おちびさんが起きている時間は、成長を感じる瞬間は嬉しいけれど、
今でも 結構 目が離せなくなっていて、
こんなに この1年の成長って めまぐるしいのねぇ!と思う 今日この頃。
一生懸命 ずりばいで 動こうとして、
動けないので、グズグズ泣いて。
でも昨日は、前には進めていないけれど、後ろに移動していました。
え?どうして??
意図的に 後ろに移動したわけではなさそうでしたが・・・・足の力と 腕の力の 力の違いで、後ろに進んじゃったのかなぁ?
そんな おちびさんがしっかり寝てくれた時は、わたしにとって 家事の時間であり、またまちまなびの時間でもあり。
昨日は 早いうちに ある程度の家事を済ませていたので、
少しばかり 読書ができました。
でも、読んだページは 少しなんですけどね。
以前買っていた『○○県 謎解き散歩』2冊に、ちょっとばかり目を通したのです。
長崎県の本には・・・・
遣唐使の 航路のことが、ちゃんと触れてありました。
遣唐使の航路の経路って、
博多(この本では 大津浦(博多)と書いてあります)を出発したあと、
壱岐・対馬を経由する初期のコースと
平戸を経由して、九州を南に下って、時間はかかるけど 島伝いに海を渡る コースと
そして、平戸から五島の島伝いに進み、一気に東シナ海を渡ろうとするコースとあるんですよね。
どれも長崎県のどこかが関係しているので、取り上げられているんだろうなと思いました。
でも、筑紫館、鴻臚館のことは 当然ながら触れられてないし、
博多湾内から 長崎県内の 壱岐・対馬や平戸まで行きつくまでの話も 触れられてなかったので、・・・・
福岡県の本では、筑紫館・鴻臚館のことが 少し載っていて、
そこでも 遣唐使の船旅のことが取り上げられていたりするかな??と思っていました。
・・・・・・・・・・・・あら?????
鴻臚館について・・・・ほぼ、載ってない、に等しいような・・・・。
ちょこ~~っとだけ、触れられているとは思うんですが、
でも、太宰府市内の、大宰府政庁当時の話で、「鴻臚館(本来は筑紫館とも)」と触れられているけれど、
それが福岡市内にあって、
どんな働きを担ってきたのかとか、
その建物で果たされるべき役目の変遷が どのような影響を 博多に及ぼしたか、みたいなことには
全く触れられてない~!!!
え~~~~
鴻臚館が発掘されてから数年、くらいの本を読む限りでは、本当に大発見!!っていう感じだったのに、
この『○○県 謎解き散歩』の福岡版を出した、2011年あたりでは、
もう“鴻臚館の発見と 役目の解明”って、
話題にものぼらない、特別 載せたいとも思わないようなものに なっちゃってるの~!?
え~~~~
鴻臚館~~~~
今、その存在を知る方法って・・・・ちょっとした読書じゃ、ダメ?!
もう、調査研究の域の書類に入らないと ダメなの?!
最近出た、別のまち、別の県に住む人が このまちのことを知ることができる本・・・といえば
こんな本も該当すると思うんですけど。
この本にも、鴻臚館って 載ってなかったような・・・・・
最近の出版もので、鴻臚館のことが ちゃんと載っているものって、ないんですか~?!
ちょっと なんだか なーんだか さびしいなぁ・・・・。
うーん、確かに〝旬〟は 官兵衛さんだけど・・・・。
“鴻臚館”が まちの特徴の成立に及ぼした影響、結構あるんじゃないかなぁと思ってるので、
鴻臚館跡のことが 最近出版されたものに どうも のってないというのは、なんだか さびしいです。
やっぱり〝30年近い〟時の流れには・・・・負けちゃうのかなぁ。
最近の出版もので、鴻臚館のことが ちゃんと載っているもの、なんとか 探したいです。
今でも 結構 目が離せなくなっていて、
こんなに この1年の成長って めまぐるしいのねぇ!と思う 今日この頃。
一生懸命 ずりばいで 動こうとして、
動けないので、グズグズ泣いて。
でも昨日は、前には進めていないけれど、後ろに移動していました。
え?どうして??
意図的に 後ろに移動したわけではなさそうでしたが・・・・足の力と 腕の力の 力の違いで、後ろに進んじゃったのかなぁ?
そんな おちびさんがしっかり寝てくれた時は、わたしにとって 家事の時間であり、またまちまなびの時間でもあり。
昨日は 早いうちに ある程度の家事を済ませていたので、
少しばかり 読書ができました。
でも、読んだページは 少しなんですけどね。
以前買っていた『○○県 謎解き散歩』2冊に、ちょっとばかり目を通したのです。
長崎県の本には・・・・
遣唐使の 航路のことが、ちゃんと触れてありました。
遣唐使の航路の経路って、
博多(この本では 大津浦(博多)と書いてあります)を出発したあと、
壱岐・対馬を経由する初期のコースと
平戸を経由して、九州を南に下って、時間はかかるけど 島伝いに海を渡る コースと
そして、平戸から五島の島伝いに進み、一気に東シナ海を渡ろうとするコースとあるんですよね。
どれも長崎県のどこかが関係しているので、取り上げられているんだろうなと思いました。
でも、筑紫館、鴻臚館のことは 当然ながら触れられてないし、
博多湾内から 長崎県内の 壱岐・対馬や平戸まで行きつくまでの話も 触れられてなかったので、・・・・
福岡県の本では、筑紫館・鴻臚館のことが 少し載っていて、
そこでも 遣唐使の船旅のことが取り上げられていたりするかな??と思っていました。
・・・・・・・・・・・・あら?????
鴻臚館について・・・・ほぼ、載ってない、に等しいような・・・・。
ちょこ~~っとだけ、触れられているとは思うんですが、
でも、太宰府市内の、大宰府政庁当時の話で、「鴻臚館(本来は筑紫館とも)」と触れられているけれど、
それが福岡市内にあって、
どんな働きを担ってきたのかとか、
その建物で果たされるべき役目の変遷が どのような影響を 博多に及ぼしたか、みたいなことには
全く触れられてない~!!!
え~~~~
鴻臚館が発掘されてから数年、くらいの本を読む限りでは、本当に大発見!!っていう感じだったのに、
この『○○県 謎解き散歩』の福岡版を出した、2011年あたりでは、
もう“鴻臚館の発見と 役目の解明”って、
話題にものぼらない、特別 載せたいとも思わないようなものに なっちゃってるの~!?
え~~~~
鴻臚館~~~~
今、その存在を知る方法って・・・・ちょっとした読書じゃ、ダメ?!
もう、調査研究の域の書類に入らないと ダメなの?!
最近出た、別のまち、別の県に住む人が このまちのことを知ることができる本・・・といえば
こんな本も該当すると思うんですけど。
この本にも、鴻臚館って 載ってなかったような・・・・・
最近の出版もので、鴻臚館のことが ちゃんと載っているものって、ないんですか~?!
ちょっと なんだか なーんだか さびしいなぁ・・・・。
うーん、確かに〝旬〟は 官兵衛さんだけど・・・・。
“鴻臚館”が まちの特徴の成立に及ぼした影響、結構あるんじゃないかなぁと思ってるので、
鴻臚館跡のことが 最近出版されたものに どうも のってないというのは、なんだか さびしいです。
やっぱり〝30年近い〟時の流れには・・・・負けちゃうのかなぁ。
最近の出版もので、鴻臚館のことが ちゃんと載っているもの、なんとか 探したいです。