまったり

           2018年も大晦日

           今年も大変お世話になりました

           皆さま どうぞ良いお年をお迎えください。。。






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「西郷どん」観光

2018-12-31 | 観光
12/29(土)「おはんらにやった命」

城山の中腹にある「西郷洞窟」
西郷隆盛が最後の五日間を過ごした洞窟と伝えられる



明治10年(1877年)2月15日に始まった西南戦争
西郷軍は南九州を7カ月にわたって転戦した末に
故郷・鹿児島に戻ってきた
西郷隆盛は包囲する政府軍の降伏勧告を受け入れず
城山のこの洞窟を司令部として最後まで戦った



9月24日、午前4時政府軍城山総攻撃が始まりました
城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300 余
これを囲む政府軍は何重もの柵をめぐらし、その数4万
死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を出ました
桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部たちも一緒です
この日の西郷の出立ちは妻のイトが縫ったしまの単衣に白い兵児帯
ゆっくりと岩崎谷を下ります
その時流れ弾が西郷の腰に命中

「もうここらでよか」
別府の介錯をあおいで49歳の生涯を閉じたのです、、、 と、案内板

「命もいらず名もいらず、爵位もいらず金もいらぬ・・・」




西郷さんのお墓がある南洲墓地へ

「南洲」とは西郷隆盛の別名(号)



西南戦争で命を落とした2023名の志士たちが



眠っている広大な墓地



墓地のすぐ横に西郷隆盛をご祭神とする南洲神社



桜島を望む絶景スポット南洲墓地




           明治の日本に思いを馳せる

           西郷どん観光

           

          今回は「ここらでよかろうかい」......

           

           




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