福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

女子旅を特集した雑誌に目を通して、しばらく 癒されます・・・

2012年11月02日 19時16分35秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(?と!)
朝のブログの記事には

「意地でも 多ジャンルの 2000年の まちまなび 続けるからっ」なんてこと書きましたが。



正直になれば、ええ、気持ちは スコーンと 一回 折れましたようで。




そんな私を まるで 叱咤激励、気分転換して もどっておいでと励ますかのような雑誌2冊に 今日 出会っちゃったんですけどね。


ええ。

本当に タイミングのいい 出会いです。



しばし、もう、日本史的な向学心、どこかに放りなげて、女子旅の煩悩に どっぷりつからせてもらいます。




ね。

ちゃんと、ちゃんと感じるようにはしてきたから。

うん。

鴻臚館。
長い年月を経て、発見され、発掘されたものが、時間の経過とともに・・・・なんだかまちのなかで、埋没しちゃっても。

桜の木々。
思いを込めて 植樹され、命名された桜の名木が、時間の経過とともに・・・・意味を見出されなくなって、伐採されちゃっても。



その時々の、その立場のひとたちの 熱い思いは、ちゃんと ちゃんと、私、ひもといてきたから~~~~~~~




ま、でもね。

江戸期だけだと・・・・・・・・幕末から明治期への移行期に目を向けると
ちょっと贋作事件とかあって、「え?」って思っちゃったりしたから
本当は このまちでは 江戸の時代に ぐっとフォーカスを当てすぎるのも・・・難しいと????って思ったりしたんだけど。


でも、武士の時代、江戸期の藩政の時代は、男の生き様、男の浪漫に近い部分だから・・・・・・・・やっぱり男性の思い入れは深いんだろうなぁ。

やっぱ、一国一城の主って、男の生き様の夢???あこがれ???

だよね????

隣の藩に、負けてられーんって 気持ちに なっちゃうもんなんだよね?!




えーい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・考えすぎない!!!!


しばらく、女子旅の煩悩にひたるのですっ!!!!

あ~~・・・・・博多のまちあるきで・・・・・・癒されるかねぇ。
もう少し先だっけ、博多のまちの 神社仏閣の ライトアップ・・・・・。


いや、だから。活動制限、かかってますってば


※調べました※

博多ライトアップウォーク2012 博多千年煌夜(こうや)は 11/21(水)~11/25(日)でした

http://hakata-light.jp/outline/



2000年の幾重にも重なる歴史は 400年の江戸期の歴史に・・・・負ける、の???

2012年11月02日 09時26分31秒 | 子どもに まちの歴史や その魅力を伝えるには・・・?!
福岡城址をどうするかっていうシンポジウム?の記事が、新聞に載ってましたね。


案内らしきものは来ていたんだけれど、平日だし・・・と思ってました。
お勤めしてたら、平日のシンポジウムなんて いけないしねぇ。



でも・・・・・新聞見て、「えええええ???」と


福岡城公園???


筑紫館は??鴻臚館は??

鴻臚館は???


鴻臚館は?????!!!!!!


鴻臚館があった400年は?!

2000年の歴史が幾重にも重なった場所・・・という どのまちにもない特徴は、どーでもいいんですかっ


このまちのいろんな人々が 鴻臚館の発掘に費やした、時間とお金と なにより情熱は どーなるのぉぉぉぉ?!¥?




港湾都市としての まちの歴史は??

交流・交易・貿易都市としての まちの歴史は??

志賀海神社・警固神社・住吉神社3社とかの むかーしからの神社の成立や、新しい仏教伝来のまちとしての 宗教都市としての まちの歴史は???


なにより、遠の朝廷の大宰府政庁との関連は?!

大宰府政庁より、太宰府天満宮のほうが 人を集める力があるから、鴻臚館の存在は、軽く扱っても、かまわないってこと???

遣唐使を送り、そして迎えた歴史は、江戸期400年の歴史より、軽いってこと?!

『おもてなしのまち』としての まちの在り方のはじまりは、江戸期に負けるってこと?!

結局『おもてなしのまち』っていうのは、〝まちの本質〟じゃないってこと?!


あわせて、周辺のまちの、遣唐使や交易の時代と関連が深い、古代期の史跡や神社の宝物も、軽視できるってこと?!




え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



おもいっきり、動揺してます。


2000年の幾重にも重なる歴史は、400年の江戸期の歴史に負けるんだぁって思って。


ふふふ、ここ数年、私がやってた まちまなびも 「意味ない、意味ない」って 軽く 全否定された気分・・・・・・



いいけど。

意地でも、2000年の幾重にも重なった歴史の まちまなび 続けるけどっ!!!!!!!!

足踏み状態だったけれど、ブスブスくすぶり気味だったけれど、ちょっとまた 情熱に火がついたわっ。


活動制限、かかってますが。無理できませんが

でも~~~~~~!!!!
 


木をたくさん伐採しよう案も新聞に載ってたけど、日本の桜の名城、1000本は そう多くもないみたいだけれどなぁ。

桜の市長さんの思いも、昨日のシンポジウムでは ぶった切られたってことなのかしらん?????????



いやいや。そんなことはないと思いたいけれど、うん。



でも~~~~~~~~~~~~~~~~~。

武士の時代、そして江戸期って、かーなーり、強大な力を持つ時代なんだなって、久しぶりに痛感。

ああ、〝江戸only好き〟〝武士がチョー好き〟に なんとなく気持ちが折れて、中学の社会科の免許、もういいって思ったんだった・・・・。





みなと&みなとまちの歴史を しっかりと体感できる、見どころとしての拠点って、
北部九州的には、北九州(門司港)と長崎県内で山分け、でも いいんだろうけど・・・・。

大航海時代の平戸、江戸期の長崎、文明開化以降の門司港で、北部九州、回遊性は十分なんだろうけど・・・。
観光資源としても、もう十分なんだろうけど・・・・。


門司港は、門司港レトロ地区で出来上がってて、昔の建物もあるし、門司港ホテルもあるし、海峡プラザもあるし、門司港駅もあるしね。
あと、名前 すぐには浮かばないけど、比較的新しい施設もあるしね。
門司港駅は しばらく建て替え工事だけど、昔の姿が新しく表現されるというニュースだったような気がするし。

平戸も、大航海時代をほうふつとさせるものが去年かおととしか できたというニュースもあったし、
なんといっても、カトリックの教会と、神仏のたてものとが同じ地域にあって、1枚の写真におさめられるっていう特徴もあるし。

長崎市内は・・・ねぇ。いわずもがなだよねぇ。





でも、古代の時代の みなと&みなとまちの歴史って・・・・・・・・・・・・・江戸期の歴史には 勝てないんやねぇ。


このまちって、みなとのまち、海に広がるまちなのに。

このまちは、海に開けたまち・・・・みたいなこともいうけれども・・・実際のところは、〝海〟の存在は 遠い遠いまちなのかなぁ。



さてさて、でもでも。
そぉんな状況、子どもがうまれたら、なんて言って話したらいいんだろう????ね?