Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

薄熙来心臓病

2012-07-17 18:15:39 | 時事
朝日新聞国際面で連載していた薄熙来失脚に関する企画「紅の党」の第一部が一応終わった。内容はネットにあがっていた情報がほとんどだったと思うが、それをひとつずつつぶして、裏を取っていればたいしたものだ。

ただ、政治局常務委員会の中で薄熙来処分に関して4対4で割れ、訪米中で欠席していた習近平・国家副主席(次期最高指導者に内定)の意思表示が遅れ、後で、江沢民系の呉邦国や周永康らではなく、「処分せよ」の胡錦濤、温家宝ら側につき、結局5対4で薄処分が決まったことについては、企画の途中で思わせぶりに前振りをしていたが、その理由については明らかにされていない。もちろん、最終的には習近平に聞いてみなければ、本当のところはわからないが。

過去の報道やネット上に挙がっている情報などを総合すると、習が江沢民系の太子党側から胡錦濤側についたのは、
1、薄のほうが周より年上で、薄を政治局常務委員会に入れると、「打黒唱紅」など文革時に見られた造反戦略を取って習次期指導部を分裂させ、最高権力を手に入れるために軍の一部と結託してのクーデターなどを企てるのではないか、との恐れを持っていたこと。
2、1987年の胡耀邦失脚時に、その急先鋒に回った薄熙来の父、薄一波に対して、胡耀邦の擁護に回り?搶ャ平に疎まれながらも筋を通した習近平の父、習仲勲の行動に理解を示し、薄家によい思いを持っていなかったという「血」の問題。

などなどだろう。これ以外にも、この事件をきっかけに、あるいはその前から江沢民系の政治力が弱まっている、と判断し、胡側に乗った、という政治力学を判断した結果、ということもいえるかもしれない。

ただ、巷間言われるほど胡錦濤派が江沢民派に圧勝している状況、とは言いにくい。そろそろ河北省の避暑地、北載河に中国最高指導者たちが集まって非公式に開かれる「北載河会議」の季節になる。ここで今秋の党大会で決まる最高指導者9人(7人との説もあり)の顔ぶれが決まるだろう。

ところで、香港誌「明鏡」によると、北載河で事情聴取が続いている薄熙来は心臓病の発作が起きて、3週間前に北京の301病院に入院し、処分が遅れる、との報道もある。
それ以前の海外メディアの報道では、薄熙来の妻の谷開来の英国人ビジネスマン殺害事件と、王立軍・前重慶市副市長兼公安局長の駐成都米国総領事館逃げ込みの問題については7月中にも処分が出て、薄熙来本人の処分も18回党大会前には出て、薄熙来事件は「単独事件」であり、薄以外の指導者については関係なくお咎めなしだ、として、習近平新政権に厄介ごとを残さないようにしよう、というのが現指導部のスタンスだ、と報じられていた。
「明鏡」は、谷開来、王立軍については、18回党大会前、薄処分については来年3月の全人代、全国政協以後になると伝えている。

また、薄一波の養女で、熙来を「三弟」と呼ぶ76歳の義姉の「共産党員」老女が、ハンガーストライキをして薄事件の見直しを訴える「遺書」も掲載している。
保守派、江沢民派が最後の泣き落としを図ったものかもしれないが、薄もここまで姑息な手段で生きながらえようとするのか、ここまで落ちぶれるとは、という感じもする。

劉淇大顰蹙

2012-07-17 16:50:46 | 時事
香港メディアの情報によると、中国と北朝鮮の国境にある長白山(朝鮮では白頭山)で15日、「重要人物」が参観する間、数時間にわたり一般観光客が足止めをくらい、山に登ることも降りることも出来ず、待たされた観光客が「払い戻ししろ」などと騒ぎ出し、ミネラルウオーターのペットボトルが投げ捨てられたりし、この「重要人物」が乗った車が下山する際には、「謝れ」と騒ぎ出した観光客らに取り囲まれ、武警に囲まれながらその場を立ち去ったという。
中国版ツイッター「微博」などにこの情報が流れたという。

香港紙「成報」のサイトによると、この「重要人物」は、10年にわたり北京市トップの市党委書記を務めて、今秋に開かれる予定の18回党大会を前に任期満了で引退し、市長だった郭金竜にその座を明け渡した劉淇だと報じている。

劉淇は江沢民系で、陳希同・元同市党委書記が江沢民側の思惑により失脚した後、北京市トップは、代々江沢民系が死守していたが、今回の郭金竜市長の昇格で、北京市も胡錦濤系となり、「独立王国」を返上した。

香港紙「星島日報」のサイトによると、ツイッターの情報として、この「重要人物」は「劉姓の指導者だ」と同行の関係者が話したといい、迷彩服を着た関係者が車のナンバーを隠す前にチラッと見た感じでは、北京ナンバーだった、という情報も流れていたという。
美女をはべらせていた、とか、眉唾の情報も流れ、吉林省トップが同行するなら、香港の企業家だろうなどの情報も流れていたが、香港や海外の華字メディアの多くが劉淇だ、としている。
朝鮮民族発祥の地などとも言われ、故金正日・総書記はその伝説を利用するため白頭山生まれ(本当は旧ソ連)と宣伝したとされるなど、朝鮮民族にとっても聖地だ。韓国からの観光客であふれている。下の写真の画面左端に中朝国境を示した白いラインがある。

一方で、満州族発祥の地との伝説もあり、清朝時代には皇帝一族である「愛新覚羅」発祥の地として信仰の対象となり、歴代皇帝もこの山に登り、神事を行ったとされる。これを受けて中国の指導者も長白山に登り、皇帝の気分を味わうという。この辺が社会主義国としては?と思われるのだが、実際に、長白山に登る入り口部分には「長白山」と、また頂上付近の噴火口に水がたまった天池を眺められる地点には「天池」と、それぞれ小平直筆を写した碑が置かれている。

筆者も2009年6月に長白山を観光し、雲の晴れ間から天池も見ることが出来た。このときに宿泊した山間地区のホテルのオーナーから聞いた話によると、小平は、当時、このホテルの前身だった中国資本のホテルに宿泊し、天池を眺めることが出来た。胡錦濤・総書記も国家副主席時代に長白山に登って天池を眺めることが出来たという。その後、小平が泊まったホテルは在日朝鮮人の資本で整備され、筆者はそのホテルに泊まったが、江沢民は「愛国・反日」の姿勢からか、このホテルに宿泊するのを拒み、山麓のホテルに宿泊し山に登ること2回、いずれも天気が悪く天池を拝むことが出来なかったという。長白山に来て天池を見られれば出世する、と中国では言われているらしいが、このオーナーは「天池に嫌われたので、江沢民の最高指導者、皇帝としての資質はあまりよくなかったのだろう」と皮肉を言っていた。

ということで、江沢民の子分の劉淇は天池を拝むことは出来たのだろうか。