わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

音楽祝祭劇「トゥーランドット」

2008年03月27日 | 観劇記
2008年3月27日初日   赤坂ACTシアター  1階やや後方のセンター

音楽祝祭劇「トゥーランドット」の初日に行ってきました。
(こけら落し公演のはずですが、実際にはバレエの公演があったので、私はあえてこけら落しとは言わないでおこうと思います。)

新しい劇場で、一応新作。すごい人でした。客席はとても観易くていいのですが、ロビーが狭いです。満員電車に乗り降りするような感じです。まあ、初日ということで、人の動きも激しかったのだと思いますが、ちょっと大変でした。

大勢の人達が運び込む花粉もすごくて、集中力が非常に低下していました。鼻をすすってしまうので、なんだかこめかみの辺りも痛くなりますし、もうボロボロです。一生懸命舞台を観ましたが、もし、誤った記述がございましたら、それは杉や檜の花粉のせい、ということにさせて下さい。

さて、本編です。
序曲があり、ほぼ全員が歌う歌で幕が開きます。とても迫力があります。

舞台装置は松井るみさん。3つに分かれている大階段があります。そして、幕にもなっている、金属の塊が組み合わさったような垂。そして、舞台を囲むように二頭の龍がいます。

そして、音楽は久石譲さん。全体に、とても聞き易い、耳なじみのする曲でした。

あらすじは・・・
プッチーニーのオペラのままかと思いましたが、まるで違います。人間関係も全く違いますので、オペラの方に詳しい方は、抵抗があるかもしれません。
ですので、あまりここでは詳しく書かないことにします。まあ、最後は同じ結末ですしね。

感想を織り交ぜながら、役柄などにも触れますので、あらすじも想像してみて下さい。

昨年「テイクフライト」の観劇記に書こうと思っていましたが、なかなか時間が取れず書けなかったこともあわせて書いていこうと思います。

私は「テイクフライト」の初日は観ませんでした。私が観た中日頃は、初日から数日の厳しい評価とはかなり印象が違いました。初日は不時着寸前というフライトなら、私が観た日は乱気流をなんとか潜り抜けて無事着陸か、という感じでした。

その後すぐに観劇したのが、「ライト・イン・ピアッツァ」。完成された舞台でした。ベテラン・パイロットが雲ひとつない青空を気持ちよく操縦している感じです。

私たち日本人は、海外である程度の評判を取った作品の日本版を観ることに慣れているのだと思います。ですから、ストーリーや音楽を知っている観客が劇場に数多くいいるのです。演じ手も一から創る作品よりは、作品を深く掘り下げやすいはずです。当然、完成度の高い舞台を演じ手も観客も創り上げることが出来るのだと思います。

私も、厳しいことをいろいろ言ってしまうのですが、輸入の舞台、再演、再々演、そして、初演の初日など、いろいろな舞台を観てつくづく思うのは、「舞台は、劇場にいるすべての人が創り上げていくもの」と言うことです。つまり、舞台は板の上にいる人だけではなく、実は観客も舞台を創り上げる一人なのだということです。
完成された作品を見慣れた観客には「テイクフライト」はがっかりだったかもしれません。初日は特に。でも、自分も舞台を創っていると思うと、結構楽しめるものです。

「今日は、初日ですから・・・」は逃げ口上だと思いつつも、段々私の目も「将来性」を見通せる目に成長し、「この初日ならいい舞台になる」とわかるようになりたいとも思っています。

でも、今はまだそんなに成長していないので、とりあえず、思ったことをぽんぽんと言ってみます。

『音楽祝祭劇』と謳っている割には、お祝いらしさに欠けました。そして、欲張りすぎです。主役はだれ?テーマは何?となってしまいます。これから、俳優の方々の演じ方次第で、メリハリがつくのかもしれません。また、観客がよい反応を示す役柄が主役になり、観客が涙する場面がテーマになっていくのだとも思います。

お祝いのわりに、華やかな踊りがないのですよね。殺陣もいいのですが、少林武術の人達の活躍をもっと前面に出して、エンターテイメントにして欲しかったですね。この殺陣の場面は演っている俳優の皆様は大変なのだと思いますが、長過ぎてわがままな観客としては飽きてしまうのです。最後のお祭りの場面も、もっと華やかにできるはずなのに、こちらはあっさり終わってしまうのです。
少林武術の皆さんの活躍が分かりにくいのは軍人と衛兵の衣装が似ているせいもあります。ワダさんの素晴らしい衣装の配色には、はっとしますが、この二つの対立する役の衣装の違いの少なさは残念です。

舞台装置も、結構、俳優の方々の動きを硬くしてしまっていると思います。観ている観客も、ハラハラするばかりで、なんとなく劇中に入りこめないのです。これは、日が経つにつれ、解消するかもしれませんが、私はただただ皆さんに怪我がないことだけを祈ってしまいます。

久石さんの音楽はいいですね。特に、後ろに流れる音楽は素晴らしいと思いました。が、「歌」となるとちょっと・・・久石さんの映画のナンバーはとてもポピュラーですから、私もちょっとピアノで弾いたりします。馴染みやすいのですが、いざ、聞かせるための「演奏」となると、聞かせどころをどこにするかとか、切り替えの場所とかを構成するのがとても難しいのです。多くの作品が流れのある音楽だけに、劇中でのドラマティックな音楽はどんなであろうかと楽しみにしていましたが、心を鷲掴みにされる「歌」はありませんでした。メインテーマの「運命は遠い日の約束」も、メロディーが流れているときは、すごくいいなぁ、と思って聞いていましたが、いざ歌となると、ちょっと淡白なのです。勿論、歌い手にも責任があると思うので、音楽自体を取り上げて、あれこれ言うのはいけないことなのですよね。
いい意味で心に違和感を残すメロディーはオープニングの「飢えた満月」や大臣や侍女がワン将軍を責める「論争!」(多分?)です。ということは、やはり歌の印象は歌い手に相当左右されるということなのかもしれません。

オペラ・ファンからは多分、相当批判のありそうな脚本なのですが、私は、そこへのこだわりは全くありません。
しかし、最初に書いたように???はかなりあります。
私は、たくさん舞台を観ますから、想像力は豊かです。それが、実生活での妄想になっていて回りに迷惑をかけることもしばしばですが(苦笑)。
で、今回も想像力をいつも以上に膨らませて、観ていました。初日ですし、ハプニングもあると思いますから、いろいろあってもよい方向へ解釈しようと思ってみているわけです。

一番の疑問は、あの舞台の縁を怪しくとりまく龍の意味が舞台の中であるのですか?序曲を聴いているとき、見るものといえば、あの龍ですよ。

次の疑問は、カラフと東方の島国からいっしょに逃げたティムールワン将軍の軍に殺されてしまうのですが、その死後に、トゥーランドットがティムールの魂と出会う場面があるのです。彼女といっしょにいる物売りにはその姿は見えません。トゥーランドットとティムールが顔見知りであったことはわかりますが、ティムールが彼女に示唆することがよくわからないのです。「現実をみよ」ということで、逃げないで、闘いの場に連れて行くのかもしれませんが、ティムールも一緒にあの場面にいないとおかしいように思いました。連れて行って消えるのなら分かりますが、とても中途半端に感じました。ティムールとカラフとトゥーランドットの関係がはっきりしないままなので、なんだか、すっきりしませんし。トゥーランドットと彼女の父とティムールの関係もよくわからないままですしね。結局それは、トゥーラドットが冷たい心を持たざるを得なかった鍵でもあるので、もう少し分かりやすく説明して欲しかったと思います。
まあ、もともと三つの謎がこの作品の鍵ですから、観客にも謎ときをさせようという亜門さんの意図なのかもしれませんが???

しかし、次々と人が死にます。私はあまり好きではないですね。生きて身を引く。これが本当の愛ではないかと私は思うのです。

愛のために人を殺してしまう作品と言えば「スウィーニー・トッド」。こちらは、もう殺す、殺す、殺しまくります。そして食べてもしまうという、あらすじを聞くだけだと観る気も失せる作品のような気がします。が、観劇し終わると「愛」について考えている私がそこにいるのです。殺人と愛というまったく相容れない事象が、極端を極めると繋がるという不思議な不思議な作品なのです。

「トゥーランドット」もこの極端さが出るかと思いましたが、ありませんね。誰が誰を愛しているのかもわかりにくいのです。謎だらけの作品です、本当に。

というわけで、主役もぼやけてしまいます。
ワン将軍が主役???
初日ならではの感想だと思って下さい。舞台が落ち着くと、変わってくると思いますので。

俳優の方々に話が移ってきます。
初日に印象が強いのは、やはり歌舞伎や大衆演劇というように、演目を短期間でこなしている各界のホープでした。中村獅童さんや早乙女太一さんは何ヶ月も舞台をやってきたように芝居をぐいぐいひっぱっていらっしゃいました。早乙女さんの存在感は本当に素晴らしかったです。
アーメイさんは、やはり台詞でかなり苦労していらっしゃいますね。身分の高い人は直接口をきかないこともあるわけで、もっと台詞を減らしてあげればいいのにと思いました。
私は、今回はじめて岸谷五朗さんを舞台で拝見しました。とても魅力のある方だと思いますが、どちらかというとじっくりやんわり魅力を伝えるタイプの俳優さんだと思いました。そういう点からすると、なぜカラフ役なんだろう、という疑問が私の中では生まれてしまいます。歌が素晴らしいのかも、と思っていましたが、一度聞いて忘れられない歌声ではないのです。トゥーランドットが一目見て、落ちてはいけない恋に落ちる相手・・・あの人やこの人・・・私の妄想は果てしなく広がっていくのです。

物売りの北村有起哉さんは、狂言回し的な存在でもあります。この舞台を支えていると思いました。

私が応援している、佐山陽規さん、越智則英さん、岡田誠さんは、大臣としていろいろご活躍です。やはり、歌はこの方たちの手にかかると、相当な化学反応を起こして、創り手も驚く曲になっているのではないかと思います。
皆さん民衆のときもあります。着替えにメイクに忙しいことでしょう。でも、私は越智さんの民衆姿はわかりませんでした。次回観劇の宿題です。

いろいろ疑問がありますが、答えを決めるのは観客なのだと思います。
以前、「キャンディード」で主役がミュージカル俳優の石井一孝さんのときと、ミュージカルにも多数ご出演ですが、シンガーとしての色が強い中川晃教さんのときとでは印象がちがいました。もともと、この作品自体がミュージカルというよりオペラの色が強いものでした。石井さんの時には、オペラ、として、歌を中心に楽しむ舞台になっていたと思います。指揮者佐渡裕さんだったからでしょうけれど、観客も音楽を楽しむ人が多かったように思います。中川さんのときには、ミュージカルの色合いが濃かったですね。歌や芝居を楽しむ観客が多かったように思います。

この作品が、単なるラブ・ストーリーとなるか、生きることの意味を探す作品となるかも、観客の拍手がどこで多いのかに左右されるでしょう。アクションに拍手が多ければ、エンターテイメント的な作品になります。芝居の部分で涙する観客が多ければ、ストレートプレーの面が強くなるでしょう。そして、歌に拍手が集まれば、ミュージカルの面が強くなると思います。
私の希望は決まっているのですが、ここでは言いません。次回の観劇で、どう変わっていくのかとても楽しみです。
多種多彩な分野から集まっている俳優の皆様。そのファンも多種多彩です。その観客が、板の上での化学反応に、さらなる化学反応を加えることでしょう。その結果がどうなっていくのか、とても楽しみです。

最後に、上演時間ですが、一幕が1時間半ぐらいあります。20分休憩で、後半は1時間ほどでした。参考になさって下さい。

「自分も舞台を創っていると思うと、結構楽しめるものです」とか「段々私の目も「将来性」を見通せる目に成長し、「この初日ならいい舞台になる」とわかるようになりたい」とか書いたくせに、言いたい放題ですね、相変わらず(苦笑)。でも、これでも進歩しました。初日に何度も鍛えられて来ましたから!!!

それでは、最後までお読み頂きありがとうございました。