暇つぶし日記

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硫黄島からの手紙 ; 観た映画、Mar ’10

2010年03月22日 01時43分55秒 | 見る


硫黄島からの手紙(2006)

LETTERS FROM IWO JIMA

141分


監督: クリント・イーストウッド
製作: クリント・イーストウッド
スティーヴン・スピルバーグ
ロバート・ロレンツ

原作: 栗林忠道
『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫刊)
吉田津由子(編)
原案: アイリス・ヤマシタ
ポール・ハギス
脚本: アイリス・ヤマシタ

音楽: カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス

出演:
渡辺謙    栗林忠道中将
二宮和也   西郷
伊原剛志   バロン西(西竹一中佐)
加瀬亮    清水
松崎悠希   野崎
中村獅童   伊藤中尉
裕木奈江   花子
ルーク・エバール
マーク・モーゼス
ロクサーヌ・ハート

 硫黄島での戦いを日米双方の視点から描く2部作の「父親たちの星条旗」に続く第2弾。アメリカ留学の経験を持ち、親米派でありながらアメリカを最も苦しめた指揮官として知られる知将・栗林忠道中将が家族に宛てた手紙をまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』を基に、本土防衛最後の砦として、死を覚悟しながらも一日でも長く島を守るために戦い続けた男たちの悲壮な最期を見つめる。主演は「ラスト サムライ」の渡辺謙、共演に人気グループ“嵐”の二宮和也。
 戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、日本軍の最重要拠点である硫黄島に新たな指揮官、栗林忠道中将が降り立つ。アメリカ留学の経験を持つ栗林は、無意味な精神論が幅を利かせていた軍の体質を改め、合理的な体制を整えていく。上官の理不尽な体罰に苦しめられ絶望を感じていた西郷も、栗林の登場にかすかな希望を抱き始める。栗林の進歩的な言動に古参将校たちが反発を強める一方、ロサンゼルス・オリンピック馬術競技金メダリストの“バロン西”こと西竹一中佐のような理解者も増えていった。そんな中、圧倒的な戦力のアメリカ軍を迎え撃つため、栗林は島中を張り巡らせた地下要塞の構築を進めていく…。   と映画データベースに出ていた。

オランダ人で日本にもビジネスでよく行き来し東京のことならいろいろと教えてくれる40前後のビジネスマンからだいぶ前に彼とイーストウッドのことを話していたときにそれじゃあ自分のコレクションからコピーしてあげるとその何週間かあとにもらった「父親たちの星条旗」と本作2枚のDVDをそのまま置いておいたものを土曜の夜、久しぶりに大学生の子供たちがうちに来て何か映画でも観ようか、といったのでそれじゃあ、これにするか、と負け戦のことから初めるのが子供たちにもいいかと思い本作のディスクをプレーヤーに差し込んだ。 日本語が分かるのは自分だけで英語の字幕でもいいのだがやはり彼らは自国語のオランダ語を選んだのだった。 字幕があるとついついそちらに目が行って集中力が削がれ怪しくなるから字幕がなければいいのだが仕方がなく見続けていると字幕に妙な訳があったり説明もなく固有名詞が突然現れたりしてこちらには支障はないものの他のものからあれはどういうこと、と字幕の不備をつくような質問が飛んできてしばし中断ということも一再ではなく、そのたびにポップコーンやビールにジュース、おしっこ、となるのだった。

未見ではあるが「父親たちの星条旗」には様子が大体見当がつくし戦争映画はいままでいろいろ観ているので本作は例えば負け戦のドイツ軍の話を撮ったものとも比較できてハリウッドばかりの映画に食傷気味の、それも今となっては遠い太平洋の戦の話、戦は日常、イラクからアフガニスタンの日々が戦争の今日、何が今更太平洋戦争なのだろうか、というのがヨーロッパの生き死にに関する話題なのだ。  けれど、アメリカ人のイーストウッドが絶え間なく量産された西部劇と同じくアメリカの戦争映画の中でこれをどのように料理するかに興味があった。 渡辺謙、が登場すると娘がすぐああ、この人、何年か前チェコの田舎の野外映画館でみた「Memory of Geisha]の人ね、というとすかさず息子が「Last Samurai]の人だともいう。 私にはだいぶ昔に見た「ラジオの時間」のトラックの運ちゃんなのだがここではそれは言ってもしかたがない。

Memory of Geisha の時にはチェコ語の字幕で誰も読めなかったのだが幸いなことに原語は英語だったから皆分かったもののそれでもその英語には何か妙なものもあり、やはりその話の舞台の言語でないと、と思ったものの字幕に慣れたヨーロッパの小国ならいざしらず英米独仏ではそれも疎ましいのだろうが、それでも世界中に席巻する「国際語」の英語であれば興行成績上仕方がないのだろうとも思ったものの、本作では殆どが日本語で、それも日本側からみた話としては当然ではあるのだけれどDVDでは様々な言語の字幕がそろっていて、はて本国アメリカでは嘗てのイーストウッドがマカロニウエスタンに登場したときのようにイタリア語から英語への吹き替えなのだろうかとも訝ったのだ。 これではまるでここで聞こえる米語が嘗て映画の中で日系二世や三世がしゃべっていた妙な日本語に聞こえそうで戦闘場面の米兵のエキストラでも日本人ではないかと思うほどに日本映画で、時代が変わればこういうこともあるのだなあと妙にも感心したのだが、同時期に同じ話をアメリカ側から撮っているのでそれとのバランスを考えれば納得のいくことでもある。

前夜「ダーティハリー4(1983)Sudden Impact」というのを深夜映画で2度目か3度目に見ていて、ダーティーハリーは71年にドン・シーゲルで始まりその後別の監督で作られこの4作目に自分が監督したのであるもののさすがに初めのインパクトはうせているようだけれどまだ少々のSwell(いかす・興奮するぜ)も散見されたのだがイーストウッドが初めてメガホンをとり主演したジャズDJを主人公とするスリラー「恐怖のメロディ (1971)」でもシーガルがバーテンとしてバーでイーストウッドと自分たちだけのルールでそれがあるのかないのか分からないようなゲームをしていた光景も浮かばれるが、年賦を見てみればこの71年というのは一年でシーゲルの佳作「白い肌の異常な夜(1971)THE BEGUILED」でも南北戦争時の話、敗走兵として主演しその初メガホン、シーガル2作とよく働いていたものでそこからから本作までの35年である。

本作を観ていて妙な気持ちがした。 明らかに欧米戦争映画のトーン、モードが見慣れたものから変わっており、それは明らかに日本のメロドラマ、戦争ものに流れるムードを引き継いだもので山中の入り組んだ洞窟内での劇場仕立てのいくつもの話とも相俟って涙が流れるほどなさけない当時の事態のお粗末さが実感されたのだが、妙なことにドイツの急降下爆撃機ユンカース・シュトゥーカと同様の主翼に特徴のあるF4Uコルセア爆撃機が飛来したときにはスピルバーグの「太陽の帝国」で少年がゼロ戦やムスタングに狂喜したように子供の頃この濃紺のコルセアのプラモデルを作ったことをも思い出したのだったがそれも日本軍の湿っぽい話からドンパチに移る転機ともなっていたのだった。

本作制作前か当時、何年も日中政治駆け引きのプロパガンダ合戦の焦点でもあった「南京大虐殺」の話をイーストウッドが撮るのではという噂があり、そのときはアメリカで中国系の女性作家がしきりにキャンペーンをやっておりそれを受けて中国側の攻勢に乗るのかなとも思ったもののそれがどうなったのかも知れないままに本作をふくむ2作になったのだたからこれを見終わった後ではイーストウッドが「南京大虐殺」を撮るのだったらどうなるのだろうかともそちらにも興味が行った。

硫黄島に関しては何年も前に黒川創という作家の同名のルポルタージュ風エッセーを読んだのだがそれにはこの島のことがどのように書かれていたのか記憶に乏しいものの火山灰地の厳しい土地のことにかなりのページ数が費やされていたことが朧げに浮かんでくる。

本作に関する判断は「父親たちの星条旗」を見てからだ、という気がする。