由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

学校のリアルに応じて その5(最終回)

2011年01月29日 | 教育
メインテキスト: 菅野仁『教育幻想 クールティーチャー宣言』(ちくまプリマー新書 平成22年)

 本書第六章「「友だち先生」の実態」(P.122以下)に挙げられている各種の実例のうち、著者が一番怒っていて、たぶん読んだ人も同感するのは、「葬式ごっこ」以上に、最初の、わいせつ被害を受けた女子中学生の件だろう。元が新聞記事(『讀賣新聞』平成20年3月31日)で、詳しいことがわからず、どうにも腑に落ちないところもあるのだが、今は当面の論述に必要なところだけを引用しておく。

 調布市の市立中学で男子生徒らから強制わいせつの被害を受けた3年生の女子生徒が 3か月間、別の部屋で1人学習を余儀なくされ、通知表で一部教科が最低の1に落ちていたことがわかった。男子生徒らは家裁送致されるまで、普通に授業を受けていた。女子生徒の父親は「志望校を変えることになった。被害者の不利益が 大きすぎる」と訴えている。
(中略)
 学校側は父親から相談を受けた際、「まず警察で調べるので、学校としては男子生徒を 処分できない」として、女子生徒に別室に移って勉強するよう勧めた。その後、男子生徒が 家裁送致されるまで、女子生徒が普通の授業を受けられない状態が続いていた。
(中略)
 男子生徒らは保護処分の措置を受けるなどした後、学校に戻り、卒業したという。
(中略)
 学校教育法によると、出席停止措置は、教室で騒ぐなど多数の生徒が正常に学習できない状態にとられる。市教委は「1人が迷惑を受けている状態では、なかなか男子生徒の出席停止には踏み切れなかった」と話している。
 教育評論家の尾木直樹・法政大教授は「司法的な責任と教育の責任は全くの別物。 被害者を守るために、すぐにでも加害生徒を別室に移すなど毅然(きぜん)とした対応が必要だった」と指摘している。


 腑に落ちないのは、こういう事情なのに、学校がこの女子生徒に1をつけたことだ(それも、その教科は音楽)。これはこの学校の体制によるものらしい。で、それは置くとして。
 誰もが訝しく思い、憤激にもかられるのは次の点だろう。女子生徒としては、自分に猥褻なことをした男子生徒と同じ教室にいるなんて耐えられない。そこで、学校は彼女に、別室で勉強するように勧めた。結果として、被害者が教室から追われた形になる。
 そんな馬鹿な。追われるべきなのは、加害者の男子生徒たちではないのか。こんな当たり前の常識が通用しない学校なら、生徒たちに社会のルールを身につけさせるなんて不可能ではないか。と、私も思う。しかし、本当の改善のためには、こういうことになった学校のほうの事情も、もう少し詳しく考えておく必要がある。「毅然とした対応」なんて一言ですむ話ではないのだから。
 義務教育で、生徒を教室に出さないのは、出席停止措置と呼ばれる。記事でコメントしている主語が市教委であることからわかるように、それを決めるのは学校長ではなく、教育委員会。そのことを含めて、もちろん、法に明記されている措置である。
 尾木直樹のコメントを、私は、馬鹿げている、と考える。理由は、こういう場合でも、司法と教育とは截然と分けられる、分けなくてはいけない、としているからだ。これに対して菅野は、学校を、ルール(そのうち明文化されたものが法)の支配する一般社会に近づけるべき、と主張している。
 どちらが妥当な意見か、最終的な判断は個々人にしてもらうしかないが、当面の問題はこうである。七歳~十五歳の子どもは、教育を受ける権利があると日本国憲法にある。それは即ち、特別の場合を除いて、学校へ通って授業を受ける権利だと考えてよい。出席停止とは、この権利を一時停止する措置だ。法の裏付けもなく、教師だけの判断で、「毅然として」やればいいことだなんて、本当に思えるのか?

 それで、法律はある。学校教育法第三十五条。以下にその第一項の全文を示す(これは小学校についての既定だが、中学校についてはこれを「準用する」と同法第四十九条にある)。

 市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。
1 他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為
2 職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為
3 施設又は設備を損壊する行為
4 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為


 件の男子生徒たちがやったことは、明らかに1に触れる。「他の児童」が一人か複数かなんて、問題にされていない。それでも出席停止にはできないのか?
 調布市教委は、この条文を知らなかったのだろうか。そうかも知れない。この条項の存在は、一般にはほとんど知られていないのだから。現に記事を書いた新聞記者も、「学校教育法によると、出席停止措置は、教室で騒ぐなど多数の生徒が正常に学習できない状態にとられる」なんて思っているくらいだ。
 そうではないとすれば、理由は、この法律の実際の運用面にあると思われる。昭和五十八年十二月五日、校内暴力が頻発する事態に鑑み、文部省は「公立の小学校及び中学校における出席停止等の措置について」という通知を各都道府県教育長宛に出している。
 ここで文部省が、「出席停止の制度の適切な運用を図るため、特に、次のような点が重要であると考えます」として挙げている第一点は以下。
「出席停止の制度は、本人に対する懲戒という観点からではなく、学校の秩序を維持し、他の児童生徒の義務教育を受ける権利を保障するという観点から設けられていること」
 改めて読むと、少々難しいが、それでも、出席停止というのは、授業中騒いで先生の注意を全然聞かなかったり、それどころか先生を殴ってしまったり、といった、授業妨害に対応するためのもの、と読み取っても不思議はない、とは思えるものではないだろうか。実際にこの通知は、まさにそのような状況に対応するものとして出されたのだし。
 「他の児童生徒の義務教育を受ける権利を保障する」ために、授業妨害をしたわけでもない生徒をこの処分にした実例があるかどうかはわからない。何しろ、法文の存在自体がそんなに知られていないぐらいだから、実際にどのように行われているかについては、ますますわからない。
 私も、中学校教師から聞いた例をいくつか知っているぐらいだが、この措置は例外なく、あまり目立たないように、こっそりと行われている。場合によっては、教育委員会には知らせず、学校だけの判断で、どうにも手がつけられない生徒を、教室には入れず、別室に行かせる例もある。とは言え、もともと、部屋で大人しくしている連中ではないのだから、実際は放置に近いのだろう。
 理由は、教師にはすぐにわかる。こんなことをしていると知れ渡ったら、その学校の教師は、指導力のない、ダメな連中だという烙印を押されかねない、と恐れるからだ。教育委員会だって喜ばない。これをやると公式に認めたら、「子どもの学ぶ権利を軽々しく奪っていいのか」とかなんとか、マスコミに叩かれるかも知れない。ある教師や生徒が困っていても、学校の中だけのことなら、黙って見過ごしているほうが、つまり無難なのだ。

 また、別の問題もある。調布市の事件は、九月に発覚し、加害者たちに処分が下ったのは十二月である。強制猥褻のケースで、この期間は、長いか短いかは知らないが、非常にデリケートな性質のものだけに、調査にはそれ相当の時間がかかるのは事実であろう。それで、十二月までは、何がどう起きたか、全容は明らかにならなかった、ということだ。
 それまでに、学校が加害者たちを処分するというのは、非常に難しい。「まず警察で調べるので、学校としては男子生徒を 処分できない」というのも、単なる逃げ口上ではない。もしも、やったことが曖昧なまま処分に踏み切ったりしたら、加害者の親からどう突っ込まれるかわからない。万が一冤罪だった場合には、どのように責任を取るのか?
 要するに教師の保身だ、と言われるなら、半分はその通りだと認めるけれど、一方、生徒を正しく指導するためにも、やったことはできるだけ正確に知っておく必要があることも本当だろう。そして、学校に、警察や家裁並の捜査能力があるはずはないし、権限の問題から言っても、警察が入った以上、学校はその捜査結果を待つしかない。結果として、それ以前は、加害者の男子生徒たちは、何もなかったかのように授業に出続け、彼らと顔を合わせたくない被害者のほうが、教室へ行けなくなってしまったのである。

 やっぱり教師がだらしないんだ、ですまされる人は、結局呑気な人なのだと思う。上の事件は、いじめの一種だ。世の中には自分一個の力量だけでいじめを解決できる教師もいるのだろうが、できない教師もいる。そうでなければ、こんなに蔓延するはずはない。で、どうだろう。あなたの子どもが学校でいじめられたが、そこの教師たちにはやめさせるだけの力はなかった。お気の毒です…であきらめられるものだろうか。「そんな馬鹿な」と言うのが正常だ。ならば、こういう場合には、万人に適用できるような救済措置を、制度として用意しておくべきなのである。
 安部内閣が作った教育再生会議が出した提言の一つに、「学校問題解決支援グループ」の創設というものがある。「学校において、様々な課題を抱える子供への対処や保護者との意思疎通の問題等が生じている場合、関係機関の連携の下に問題解決に当たる。チームには、指導主事、法務教官、大学教員、弁護士、臨床心理士・精神科医、福祉司、警察官(OB)など専門家の参加を求める」(第二次報告)とされている。
 地域によって実際に作られたチームは、モンスターペアレンツの対応が、仕事の大部分になったらしい。私はまだ実際にその恩恵に浴したことはないが、学校と保護者の間にこういう人々が立ってくれるのは本当にありがたいだろうなあ、と感じている。再生会議の提言など、ほとんど唾棄すべきものだと思っているが、これだけはいいアイディアだったと認める。
 それで、このチームをもっと拡充して、いじめなどの問題にもかかわり、それから、M教師(問題のある教師を意味する学校の隠語)などについても、対応するようにしたらいいのではないか、というのが私の考えである。いや、対応というよりは、生徒や保護者や教師から訴えられた各種の問題をきちんと調べ、教育委員会に報告し、それに基づいて教育委員会がしかるべく対処する、でかまわない(そのための大前提として、教育委員会がしっかりしている必要がある)。学校と警察・家裁との中間の組織だと思ってもらってもいいかも知れない。
 なぜそういう組織が必要と考えるのか、それを今まで縷々述べてきたつもりだが、改めて最短でまとめる。学校を一定のルールに従って運営される集団としてきちんと成り立たせるためには、教師だけでは明らかな限界がある。彼らは生徒とあまりに身近な所にいるし、いるべきだとも言われているし、その結果として、生徒集団を管理するための権能は不必要とみなされて、きちんと与えられていない。その機能を果たすためには、学校とは相対的に独立した、外の機関があったほうがいい。
 外部評価、というのも再生会議で提言されたことの一つだが、教師のやったことを後から評価する外部の目なんて、それ自体はどれくらい正当で、どれくらい機能しているか、評価する機会も集団もないような代物でしかない。まずたいていは余計なお飾りで終わると思っていい。そんなのではなく、実際に学校の一部を動かすために外部の力を使うのが、学校改革のポイントなのである。
 そのためには、再生会議が考えたものよりもっと本格的な、常勤の職員から成る「支援チーム」がたぶん必要である。また、こういう組織ができたらできたで、また別の問題が生じる恐れもある。しかし、私はみんさんに呼びかけたい。学校のことをまじめに、冷静に考えたら、細かいところはともかく、こういう方向にも頭を働かせるべき時期にきているのは明らかではないでしょうか?

(ちょっと宣伝になりますが、この問題は夏木智と私で詳しく討議して、私たちの同人誌『ひつじ通信』に載せました。読んでみたい方は、左のブックマークから「onlineひつじ通信」のHPに行き、申し込んでください)
コメント (6)
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